育 成 メ モ 育 成 理 論

Theory9】普遍か例外か
〜「一般的な環境」は存在するのか〜



奇妙な植物

このテキストは2005.4.16に本サイト「育成の科学」に掲載した「暗黒の生命〜嫌気への適応」を改題、改編、加筆したものです。

ヒルムシロという奇妙な植物があります。水中葉、浮葉を持ち水位が下がればクチクラを発達させた気中葉を形成するという力強さがある反面、水田の強害草と言われたこの植物も農薬の普及によって急速に減りつつあります。生き残りのための強力なシステムを持っていても農薬には勝てないということでしょうか。急速に群落数を減少させ、一部の湖沼やため池で細々と自生するだけになった愛すべき奇妙な植物。非常に興味を引かれます。
今回はこの愛すべき奇妙な植物の特異な発生システムを考えながら他の植物との違い、底床環境が発芽・育生にどう影響を与えているのかを考えてみたいと思います。加えてこの植物が特殊なのか、他の植物が普遍なのか一歩踏み込んで「水草育生に於ける好気的な底床環境」が正しいのかどうかも考えてみます。
この事はとりもなおさず「水草」の水槽育成に於いて「蛍光灯が何灯」とか「ソイルを底床に」など一律に語られる育成環境に付いて異を唱えるところでもあります。

発芽成長エネルギー

基本の無い議論は「奇をてらった」だけの議論となってしまいますので、多少固いのですが植物にとっての酸素の重要性について触れておきたいと思います。
植物は昼間は光合成を行い夜は呼吸する、なんて話が出たりしますが光合成と呼吸は植物にとって全く異なる意味を持ち、異なるシステムに拠ります。光呼吸という緊急避難的な酸素呼吸は光合成の明反応と密接ですが、これは別項をご覧頂くとして。実は植物も酸素呼吸は常時行っており、その意味はエネルギー確保にあります。
呼吸により得られるエネルギーは維持、生長、輸送という生体維持に不可欠な機能のエネルギーとして使用されます。植物にとって重要なイベントである発芽時にはこの機能がフルに活性化、エネルギー必要量も大きくなります。従って酸素は特に植物の発芽期に多く消費されます。簡単にデフォルメすると次のようなプロセスとなります。(*1)

(a)種子が大量の水分を吸収し種子内の酵素が活性化
(b)澱粉や脂肪が加水分解されて発芽エネルギーとなり発芽が始まる
(c)細胞分裂が始まると呼吸エネルギーを得るために大量の酸素が消費される

開花、結実や発根なども同じロジックです。ところがこれらの原則が通用しない植物がヒルムシロなのです。ヒルムシロは発芽、生長初期に酸素と光を必要としない、いわゆる嫌気耐性を持っている植物として有名です。嫌気耐性は水生植物によく見られる特性で、稲をはじめリュウノヒゲモ(Potamogeton pectinatus L.)、ウリカワ(Sagittaria pygmaea Miq.)、などがあります。水底の泥中という嫌気的になりやすい環境に適応した特性と考えられています。
ヒルムシロは言うまでも無く「水草」です。気中葉を形成すると言っても湿地での話であり乾燥には耐えられません。特に発芽時には水が不可欠です。では水田で発芽する際の土壌の状況はどうなのでしょうか。水が入る時期の水田土壌は急速に還元状態、いわゆる嫌気状態となります。ヒルムシロはこの状態で発芽をしなければならなりません。前述の通り発芽、生長に必要な酸素が確保出来にくい状況となります。
実はこの植物は状況を逆手に取った発芽戦略を持っています。

(*1)正確なプロセスは植物生理学分野の文献でご確認ください

無酸素下での成長

休眠覚醒後、酸素濃度の低下に応答して成長を開始し、このときの伸長速度は、無酸素条件下で最大となる。また、暗黒下の無酸素中でも一ヶ月を超えて生存が可能である。(下線部引用 : 東北大学理学部第1809回教室セミナー「水生植物ヒルムシロの嫌気的環境への適応」より)
このような真似が出来るのは酸素呼吸に代わるエネルギー生産の手段を持っているからに他ならず、ヒルムシロ殖芽の場合はエタノールの合成、すなわちアルコール発酵によるものであると考えられています。(研究によれば無酸素下でも80%を越えるエネルギー充足率を持続するそうです)
一般的な陸上植物は無酸素中では枯死してしまいますが、嫌気的環境に晒されるとアルコール発酵が活性化されるようです。しかしこれは一時的な現象であり、ヒルムシロ殖芽のようにアルコール発酵を持続させ主たる成長エネルギーとする植物はやはり特異な戦略を持っているという事が言えると思います。
水生植物のなかには水中という特殊環境であるが故の面白い性質を持った植物がまだまだあります。原始的な藻類の仲間であるシャジクモも無酸素、低酸素に晒されるとGABAという物質を生成して細胞のpHを維持しているそうです。この仕組は少し光呼吸に似ており、嫌気条件下の乳酸生成の過程でできたプロトンをGABA生成反応が消費することによるものだそうです。プロトンは細胞質の酸性化を引き起こしてしまうので何らかの活動で消費してしまう必要があるのだそうです。
一般的な植物の場合もう一つ、発芽のトリガーとなっている重要な要素は「光」です。農業、園芸理論で一定の日照時間を下回る、上回ることによって花芽が形成される短日植物、長日植物は良く知られるところですが人為的な処理を行う事で園芸植物の季節外の出荷が可能となっています。 発芽には光を要する好光性種子と、光が当たると発芽しない嫌光性種子がありますが、発芽後は光合成を開始するために等しく光が必要となります。その他発芽条件は温度、湿度、土壌などがありますが、種によっては条件が均一ではなくヒルムシロのような例もあることがご理解頂けたかと思います。

普遍か例外か

水草水槽に於いて「特殊な」育成条件としてソイルという存在があります。ホシクサ類や南米産水草など人気の高い水草がソイルの陽イオン交換や有機酸による水質を弱酸性に維持する効果によって育生可能となります。(これはこれでもう一歩踏み込む必要がありますが、本稿の主題ではないのでいずれ記事を改めます)
ソイルは何かと水草育生の万能アイテムのように語られることもありますが、ソイルによってもたらされる環境が苦手な水草もあります。現象的にはパール・グラスやバリスネリアが育ちにくい事が知られています。この点に関しては個人的に遊離炭酸の存在形態(浸食性、従属性)と利用方法の違い、イオン交換によって底床に集積されるマグネシウムの吸収ではないかと考えていますが、事実は他の条件、特に陽イオンに関連するORPを全く同一にした上でpH条件を変えて行く、という精密な実験と理論の裏付けが無ければ証明できません。
何が言いたいのかと言うと、水草水槽に於いてすべての水草が等しく生長できる環境は無い、ということなのです。維持方法に於いて必須とされるCO2添加もpHを下げて浸食性遊離炭酸を間接的に増加されるという意味ではトチカガミ科の一部の水草には良くない可能性もありますね。

本題です。水草水槽に於ける「育生条件」のうち、ヒルムシロの発芽という例外を考えた場合、これも良く言われる「底床が好気的」という条件は必ずしも該当しないということなのです。水槽と屋外、両方で育生したところ次のような結果となりました。
【水槽】
水中葉(上画像)を展開し、一部浮葉も形成、その後底床中に殖芽(中画像)を残し草体が消滅。殖芽は水槽内で発芽・生長することがなかった
【屋外】
用土は秋〜春先に植物による酸素供給が途絶え、完全に嫌気となる(匂いで分かります)。それでも毎年発芽、生長、開花のサイクルを繰り返す

これも他に無加温や太陽光という変動要素があり一概に言えませんが、生長という観点から見れば本稿で扱った理論通りのことが起きています。他にも嫌気耐性を持っているというリュウノヒゲモやウリカワは水槽では育生難種となっています。太陽光という単純な要素だけではなく、水草の生長にはこのような面もあるのでは無いでしょうか。確立された維持の方法論は「その条件に合う」水草を育生するためのものであって、むしろそちらが例外、均一の育生条件は無い、という考え方が普遍であると思います。

様々なウェットランドを歩き続けていますが「底が礫質、水質がクリアー、浅水」と、大磯で高光量、低導電率の水槽のような理想的な環境に出会う場合があります。河川の上流域や本栖湖の岸辺などでよく見かける光景です。ただ残念ながら例外なく水草は自生しておりません。
ヒルムシロやササバモが自生しているのは生活排水や農業排水の影響のあるような濁った水域であることが多いですね。逆にヒンジモやバイカモなどは礫底ではない清流にしかありません。東南アジア産や南米産水草などは自生地の状況も知られていないようなものが沢山あります。このような事情を抜きにして、尚且つこれらの水草を同じ水槽に入れて「好気的底床」とか「pHがどうの」と決め付ける事自体が間違っていますね。
どんなにベストと思われる環境で育生したとしても上手く育たない草はあるもので、ベストな環境は最大公約数であると割り切りが必要です。


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