湿 地 植 物 概 説
Outline of water plants】Vol.3 一年草の壁
〜育成難種というカテゴリーその2〜

chapter1 育成難易度とは?

経験上育成が難しいタイプの水槽用植物の2つ目のタイプは一年草です。
なんだかんだ書いていますが、実は私にも苦手な水草はあってオオトリゲモ、ホソバノウナギツカミ、ホシクサなどはどうしても長期維持できません。2〜3年は調子良く水槽内で維持できますが、ある時原因不明で枯死してしまう、というパターンを繰り返していました。
これがどう考えても育成環境や技術にあるとは考えられなかったので、別な要因を求めて得た結論が今回のテキストの主題となります。
その前に「育成難易度」についてですが、私はこの点を「技術」や「習熟」であるとは考えていません。ましてや「知識」であるとも思いません。育成難易度とは単に育てようと思う植物が導入された環境に合っているかどうか、という話だと考えています。
具体的に言えば前稿で述べたトニナなど南米産の水草は大磯、CO2無添加の水槽ではとてつもなく難度の高い水草ですが、ソイルでCO2を添加した環境であればけっして難種ではありません。これはひとえにその植物に合った環境を用意できるか否かという問題であって技術力云々の話ではありません。(全く関係ないとは言いませんが)
ところが、という水草は2種類あってそれが今回の一年草と次回のテーマとして検討中の湿地植物です。(ですのでオランダプラントやアマニア・グラキリスについては少々お待ちを)これらが育成技術の通じる相手であるのかどうか、そこに難易度があるのかどうか、例によって生態学的、植物生理学的な観点も踏まえて考えて行きたいと思います。
余談ながらアクアリウムの文献がおしなべて二酸化炭素の添加や照明によって育成難を克服するかのように記述しているのは明白な誤りです。断言します。観点がまったく違うと思います。日本語の問題としても育成「難易」度はスキルによって解決すべき問題であって、器具や方法論などハードウェアと運用によって解決できるのであれば誰でも育成できるのです。カメラの話に置き換えれば「良い写真」は良いカメラや写真を撮る操作手順ではなく被写体の選択、ロケーション、フレーミングなどの技術によってもたらされます。
しかし私はすべての植物がそのような「技術」によって育成できる、さらにその「技術」が職人芸のように長年の経験で身に付く、そうは思いません。マニュアル化してあれば誰でも出来ます。なにも隠すべき「芸」はありません。この事実をネガティブに証明しているのが前出のトニナでしょう。ソイル底床と二酸化炭素添加というハードウェアと運用があれば誰でも育成できるのです。もちろんこの情報は公開されていますので常識となっていますが、この手の話は他にも色々あって特定の水草の根本に珊瑚砂を一掴み、とかベテランの方ならニヤリとする技があります。しかしそれは「秘伝」とか「技術」ではなく「TIPS」や「方法」という言葉で表現されるべき内容なのです。

chapter2 一年草と多年草

例によって長い前置きはさておき本題です。
水槽に導入して2〜3年すると何が原因か分からないうちに弱って枯れる水草があります。経験上一年草に多く見られるパターンです。上記のような植物以外にもシソクサ、ミズマツバ、マルバノサワトウガラシなど多くの水中育成可能な水田雑草がこの範疇に含まれます。「一年草」とはそもそも何か、ウィキペディアから引用いたします。


(以下引用)
一年生植物(いちねんせいしょくぶつ)は、一年生草本・一年草・一年生作物・一年生ともいい、種子から発芽して一年以内に生長して開花・結実・枯死する草本の植物。 植物の本来の性質として一年草植物である場合と、本来は原産地で多年生植物であるが生息地の気候条件によって一年生植物になる場合がある。後者は「園芸上は一年生植物」などという言い方をすることがある。


一年草はもともと一年以内に枯死する植物なのです。水槽という比較的安定した環境で多少延命できる程度の「水草」と認識すれば良いのではないでしょうか。こう書いてしまうとここで終わりで、それでもそれなりの結論ではあると思います。しかし、史前帰化種と言われる多くの雑草は本来は原産地で多年生植物、です。シソクサやキカシグサの仲間は典型例ですが、リムノフィラ何某、ロタラ何某と呼ばれる東南アジアの「水草」は特に気難しいこともなく長期的に育成可能です。ところが同属であるはずの水田雑草は長期維持できません。この理由は何でしょうか。
元は同種であったと言われる水田雑草が東南アジアに於いては多年草、日本の水田では一年草、この違いは冬があるかどうかの違いです。日本の冬では根茎を維持出来ないために種子で越冬する能力を身に付けたわけですね。進化論におけるかなり限定的な概念、環境適応の好例かも知れません。ただし多年草でも草体を溶かすこともありますし、結実もしますので元々持っていた能力を発揮しているだけかも知れません。
一年草は観察する限り開花・結実が枯死へのトリガーとなっているようですが、開花にはある一定の要素があります。園芸でよく耳にする「短日」「長日」など日照の長さです。
植物は光合成生産のために光受容体という「光を感じる能力」を持っています。この光を感じる能力で日照の長さ(日長)を測っています。成長の段階で日長の長短を感じアクションを起こします。花芽を形成、すなわち開花の場合は長日(短日)植物と言われる植物では日長時間が一定時間より長くなったとき(短くなったとき)にしか花芽を形成しません。また日長は温度と深い関係があり、積算温度(毎日の平均気温を合計したもの)が十分でなければこの動きが発動しにくい事も知られています。

本文とは関係ありませんが、稲のようにある種の植物は日照条件が年間に渡りさほど変化しない熱帯原産であるため、花芽の形成に日長が影響しない中日植物としてカテゴリーされます。(何事も例外があるもので、例外をもって突っ込まれても不毛ですので書いておきます。例えば水槽内の養分吸収でメリクロンなどバイオテクノロジーの話を持ち出すような「突っ込みのための突っ込み」はこれに該当します)

上記日長と積算温度の話を逆に考えてみると(水槽では開花、枯死を避けるのが維持、なのでまさに逆の話ですね)日長と積算温度が上昇する季節、夏に調子を崩す水草が多く、安定する冬には調子が良いのが分かるような気がします。
すなわち、冬であれば周囲が薄暗いうちに点灯し、暗くなって消灯します。日長はほぼ一定となります。水温が低下を始めればヒーターが作動しますので水温もほぼ一定となり積算温度の劇的な変化もありません。一方夏になれば光合成に影響を与えるような外光の影響もあり水温も上昇して積算温度は上昇します。もちろん水温上昇によって溶存気体、特に酸素と二酸化炭素が減少するという直接的要因もありますが、遺伝子の発動によって枯死へのスイッチが入る可能性は高いと思われます。
この話を裏付ける理論として、国立大学法人奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス学科、島本功教授の論文に大きなインスパイアを頂戴いたしました。一部を引用させて頂きます。


(以下引用)
近年のシロイヌナズナ(長日植物)の突然変異体の研究から、花を咲かせる為に重要な遺伝子のセット(3つの重要な遺伝子:GI, CO, FT)が存在する事が明らかになった。これら3つの遺伝子はGI CO FTという関係にあり、花の咲く時期にGI → CO → FT という正の方向の関係にある事が明らかにされた。
短日植物ではどういう機構が働いているのだろうか?という疑問から我々は研究をスタートさせた。我々は短日植物のイネを材料に研究を行い、イネが長日植物であるシロイヌナズナと同じ遺伝子のセット(3つの重要な遺伝子:OsGI Hd1 Hd3a)を持ちながら、その調節機構のHd1からHd3aへの制御が負の方向に逆転している事を発見した。すなわち、イネ(短日植物)はシロイヌナズナ(長日植物)と同じ遺伝子セットを使いながら、その調節機構を逆にすることで日の長さに対する反応を反対にしていると言う事を明らかにする事が出来た。この発見によって昔から経験的にだけ知られていた長日植物・短日植物の違いを遺伝子レベルで示す事が出来たといえる。


そして島本功教授の論文の大部分が正しい事が、花芽細胞形成のトリガーとなる植物ホルモン「フロリゲン」の発見により証明されたことは記憶に新しいところです。
植物の花芽細胞という特定の器官を目覚めさせ組織を作らせるホルモン・・・花咲か爺の袋の中身とも称されていますが、人間に応用出来れば従来まったく不可能と考えられていた器官の再生などに道が開けるのでしょうね。
言うまでも無く、遺伝子レベルの動きですから現実に花が咲いたかどうかはさして重要ではなく、ホシクサの花芽を切れば延命できるというようなレベルの話ではありません。花芽を形成、結実後枯死するプログラムは一年草の遺伝子ですので、そのスタートが切られているということを植物体が認識している、という話なのです。

chapter3 進化上の謎(序説)

前項で「遺伝子レベルの動き」と書きました。遺伝子の話であれば本来多年草の植物だったわけですので、環境が変われば多年草の遺伝子が顔を出しても良いような気がします。遺伝子は持っています。メチル基が付いているだけの話。これが想像通りに行かないことは経験的に分かっていますが、理屈としてどう考えれば良いのでしょうか?
一般的には進化上のベクトルは多年草→一年草と言われています。短い期間で生長、開花、結実し厳しい環境を種子で乗り切るのは「進化した」状態と考えられます。この仮定が正であれば多年草の遺伝子は捨て去ってしまったのでしょうか。この部分をよく誤解される「進化の方向性」と合わせて考えてみたいと思います。

進化に方向性があるかどうか、このような議論が起きるのは「進化」そのものに対する認識に誤謬があるからだと思います。
「進化の方向性」、この言葉は昨今家電製品のマーケティングでよく使われています。PCの進化の方向性、高速化と大容量化。間違いないですね。私がPCを使い始めた当時のMPUはザイログZ80(8ビット)、HDは搭載しておらず外部記憶はFD(160KB)。MBでもGBでもなく、KBです。ちなみに本稿記述時点の私の愛機EOS 30Dで撮影した画像は平均4〜5MBあります。こんな、Z80の当時から見れば巨大な怪物のような画像を高速に処理できるPCが現在の姿です。方向性をもって進化しています。
ところが生物の場合の方向性は常に人間から見て前向きとは限らないのです。ここが重要なポイントです。例えば生物にとって外界を知り迫り来る危険を避け、餌となるものを探すためのセンサーは非常に重要です。目、耳、温度や湿度を感じる肌、人間以外にも多くの動物が持っているセンサーですし、猫やげっ歯類はこの他にも自分が通れる隙間かどうか髭で探ることが出来ます。進化の方向性から言えばますます磨きがかかって然るべき器官です。
この磨きをかけるべき器官を捨て去る進化を選んだ生物が居るのです。日本魚類学界も標準和名を再検討している差別用語につながる名の魚ですが、洞窟などで目が不要になったため退化させた生物がいます。「進化」ではなく「退化」という点にすでに生物進化の認識に対する誤謬が含まれています。(個人的には生物の名称や諺などから差別用語を排除しようとするのは過剰反応であり文化の衰退だと思いますが、世の趨勢であれば仕方ありません。魚類も属名まで変わるものもあるそうですが、もう一度差別と区別の意味を考えた方が良いかも知れません)
それはともかく、この例は「例外」でも「特殊」でもありません。似たような事例はそこかしこで見ることが出来ます。人間の能力にも民族によって進化としか思えない差異があります。日本人の視力や身体能力とアフリカのマサイ族のそれはまったく違います。日本的な「視力」の概念から視力7.0の世界など想像もできません。
植物の例でも、それなりにリーズナブルな器官として進化してきた子房が「退化」している種、水生植物の一部のように、主たる栄養塩吸収の手段である根が「退化」している種もあります。このように生物の進化は必ず前(という表現も問題があると思いますが)を向いているわけではないのです。この点をまず抑えて下さい。

脱線ついでにさらに深く。このような進化(退化でも結構ですが)は何故起こるのでしょうか?偶然によって形成され環境に適したものが残ったのが現在の姿でしょうか?実は進化論にはこのような学説もありますが、現在では何らかの環境因子が遺伝子に影響を与えていると見る学説が一般的です。
ダーウィン以降という言葉があります。実はダーウィンは「種の起源」による進化論の最大の弱点は、この遺伝子の動きが分かっていない点だと認識していたのです。同時代人であるメンデルとはイギリスでニアミスした事もあるそうなので、生物学上の歴史のifですね。要するに遺伝と進化は切っても切れない概念で、形質が遺伝子に拠る以上、どう獲得したか、どう発現するかという点が重要なのであって、これを称して「進化の方向性」と呼んでいるのです。ベクトルの向きは問わず、長さも問いません。
さて、そんなわけで進化には遺伝子の動きが重要であることは分かって来ましたが、遺伝子という言葉も概念も無かったダーウィン以前のラマルクが「進化の方向性」をあると考えていたのは興味深い話です。実は、環境による形質の獲得と遺伝が「なぜ」というところは未解明ながら、エピジェネティクスという新しい学問がこの点を現象面で証明しているのです。専門的な言葉で言えば「後天的DNA修飾による遺伝発現制御」です。後天的DNA修飾が環境因子にあると証明されており、実はこの点でダーウィン以降否定することで進化論が成立してきた「環境による形質獲得と遺伝」の本山ラマルクが再評価されているのです。
Chapterタイトルで「序説」とした通り、これはこれで大きなテーマとなります。内容もこれでは分かり難い部分も多々あるかと思いますので後日、本コンテンツ内で稿を改めます。

それはともかく、進化の方向性は以上のような話ですが、一年草の場合を考えて見るとメチル基の鍵がかかった「多年草遺伝子」は一年草という暦年内のプログラムと相反する遺伝子として発現することが無いのでしょう。そしてそれは一年草という進化の方向性の選択なのでしょう。

chapter4 フェノロジーの問題

フェノロジー(Phenology)は生物季節や花暦と訳される言葉ですが、自然界の動植物が季節的に現す変化を、その時の気候や天候などとの関連を研究する学問の意味でも使われます。特定の植物の開花に関して植物体の観察のみならず前述の環境や時には訪花昆虫の出現頻度なども絡めて観察しデータを蓄積する、広範かつ実践的な学術分野です。
東京大学大学院農学生命科学研究科森林植物学研究室の都内の街路樹の研究では地道な観察と膨大なデータからヒートアイランド現象が街路樹の健康状態に影響を与えていることが明らかにされました。
このように起きている現象(植物生理的な遺伝子の発現)を環境要因(発現させていると考えられる環境因子)とセットで観察することによって因果関係を証明することが出来る学問ですが、「見る」「記録に残す」といういたってシンプルな作業が意外な結論に到達することも多く、森林や湿地などでは全国的ネットワーク組織として機能しているケースも多々あります。

水田まわりの一年草の水生植物のおおまかなフェノロジーですが、数年間観察及び記録を取った現時点の結果では、夏至を過ぎるころから開花が始まり、冷夏であれば時期が遅くなる、という短日植物かつ積算温度に影響を受けるという特徴を示します。もちろん立地により日照条件や風通しによる温度の違いなどが存在しますので「必ずこうなる」とは言えません。しかし、日照と温度が水田雑草である一年生水生植物のフェノロジーにおいて支配的役割を果たしているという事が言えると思います。
確実に言える事は一年草かつ短日植物の「終わりの始まり」は日長が短くなる、温度が下がるという二つの現象です。この二つの現象は我が国の場合概ねセットで訪れますので「かつ」なのか「または」なのか断定は出来ませんが、どちらかが、あるいは両方が一年草の遺伝子に対する環境因子として機能している事が十分に考えられます。

水槽内育成で考えた場合、
(1)外光の影響による日長
本稿chapter2 一年草と多年草を参照。(あくまで日長を感じ取れる明るさなので光合成と関係があるのかどうかは不明)
(2)水温の変化
夏→積算温度の上昇、冬→設定温度下限でのヒーター作動により一定に保たれる。

という現象から変化する季節が自然下にある時のフェノロジーに一致していることが理解できます。考えて見れば夏に導入した一年草は秋口が最大の山で、冬になってしまえば翌年も育成できるという、まさに自然界のフェノロジー通りの挙動を示します。

一年草は開花結実後枯死します。当然のことなのですが、もともと多年草の遺伝子を持っており水槽という特殊な環境で何かが環境因子となって発現している可能性もあります。しかし「進化の方向性」が一年草であるため長期維持が出来ない・・・その抑止はフェノロジーの注意深い観察によってもたらされる可能性もあると思います。ただし草体を維持出来なくしているのもフェノロジーなのではないでしょうか。
今回の結論としては一年草の水草を長期維持しようとするのは今のところ無駄な抵抗ということで(汗)。

 

【欄外黒板】ナッツクラッカーの進化

進化の方向性の話が出たついでにげっ歯類の進化について。欄外のコラムですので学術的な話ではなく、飼育してみて感じた彼らの驚異の生態についての話です。テーマは「眠り」。

今までに飼ったげっ歯類のうち、キムタクのカメラのCFのように「凄ぇ」「ホ・ン・モ・ノ」「やっぱNikonだぜ」(それは関係ない^^;)と思ったのは「眠り」の合理的な仕組です。まずは今では外来生物法によって新たな飼育が不可能なタイリクモモンガ。良く知られているようにモモンガやムササビは夜行性で昼間は巣で寝ています。彼らを捕食する猛禽類は梟を除き昼行性ですので危険を避けているのでしょうが、凄いのはオシッコの生理なのです。
オシッコは臭いによって肉食獣が獲物を探す有力な手がかりになってしまいます。しかし、動物たるもの寝ていても生命活動がありますのでオシッコが溜まります。我慢していると膀胱炎になったり腎臓を傷めたりしてしまいます。実はタイリクモモンガは寝ている間にオシッコをしなくても良いように、毒素を凝縮して持っているそうなのです。そして夕方起きて外に出た際に発射するのです。
凝縮したものを一撃で発射しますので強烈に匂います。しかも、1箇所でお行儀良くいたすわけではなく、飛びながら撒き散らします。まぁこれも天敵に居場所を特定されないための「生活の知恵」なのでしょうけど。飼育していると、すぐゲージが臭くなる、周りに強烈な尿が飛び散る、という非常にやっかいなペットであることに気がつきます。タイリクモモンガの小次郎と付き合った5年間は天然素材の消臭剤と新聞紙の消費量は凄まじいものがありました。女房には「臭い箱を新聞で囲って置いてあるだけ」と言われましたが、外に出せば「小次郎、小次郎」と可愛がるのですから勝手なものです。

もう1種、現在も主(ぬし)としてご存命のチョウセンシマリスです。夜は普通に寝ますが、寒くなるとプチ冬眠をするのです。ただ完全に冬眠して春まで目覚めないということではなく、時々起きて来て餌を食べます。自然下では雪の下の穴のなかで溜め込んだ餌を寝ながら食うという引き篭もりですが、引き篭もるために10月頃から猛烈な勢いで餌を集めます。一説にはその運搬のために頬袋が付いていると言われています。10月頃から餌をあげるとすぐには食べず、頬に詰め込んで巣箱に運びはじめます。頬が膨らみすぎて巣箱の入口を通過できない、なんてことも。その辺をぐるりと1周して再チャレンジしたりしますが事態はもちろん改善していません。「少しずつ運べ」というアドバイスもリスなので分かりません。
こういう愛らしい姿は見ているだけで和みますが、困った事に「猛烈に餌を集める」時期は猛烈に気が荒くなるのです。昨日まで手の上で眠るほど馴染んでいたのが、ある日を境に向かってくるようになります。うっかり噛まれればシマリスと言えどもドングリやクリをかち割る力がありますので痛いですし血が出ます。これも考えてみれば餌の少ない針葉樹の多い亜寒帯で「やぁどうも、お先に団栗をどうぞ」なんて事をやっていたら自分が餓死してしまうので当然と言えば当然なのかも知れませんが。
それはそれとして季節によって愛らしいペットを飼っている時期(約9ヶ月)と寝てばかりで起きると猛獣の時期(約3ヶ月)とダブルフェイスのミニマルはこいつしかおりますまい。まったく面白い一粒で二度おいしいペットです。

タイリクモモンガやチョウセンシマリスがどういう環境でこのような能力を進化させて来たのか興味深いところですが、生息域がかぶる2種のげっ歯類が2様に進化しているのを見ると「環境に拠る形質獲得」も画一化した概念ではないことが強く覗えます。
この部分は常々申し上げる「神の意思」を感じる部分なのですが、どんな意思なのかと言うとタイリクモモンガやチョウセンシマリスの進化を神が司ったということではなくて、「全部分かってしまったらつまらんだろ?」という意思なのです(汗)。


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