湿 地 植 物 概 説
Outline of water plants】Vol.6 ホシクサの科学PART1
〜エピジェネティクスによる史前帰化種の道筋〜

chapter0 序文

大変残念なことに私にはホシクサ(広義)の「嵌るほどの」魅力は未だに分かりませんが、この草は非常にファンが多く、ごく稀にインターネットオークションを覗かせて頂くと種によっては驚く程の高値で取引されています。南米や東南アジア産のニューカマーなどは万円単位、国産でも南日本に自生するアマノホシクサ(Eriocaulon amanoanum T. Koyama)に至っては種子の相場が一頭花(ホシクサの「星」一個分)あたり7,000円以上だそうです。
なかにはオークションに出品し高値を付けさせるために、我が濃い目の友人達に同定までさせていた剛の者も居たようで驚くばかりです。私はどう考えても仕事(利益)と趣味が結び付かない思考回路なので理解不可能。

う〜んと傲慢かましてよかですか?

「・・・狂っちょる」

そんな人気のホシクサですが、日本では一年草(*1)です。花が咲いて枯れて行きます。我が家の近所にはごく普通のホシクサ(Eriocaulon cinereum R. Br.)とヒロハイヌノヒゲ(Eriocaulon robustius  (Maxim.) Makino)程度しかありませんが、気が向くと加温環境の水草水槽で育成していました。加温環境ですから冬を越え翌年夏あたりまでは生き延びますが、それでも水中で花を咲かせ比較的短期間で枯れて行きます。「比較的短期間」というのは我が家の他の水草、パールグラスやクリプトの多くは20年選手でしたし、採集水草のうちタデ類やミズニラも数年間びくともしておりませんので、そういう連中に比べれば、という時間軸です。1ヶ月や2ヶ月の話ではありません^^;
一年草の生活史と生理は言わずもがなですが、開花や結実以外にも枯死する生理があるようで、話のコアは他稿に譲りますが、この部分で非常に疑問に思っていたことがあります。

史前帰化種の本種のオリジナルは熱帯アジアで多年草、育成は加温環境なのになぜ一年草の形質が出るのか


この疑問を解決するヒントとして熱帯から温帯へ分布を拡げてきた植物の「進化」を進化論的、かつ生態学的にクロスする個体群生態学的(*2)に考えてきましたが、考えただけで終わってしまいました(汗)。ただまったく無駄にはならなかったようで、アプローチの正しさと今回お話させて頂く少し深い理論の存在を知るきっかけとなりました。
その理論とはエピジェネティクスで、一部では「ラマルクを再評価すべき」との声も上がるほど進化論の世界ではコペルニクス的転回を強いられるはずの理論です。エピジェネティクスはゲノム解析技術の成果ですのでラマルクはもちろんダーウィンやその後に続く進化論の研究者には立証する術もなかった話ですが、データを揃えて立証できないという点では私も同じです。奇特な方がホシクサのゲノム解析を行い、かつデータを公開して下されば話は別ですが(^^;
しかし、データは無くてもこの理論を「論理的に」考えてみると上記疑問に応えてくれるヒントがてんこ盛りなのです。本稿は素人が長年の疑問に一筋の光明を見出した、という話です。裏付けとなるデータを用意できませんのであくまでも推論です。また、本稿は「Outline of water plants】Vol.3 一年草の壁」でお約束させて頂いた、獲得形質の発現についての、進化論とクロスする観点の話を私なりに解釈した解説でもあります。そんな話で宜しければ「史前帰化種が持っているかも知れない性質」としてご一読ください。てなわけで個人的メモの色彩が強いテキストですのでご承知おき下さい。

(*1)春季〜秋季にかけて屋外育成可能なハーブ類などは園芸的に「一年草」として扱いますが、シーズン通して開花・結実を繰り返し、寒さによって枯れますのでこうした便宜的な「一年草」とは違います。ハーブ類は元々多年草が多く温室などで周年育成可能ですが、ホシクサ(国産、広義)はそうではない、ということが本稿のテーマです。

(*2)個体群生態学(population ecology)は、特定の「種」の個体群(植物であれば特定地域の群落など)の生態を研究する分野で、私がブログに書いたのは湧水河川中に積極的に入り込んでいるとしか思えないヤナギタデ群落についてで、湿地に自生するものとの生態的な乖離に時間軸、つまり進化論の概念をクロスさせたらどう解釈出来るか、というお話でした。

chapter1 エピジェネティクス

【エピジェネティクスとは何か】

エピジェネティクス(epigenetics)は非常に難解な概念で、定義を見ても日本語で書いてあるのにさっぱり理解できません。引用ではなく私が理解した範囲で解説いたします。間違っていたら申し訳ない。
多くの文献やWebサイトには「塩基配列の変化を伴わない遺伝子発現の活性化または不活性化を行なう後生的修飾」とあります。もちろん何のことか分かりません(笑)。文科系頭脳と英文解釈の手法(分からない単語は辞書で調べる)を駆使して私に分かるように表現を行なうとこんなことだと思います。

遺伝子情報そのものである塩基配列は変わらないのに、後天的に遺伝子として持っている形質が出現したりしなかったりすることがあって、これを司っているのがエピジェネティクス

これでもまだ訳分かりません。訳分かるためには何らかの事例が良いと思いますが、よく引き合いに出される人間の体のエピジェネティクスがやや分かりやすい例かと思われます。

(1)人間の体を構成する細胞はそれぞれ持っている遺伝子情報という点で均一である(免疫細胞を除く)
(2)ところが現実は、それぞれの器官を構成する細胞毎に多様な性質を持っている
(3)それぞれの器官を構成する細胞毎にエピジェネティック情報が異なるため、と考えられている

もともと人間の発生段階は細胞分裂から始まります。分裂する細胞には遺伝子をコピーしますので言われてみれば多様な細胞が存在するのは遺伝子情報(塩基配列としての)以外の力が働いていることが理解できます。脳も筋肉も元は同じってことです。(脳が筋肉で出来ている方は今も同じ、です^^;)
これがエピジェネティクスであり、「異なる性質」を発現させることをエピジェネティック変異と言います。

chapter2 エピジェネティクスの発現

【エピジェネティクスの仕組】

以上の理解は「遺伝子情報に起因しない部分で発現する変異」という事で、ここまでは文科系頭で理解が可能です。しかし、エピジェネティクスの仕組について調べると「関係ないが実は実体は遺伝子情報」という仕組であるらしく、このあたりから大混乱と思考停止(汗)が始まります。

(1)元々形質の全てを持っている遺伝子のうち発現する必要のない遺伝子にメチル基が付く
(2)メチル基が付いた遺伝子はヘテロクロマチンという鍵がかかった状態で通常は使用されない(=形質が発現しない)
(3)この鍵が何らかの外的要因で外れる場合があり、外的要因は環境変化や環境ホルモンなどの化学物質も想定されている

例えば、血液中のヘモグロビンは赤血球で作り出されますが、もともと「作る」遺伝子はすべての細胞が持っているそうです。そこかしこでヘモグロビンを作ると大変(どう大変なのか分かりませんが^^;)なので、作る必要のない細胞の遺伝子にはメチル基で鍵をかけている、という寸法です。よく出来ています。このメチル基が「何かの」拍子に外れる場合があるのです。ここで発現する様々な現象が進化論を分かり難くしていると思います。
壮大な話でナニですが、法螺は大きな程もっともらしい・・・じゃなくて(^^ゞ、生物がどう進化してきたのか難しい理屈抜きに考えて見ると、現代にも起きている様々な現象がエピジェネティクスという概念で理解できます。

狂い咲き
桜が突拍子もない時期に開花してニュースになることがあります。桜に限らず「何で今頃?」という時期に開花する植物は結構あって、「狂い咲き」と呼ばれます。植物の開花は、花芽細胞の形成、トリガーとしてフロリゲンという植物ホルモンの存在が最近明らかになったらしいのですが、いつでも開花GO!の花芽細胞にメチル基が付いて開花を抑制しており(しょっちゅう開花していては植物体の体力がもちませんので)日長変化によってフロリゲンを発射している、と考えれば合理的に解釈できます。
これが例えば大気汚染やCO2による温室効果などの環境因子がフロリゲン的な役割を果たしている、あるいはフロリゲンを放出するスイッチを入れているために本来の時期ではない時期に発現しているという解釈が成り立つと考えられます。
地球の環境は過去から変化し続けています。さらに言えば地軸がずれれば日長は狂い、太陽活動の状態によって氷河期もありました。植物はもともと「いつでも開花OK遺伝子」を持っており生き残りを図っていることが十分考えられます。

化学物質と奇形
ベトナム戦争でアメリカ軍がゲリラ対策で大量に使用した枯葉剤とその後の奇形発生の因果関係が明らかにされつつありますが、この場合枯葉剤が環境因子となり遺伝子の発現状態を攪乱させていることが考えられます。(政治的な話、是非についての論評は一切行なっていません、念のため)

花粉症
まったく個人的な説ですが、花粉という異物に反応し涙や鼻水で洗い流すという防衛機能にある程度制限をかける遺伝子があるのではないかと思います。制限しないと生きて行くのが辛くなってしまいますので(^^;
この「防衛機能遺伝子」が環境ホルモンの増大によって過剰に発現してしまったのが「花粉症」ではないかと。だって昔はこんな事ありませんでしたしね。
戦後復興の木材需要によって国策として杉やヒノキの植林事業が成されたとの事ですが、自然状態では有り得ない単相林は立派な環境因子になっていた、ということで東山魁夷画伯もびっくりですね。

癌細胞
癌細胞は遺伝子の傷と呼ばれる塩基配列の変異で生じるらしい、とされていますが、人間が原始的な生物から進化して来た過程で得た様々な遺伝情報のうち「人として発現させるとマズイ」遺伝子=遺伝子の傷がエピジェネティック変異によって発生している、ということが明らかにされつつあります。
これまた化学物質など環境ホルモンの影響と言われています。化学物質が持つ変異原性そのものではなく(安全基準はここに力点が置かれています、恐いことに)エピジェネティック変異を誘発するかどうか、という観点が必要ですね。
今は皆さんの記憶にも無いでしょうけど、以前「チクロ」という危ない物質の食品への使用が騒がれた事がありますが、そんなのは可愛い方で子供の頃に駄菓子屋で食っていたものなんぞ「食品として有り得ない」色をしていたものも多数ありましたので何を食っていたか知れたものではありません。

という事で、ホシクサはおろか植物の遺伝や進化の話はろくに出て来ておりませんが、長くなってしまいましたので本論は第二部に書きます。
ただ、第一部の話は本論を語る上で絶対に外せない話で、「植物が進化してきた話と現在発現している現象を分けて考える」上で非常に重要な概念になります。蛇足の蛇足で恐縮ですがこの部分を極力平易に書いてみます。

湿地植物のなかには、水中で水中葉という気中葉と異なる機能を持った葉を出し水中生活が出来るものがあります。これは「水中葉を作る」ための遺伝子があり、水中という環境因子によって発現しているものと解釈できます。(ただし「水中葉」に対する明確な定義は知りうる限り存在しません。あくまでも「水中生活が可能な」葉という意味です)
しかし、現在の分類上非常に近似種と考えられている種にも水中化するものとしないものがあります。例えば同じタデ科イヌタデ属のシロバナサクラタデ(Persicaria japonica (Meisn.) H. Gross)はやや不完全ながら水中葉を出し、水中生活に馴染みます。ところが同じ科属であり自生環境も同じミゾソバ(Persicaria thunbergii var. thunbergii)は完全な水中生活はできません。
最近ではゲノム解析による植物分類も出て来ましたが、こんなところに理由があるのかも知れません。すなわち、両種はそれぞれ別個に進化を遂げ、シロバナサクラタデは水中化する遺伝子を獲得しておりミゾソバは獲得していない。たまたま同じ「タデ」の形状となっているに過ぎず、これから歩いていく方向は違うのではないか?下手すればどちらかはタデ科に分類してはいけないのではないか?ということです。その獲得してきた経緯を称して私は「進化の方向性」と呼びました。また自生環境及び自生形態(生態学的要素)と進化論的要素をクロスさせないと一定の環境、つまり環境因子によって起きている現象は理解できないということをヤナギタデに関するブログの記事で書きました。
この「進化論」はもちろんダーウィンの進化論ではなく、エピジェネティクスとネオトニーによる概念です。ある方は「進化の方向性はラマルク的で古い考え方」と指摘されましたが、実はゲノム解析による成果である両概念によってラマルクが再評価されているのです。もちろんラマルクがゲノム解析したわけでもなく予言的な説を唱えたわけでもありません。「考え方の道筋」がたまたま正鵠を射ていたのではないか、というだけの話です。

進化論については本稿のテーマではありませんし、テーマであっても系統的に解説できるだけの知識も持ち合わせておりませんが、既存の様々な進化論は云わば「思想」、遺伝学的にアプローチを行なう進化論は「科学」と呼んでも差し支えないと思います。しかしどちらが正解ということは無く、決定的に「なぜ」が解明されていない点は両者同じです。以前イトトンボとオニヤマンマの話(トンボの「形」が進化であるならなぜ形質にこれだけの違いがあるのか)で触れましたが、生物多様性は科学的アプローチによる進化論に刺さった棘であると思います。「環境因子によって形質を獲得する」「強いものが残る」という単純な道筋では解明できません。まだまだ神の領域であることを認識せざるを得ない範疇の話であると思います。

結論だけ書くとまた誤解されかねませんので、あえて長々と書かせて頂きました。以上を踏まえて(踏まえすぎですが)本題は後半へ。


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