湿 地 植 物 概 説
Outline of water plants】Vol.4 グレーゾーンの水草達
〜育成難種というカテゴリーその3 最終回〜

公開 2007.02.12
追記 2008.10.11

chapter1 湿地植物の「常態」と栄養吸収

最後のカテゴリー、(3)生長障害が頻発し美しい草姿を維持するのが困難な水草、についてです。
このジャンルには非常に美しい草姿を見せるオランダプラントやアマニア・グラキリスなどが含まれます。両種については育成難が話題になることも多く、悩んでおられる方も多いと思います。ちなみに私がアクアリウムを趣味としていた時代にはある程度の結論を得ましたが、非常に限定的、対処療法的な手立てでした。ただ、これが本稿で述べる話に繋がっていますのでまったくの無駄ではなかったかな、と考えています。
その結論、限定的かつ対処療法的な手立てとは窒素分を含む固形肥料を使用するというシンプルなソリューションでした。そして何より重要なことは「根を残す」、つまり差し戻しはせずにピンチカットで維持することがいじけさせず、枯死させない方法論であったことが経験的に分かっています。

問題はなぜ他種と違いこのような維持方法をしなければならないか、ということです。これが経験的に到達した維持方法を理論的に裏付ける話となっているのです。
両種は基本的に湿地性植物だと思われます。区分については前稿で解説しましたので不要だと思いますが、補足しますと「開花の際の草姿がどうか」という着目点があります。言うまでもなく開花・結実は植物として子孫を残す重要なイベントであり、この点一年草も多年草も同じです。オランダプラントとアマニア・グラキリスは以前の実験では完全な湿地性植物の傾向を示しました。すなわち抽水である必要もなく、湿った土壌があれば気中で開花します。水中で開花・結実する動きは見られませんでした。
両種を自生地で観察することは実現できておりませんが、同属の日本の植物であれば身近に観察できます。エウステラリス属とアマニア属のミズトラノオ(Eusteralis yatabeana (Makino) Murata)とヒメミソハギ(Ammannia multiflora Roxb.)の挙動を自生地、屋外育成、水槽育成で観察してみました。ちなみに両種とも多少の困難を伴いながら水中育成が可能な点はオランダプラント、アマニア・グラキリスに同じです。
まずミズトラノオですが、自生地では地下茎による繁茂が見られました。茎が倒れれば複数個所から発根し、新芽を出します。湿地には水が溜まった沼沢もありましたが完全な水中への進出はありません。この点屋外育成でも同じで、水中の地下茎から直接新芽を吹き水中葉になることはなく、水面近くに倒れこんだ茎から盛んに発根と新芽の立ち上がりが見られました。特に根については質量が凄まじく他種を圧倒するほど水中に伸びていました。この自生、屋外での挙動を見るに「栄養吸収の主たる手段は根である」ということは明らかです。水槽内でも正常な草姿を保つためのキラーアイテムは窒素分を含んだ固形肥料です。差し戻しに弱いことからもこう考えるのは自然ではないでしょうか。
ヒメミソハギは自生地、屋外ではミズトラノオとほぼ同様の挙動ですが水槽内ではミズトラノオの傾向をさらに増幅した動きを見せます。肥料不足、差し戻しによってまさに「アマニア」の動きを見せます。縮れ、成長不良がいとも簡単に発生します。
ここで考えなければならないのは、簡単に「水草」と括るのではなく、本来湿地性である植物の水中生活が本来沈水植物である種と同列に考えて良いか、ということです。この部分は何度も強調してきたと思いますが、乱暴に括られて「水中の栄養分を葉面吸収する」と根拠の無い話が横行してしまいます。

結論を先に言えば同列に扱うべきではない、という事ですが、この点を植物生理学の観点から検証してみたいと思います。

chapter2 栄養吸収のロジック

そもそも葉面吸収とは何でしょうか。言葉のマジックというか「葉面吸収」と言ってしまうと、成程水草は葉から栄養吸収するんだ、という事で終わってしまいますが、葉面吸収はもともと陸上植物の概念なのです。
陸上植物の葉面表皮細胞の外側は不透過性のクチクラに被われています。これは水分の蒸散を防ぐためで、逆に外界から水分等が浸透することもありません。従って葉面吸収されるという単純な言い方では足りず、葉面吸収は気孔を通して行なわれると言わなければならないでしょう。これは一般に葉面吸収は葉の表面よりも裏面からの方が速く、気孔の数も裏面の方が多いことから証明できます。ここまでは植物生理学の本ならどれでも同じようなことが書いてあります。
ポイントは「葉面吸収は気孔を通して行なわれる」ということで、クチクラが疎水性であることとセットで考えなければなりません。すると気孔もクチクラも持たない「水草」の葉面吸収とは何なのでしょうか?雑誌やネット上で気軽にこのような表現が用いられますが、ぜひ仕組を理論的に解説して頂きたいものです。はっきり言えば誤謬が大きすぎて明らかに間違っています。
念のためウィキペディアから気孔の定義を引用しておきます。


(以下引用、下線部筆者注)
気孔(きこう、Stoma)は、植物の葉において光合成、呼吸、蒸散の目的で外部から空気を取り入れるための穴である。2つの細胞が唇型に向かい合った構造になっている。葉の裏側に多いが、スイレンの葉の裏側にはなく、水中に生える水草には全くみられない

*ちなみに、ですがこのWeb百科事典は情報の精度がまちまちで個人的には全面的には信頼しておりません。あくまで参考、ということで。

さて、ここまでのごく一般的な話は宜しいでしょうか?次にやや専門的な話に移ります。
クチクラ自体は不透過性かつ疎水性の性質を持っており、均一で連続的な孔のない膜です。しかし、クチクラを構成するクチン質の実態はC18脂肪酸の重合物で分子間空隙は小さな水分子が通過できる大きさです。従って水や溶質の透過を「物理的に」可能にしています。論理的に可能にしているのが水酸基とカルボキシル基に代表される親水性基の存在です。またクチクラは負に帯電しておりカチオン(陽イオン)の浸透を容易にします。という訳で陸上植物には気孔とクチクラを利用した養分吸収の仕組があります。この機能を称して「葉面吸収」と言っているのです。くどくなりましたがクチクラを持たない水草にはこの機能は存在しません

以上の話の補完として日本植物生理学会がWebで公開している「みんなのひろば」のコンテンツ、「気孔の働きと開閉の仕組み」から一部を引用しておきます。子供向けの文章なので門外漢にも分かりやすく書かれています。


(以下引用)
気孔は光合成が盛んに行われる晴天の時に開いて、葉から水を蒸散させ、根から水や養分の取り込みを促進し、同時に光合成に必要な二酸化炭素を取り込み、光合成により産出される酸素を放出します(これをガス交換と呼びます)。また、蒸散は強い日差しで上昇した葉の温度を低下させる役割もあります。
(中略)
気孔が光に反応して開くことは、1898年、進化論で有名な C. Darwin の息子である F. Darwin により見つけられました。その後、390nm-500nm の波長の青色光 2)が気孔開口に特に有効であることがわかりました。また、気孔が開いた状態の孔辺細胞には、閉じた状態の数倍濃度のカリウムイオンが蓄積しており、カリウムイオンの蓄積により浸透圧が上昇し、水が取り込まれ、孔辺細胞の体積が増加していることがわかりました。孔辺細胞は内側に厚い細胞壁、外側に薄い細胞壁を持っており、孔辺細胞の体積が増加すると外側の薄い細胞壁が押され、孔辺細胞間の孔が開く(気孔が開口する)と考えられています。
では、どのようにして孔辺細胞内にカリウムイオンが蓄積するかということですが、孔辺細胞に青色光が照射されると、 ATP のエネルギーを利用して水素イオンを輸送する細胞膜ポンプが活性化され、水素イオンを細胞外へ能動輸送する事により膜電位が過分極 3)し、ついで、同じく細胞膜にあるカリウムチャンネル 4)が過分極に応答して開き、孔辺細胞内にカリウムイオンが取り込まれていると考えられています。つまり、細胞膜ポンプの活性化が気孔開口の重要なステップとなるわけですが、その実体は長らくの間不明でした。1999年になってようやく、細胞膜 H + -ATPaseという酵素がポンプの実体である決定的な証拠が示され、その活性化の仕組みも明らかになりました。
この研究過程で青色光受容体フォトトロピンが孔辺細胞にも存在していることが見つかりました。フォトトロピンは、シロイヌナズナの光屈性の突然変異体より同定された青色光受容体で、シロイヌナズナには2つの遺伝子が存在しています。気孔開口にも青色光が有効なことからその関係を調べたところ、2つのフォトトロピンが欠損した2重突然変異体では青色光による気孔開口や孔辺細胞からの水素イオン放出が全く起こらないことがわかり、フォトトロピンが気孔開口の青色光受容体として機能していることが証明されました。フォトトロピンに受容された青色光シグナルが、どのように伝達され細胞膜 H + -ATPase の活性化を引き起こしているのかは、まだ明らかになっておらず今後の重要な課題です(図2)。
一方、アブシジン酸による気孔閉鎖は、孔辺細胞に蓄積したカリウムイオンを排出することにより引き起こされます。孔辺細胞をアブシジン酸処理すると、細胞膜の陰イオンチャンネル 4)が活性化され、孔辺細胞からの陰イオン(主に塩素イオン)の排出が起こり、細胞膜が脱分極 3)されます。
ついで、細胞膜のカリウムチャンネル 4) が脱分極に応答して開き、カリウムイオンを排出し、孔辺細胞の浸透圧が低下し、水が排出され、孔辺細胞の体積が減少し、気孔が閉鎖すると考えられています。
(後略)


以上によって、クチクラ、気孔と養分吸収の仕組がイオンチャンネルの理屈にリンクされているのが理解できると思います。もう一度言いますが、この理屈は陸上植物のものなのです。葉面吸収について水草に適用しようとするのは以上の理由から明らかに間違いです。
沈水植物の水中からの栄養吸収は方法が異なります。残念ながらこの部分を理論的に整理した資料も文献も見つかりませんが、いくつかの状況証拠からアウトラインの推測が許されると考えています。

【状況1】水鉢や水槽からトリミングした大量の水草を乾燥させるとほんの一握りの枯草となります。水分含有量が非常に多いことが分かります。
【状況2】水草水槽でよく見られる現象ですが、底床から気体の発生があります。

この状況から推測するに、完全沈水植物に於いては浸透圧を利用した水の大量の吸収があり、主目的は水生植物に多く見られる「根に酸素を送るため」と推定されます。この過程で水に含まれる各種栄養分を植物体内で吸収することもあるのかも知れませんが理論的な背景がありません。吸収していたとしても電位差やイオンチャンネルを利用しない吸収方式の可能性があり「葉面吸収」とは言えないということなのです。

chapter3 水中葉は「水中葉」なのか

chapterタイトルが逆説的ですが、本題に戻り、湿地植物の水中生活が一時的なものであり、栄養吸収に於いて完全な沈水植物と異なるのではないか、と思われる事例をご紹介します。シロバナサクラタデ(Persicaria japonica (Meisn.) H. Gross)は水槽水中内でも長期維持できるタデ科多年草の「水草」ですが、水中生活に於いて非常に特徴的な植物です。
なにが特徴的かと言うと、水中葉と思われる小型の草体になった株の写真を撮ると必ず葉の表面でハレーションが起きるのです。ハレーションを起こす被写体はバラやツバキの葉などいかにも艶やかなクチクラを纏っている植物です。ストロボ光も反射します。こんなことがなぜ水中葉で起きるのでしょうか。
実は「水中葉」という明確な定義が無いながら、漠然としたイメージで「クチクラや気孔がない」という先入感があるからこのような疑問が出てくるわけで、水中で育つ葉が水中葉なのです。先に引用したように水草には気孔、すなわちクチクラの構造もありませんが、湿地植物の「水中葉」に残っていても何ら不思議はないのです。もちろん水中で二酸化炭素を調達しなければなりませんので水草のような仕組を持っていると考えられますが、見た限りでは「水中化」ではなく「一部水中適応、基本は矮小化」と考えられます。異形葉と呼ぶべき
でしょう。

何を言わんとしているのかというと、湿地植物を水中で育成する際には水草と同じと考えてはならないという事なのです。逆に「水草」が「気中葉を出す」ケースもあって紛れがありますが、「常態」を考えて頂きたいのです。シロバナサクラタデのように通常は湿地で育つ植物が一時的に冠水した際に生き延びる力を持っている植物は、一般的な水草水槽のように底床肥料と高濃度の溶存二酸化炭素が存在する環境では比較的長期間「生命活動を行うことが可能」なのです。アマニア・グラキリスやオランダプラントという育成難種も同様の傾向がありながら、「生き延びる力」が種としてシロバナサクラタデより弱いのではないか、と考える事ができると思います。

アマニア・グラキリスやオランダプラントは縮れます。面白いことに縮れた部位から新たな葉の展開が見られます。このような動き、水中葉にクチクラが残っているような場合、湿地植物の水中育成は実に様々な現象を見ることができます。
様々な現象は実は一つの概念によって解説することが出来ます。この部分は植物生理学的概念でもなく、ましてアクアリウム技術なんぞでもなく、進化論とクロスする部分、表現型可塑性によって、です。

*本稿、本chapterはアクアリウム的テーマを扱っているために、あえて「水中葉」という定義が不明確で用語として一般的ではない「用語」を使用いたしました。意味するところを植物学上では沈水葉と呼称します。

chapter4 表現型可塑性

表現型可塑性(ひょうげんがたかそせい)または表現型の可塑性と呼ばれる概念は簡単に言えば「同じ遺伝子型を持つ種が環境によって表現型(形質)を変化させること」です。例をあげれば上記のシロバナサクラタデが水中という「環境」で葉を矮小化させることも然り、アマニア・グラキリスやオランダプラントが同様に異形葉を出す事も然りです。
実は種によって細胞はまったく同じ遺伝子を持っており(脳も筋肉も元は同じ、ってことです)必要のない遺伝子にはメチル基というものが付き、使えないようにするだけの違いなのです。このメチル基の「鍵」が環境変化(環境因子)によって外れるのがエピジェネティクスという概念です。(これについては別稿でお話します)
つまり、海中から上陸し水中に再突入、または再上陸した水生植物の遺伝子には水陸どちらでも生活できる遺伝子を持っているということなのです。2006年に観察した「低水温湧水河川の水中化したヤナギタデ」などは好例で、同じ個体群の中に異なる遺伝子型の個体群が存在する、個体群生態学的に考えるべき問題で「解」はここにあると思うのです。水中で明らかにアントシアンが目立つ葉を形成する個体群は何らかの遺伝子情報の発現を行なっている、と考えるべきなのです。単に種子が水中に落ちて発芽した、などと簡単に考えればそこで話が終わってしまうのです。

この概念に当てはめて見れば、以前記事として書かせて頂いたヒルムシロの無酸素中での成長やアルコール発酵によるエネルギー獲得も水生植物の歴史のなかで身に付けてきた遺伝子であることが理解できます。C.D.K.Cook(Aquatic Plant Bookの著者)によれば陸上した植物が水中に再突入する試みは、上陸した5億年前からの進化のなかで100回以上に及ぶはずだと試算しています。この試みのなかで思いもよらない適応能力を遺伝的に身に付けたと考えるのが自然であると思います。
結論として、環境要因に対する獲得形質の発現は因果関係は明らかながら、明確な紐付けが出来ていない、つまり簡単に言えば湿地植物を水槽にブチ込んでも、水槽水中と言う環境ストレスが完全に水中生活できる遺伝子=異形葉形成や栄養吸収を発現しているかどうか疑わしい、ということなのです。こう考えれば「育成難種」を拙いアクア技術で何とか出来るという発想が根本的に間違っていると思いませんか?

理由が分かってもどうにかなるものではない、という点が痛いところですが技術や知識ではどうしようもない植物があってそれはこんな理由だ、と考える事も楽しいことではないでしょうか。
(難種分類の話はひとまず終わり、です)

chapter5 蛇足的整理
さて、育成難という問題を植物生理の観点から追ってきましたが、うまくテキストを整理できていないような気もしますので整理しておきます。簡単に言えば「難しい」のは育成のハードウェアやスキルによるものではなく「元々無理」が少なからず含まれている、ということです。
この概念図では四角い枠線すなわち水槽と考えても良いと思いますが、同じように水流にたなびき美しい草姿を見せる「水草」が実はそれぞれ思いは別ということなのです。沈水植物はともかく、一年草の湿地植物は早晩水面を突き抜けて気中で開花・結実するために水中で生き延びるため、渓流沿い植物は一時的な増水だと思いひたすら水が引くまで耐える、という具合に。そのあたりをまとめてみました。

(a)沈水植物 適切な光量、肥料、二酸化炭素溶存量があれば水槽に最も向いた植物
(b)水中耐性有り陸上植物 一定期間水中生活が可能。一時的に水没する環境や沈水植物から再進化した際に身に付けた形質を持っている可能性が強い。花壇のグランドカバーであるリシマキアや、耐える時間は短いがドラセナなど観葉植物が該当する
(c)一時的に沈水葉を形成する湿地植物 水没しやすい環境に育つために水中で沈水葉を形成する能力を持っている。しかしその意味は気中で開花・結実するための準備期間であり、特に一年草は沈水状態を永続させることが出来ない。ミズネコノオは難しいのではなく元々の性質なのである
(d)渓流沿い植物 常時飛沫を浴びたり増水によって水没するために水中耐性を持っている。アヌビアスは渓流沿い植物である、という説もあるが、そうであれば「耐える」時間が長いだけであると考えられる。言われてみれば明確な沈水葉は形成しない

水槽のなかを見渡せばいかに「立場」が異なる植物が同居しているのかご理解頂けると思います。「ドラセナやオリヅルランは観葉植物じゃないか」と仰る方も「イエローリシマキアは難しい」と言うわけで、育成難をハードウェアやスキルに求めても解が出ない場合も多い、ということを言いたかったのです。

 

【欄外黒板】Pentaxの遺伝子

遺伝子の話ついで、という訳ではありませんが2006年12月21日に発表されたペンタックス株式会社とHOYA株式会社との経営統合について感想など。
HOYA株式会社は世間一般の認識「メガネ、レンズメーカー」とは異なり、半導体関連や医療機器分野の優良企業です。Pentaxが合併する相手としては業種業態、財務内容から見て相応しい相手でしょう。
これで「カメラを作る企業」としては立て続けにコニカ、ミノルタ、ペンタックスが消えたことになります。(Pentaxというブランド、遺伝子がどう残るのかという話は後半の話として)デジカメ市場が大きくなりビジネスチャンスが拡大しているのになぜこんな事が起きるのでしょうか?

その前に、企業が合併したり統合したりする際によく用いられる「お互いの強みを生かしてシナジー効果(相乗効果)を〜」というのは大本営発表です。Pentaxも出来れば一本でやっていきたいのです。常識で考えれば分かります。
企業が統合すればダブる部署は不要となります。経理や人事や総務など間接部門はまさにダブりです。それぞれ専門性の強い部署の社員は「営業に飛ばされ」るのでしょうか?希望退職を募るのでしょうか?統合なってPentaxがHOYAの一部門となった際にも、HOYAがWeb上で標榜する各事業部門に対する高い達成基準が満たせるのでしょうか。それが出来なかったからこそ統合の道を選んだように思うのですが・・・

「出来なかった理由」にも通じますが、今のデジカメ市場は競馬や競輪状態だと思います。メーカーは馬券や車券を買わなければなりません。(新製品を開発しなければなりません)そして的中した(ヒットしてシェアを取った)者だけが払い戻し(利益)を得られます。
私も製造業におりますので良く分かりますが、新製品を一機種開発するためには膨大な費用がかかります。回収して利益を出すには何万台程度のオーダーではないはず。今のデジカメは「一部のマニアに根強いファン」とか「玄人受け」などは許されないのです。渾身の自信作に他社の戦略商品をぶつけられたら・・・。開発費、マーケティング費用の回収は不可能です。赤字となって積み重なるのです。製品のカタログ作りも携わったことがありますので分かりますが、カメラのカタログ一つ取っても1部1,000円程度の原価がかかっているものはザラにあります。販売店もユーザーもカタログは買いません。

【Pentaxは残るのか】
市場環境から見れば残る必然性はありません。代替メーカーが山程あります。このまま消えて行っても特別なファン以外はまったく影響もありません。
残るかどうかはひとえにHOYAの事業部門として採算が取れるかどうか、という点でしょう。K10Dで証明された通り、デジタル一眼のユーザーは「EFマウントのレンズが10本あって身動きが取れない」「ブランドがNikonじゃなければダメ」という層は少数派で、バランスの良いメカが出れば比較的容易に乗り換えます。
乗り換えを決断するに足る魅力的商品を継続して開発できるかどうかが事業部門として採算が取れるかどうかの分岐点だと思います。

ハードオフ(リサイクル店)のカメラコーナーの一角に「ジャンク品」コーナーがあり、銀塩一眼でかろうじてシャッターが切れる古い一眼レフが並んでいます。ヤシカ、ペトリ、コニカ、ミノルタ・・・消えて行ったブランドのカメラもあります。時折PentaxSPを見かけますが、はじめて一眼レフを購入した際に最後までCanonFTbと択一で悩んだことを思い出します。
M42スクリューマウント、Super-Takumar 50mm/f1.4、Pentaxの上にある「Asahi」、懐かしいキーワードが目の前に!(何度も買いそうになっています^^;)
「PentaxK10D!懐かしい、これ欲しかったんだよな」「うゎパンケーキだ、まだあったんだ!」という日が来ないことを願いつつ・・・



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