湿 地 の 科 学


Archives】4 茨城県を語る 第二版Part1

〜問題外論アーカイヴス〜



荒ぶる空の向こうに筑波山



曲者気質全開

性懲りも無くまたアップしちゃいますが、「何が書いてありましたっけ?」とお問合せがあった程印象に残らない旧コンテンツ「問題外論」の一発目「茨城県を語る」です。どうせ誰も読まないと思われますので画像少なめ、小さな文字で嫌がらせのようにビッシリ書いてしまいます。

我が県は他県在住者から見ると「ダサい」「訛りがキツイ」「田舎者」「かっぺ」「運転が荒い」など幾多の高評価を頂いており誇りに思うところです。惜しくも引退されましたが取手二高→常総学院の野球部監督を務めた木内幸男氏は茨城人の典型とも言える人物で、ニコニコ農家の縁側で茶でもすすっていそうな好々爺ですが、何をしてくるか分からない曲者という素敵な方です。茨城県人のパターンです。取手二高監督時代の全盛期には甲子園の決勝で桑田、清原を擁するPL学園を破り優勝旗を持って帰りました。試合後のインタビューでは古(いにしえ)の茨城弁と思われる朴訥な話しぶりで好人物を演じておられました。解説者、アナウンサーも好意的で「味がありますねぇ」とか「地方にも強い学校がありますね」とか呑気な感想垂れてましたが、甘い!地元で練習中かつマスコミの姿が無いときの木内氏の叱咤激励は野太く言語明瞭な準標準語です!

「こらぁ!何をやっとるんだ!そんなゴロ取れねえで甲子園行けるか!」
「雑!雑!捕球は両手!」


まぁこんなのは高校野球の監督なら普通ですよね。ただ「相手に舐めさせる」という雰囲気作りが芸術的なだけで。
ちなみに他県では一度甲子園で優勝したりすると有望な才能あふれる選手が続々集まり長く強豪高としての名を欲しいままにしますが、木内氏が去った後の同校野球部は練習試合の頭数も揃わない有様です。こんなところも我が県の特徴です。
概ね曲者気風であることは間違いないようで、徳川家の藩屏、北の抑えとしての役割を持った御三家水戸中納言家は後に勤皇から倒幕への理論的支柱となる「大日本史」の編纂を行なっています。黄門徳川光圀の世直しは月曜8時にテレビで見られるものではなく大日本史にあったという真実。従業員持株会に敵対的TOBをかけられる企業の如く間抜けな徳川本家こそ良い面の皮ってところですかな。
もう一つ「熱しやすく冷めやすい」という面があります。幕末明治維新前段階では水戸藩主徳川斉昭、重臣藤田東湖は全国区の理論的支柱で有名無名の才能溢れる藩士も数多いましたが、藤田東湖が地震で亡くなったのがケチの付き始め、中期には「水戸天狗党の乱」で暴発し遠く越前まで繰り出した挙句全員死んでいます。従って事成った後の新政府には参加できるような人材が残っていなかったという悲惨な有様。

さて、遠き日の出来事はさておき、つい先日「地籍調査」なるものがあり、猫の額どころか鼠の掌程度の「自称地主」のワタクシも立会いをさせて頂く機会がございました。直接関係は無かったのですが、何やら不思議なり面妖なりと声が聞こえてまいります。聞けば境界線を示す杭が各人記憶する位置より動いているそうな。老婆が耕す畑が微妙に面積を拡げているとの由。ははぁ成る程、この婆さん曲者なり、人知れず境界線の杭を動かし素知らぬ顔で土地をがめったな、と思われました。
問い詰める役人地主諸人の声にも件の老婆、地元朴訥な言語で「しらネ」「前からここだっぺ」とノラリクラリ。失礼ながら間もなくお迎えの声も聞こえようかという御歳、土地は来世に持って行けず、持って行くのはお上の相続税。近在にもそこかしこに物納の痕跡と思われる国有地立入禁止があるでしょうに、と思いつつ直接利害関係も無い身はヤァ手頃の見物よの、と観戦しておりました。

我が県にはこの状況を一言で表す便利な言葉がございます。「ごじゃっぺ」。FAの資格も無くメジャーに行きたい、なんというごじゃっぺ、大洗町の井川君。体躯筋力に恵まれながらもう一歩踏み出せなかった水戸市の武双山、雅山もか。才能に恵まれながら超一流にならない取手市の十文字貴信、筑西市の片山晋吾、枚挙に暇がありませんな。そう言えばもう一歩で総理だった梶山静六氏(故人)もいたっけ。彼らも成長期、青年期には幾度と無く言われたことでしょう。「ごじゃっぺ」
さらに我が県、美人度が低いと通説で水戸、仙台、名古屋なんてことも言われます。こちらも御三家です(汗)。これはですな、戦国末期にかけて常陸を統一した佐竹侯が、関が原の戦いで上杉景勝とつるんで結果的に半端な態度をとったがため出羽秋田に移封され、その際美人を根こそぎ連れて行ってしまったためです。定説です!秋田美人は元を正せば、なんですよ(T◇T)。負けたくせに美人を根こそぎ連れていくとは・・・佐竹恐るべし、と言うか壮大なごじゃっぺですな。
そう、ごじゃっぺこそ茨城県、曲者万歳、めちゃくちゃも実力のうち。ナニ?お前もそうだろうって?まぁそういう側面もあるな(爆)。



納豆風雲録

実は我が県、農業県として首都圏の食料倉庫の役割を担う重要な県でもあります。幸いワタクシ音感に恵まれたようで事前学習なしにイタリアでもスペインでも単独行動で地元レストランでオーダー出来る程度の「音学習」が得意、標準語でも大阪弁でもネイティブ並みに使いこなすため経験がございませんが、ディープ茨城出身の友人のなかには訛り故「茨城に帰って畑でも耕してろ」とか「ここはカッペの来る所じゃねぇよ」など暖かい励ましを受けた者もおります。
そう、イメージからして「農」なのです。しかし件の如く仰る方々が小汚く狭い住環境で都会型の虫達と一緒に快適な生活をおくられているのに対し、茨城県の農家がどういう生活をしているのかご覧になった方が良いと思います。私は残念ながら農家ではなく貧民ですが、農家の新築された長屋門が我が自宅より立派なのを見るにつけ「俺んちは門以下か・・・」と泣き濡れて蟹と戯れたりいたします。

農業粗生産額、耕地面積ともに全国3位、品種で見ると小麦(全国5位)、さつまいも(同2位)、じゃがいも(同4位)、キャベツ(同4位)、すいか(同5位)、ネギ(同3位)、ピーマン(同2位)、ほうれん草(同4位)、落花生(同2位)と上位を占めます。そして、輝かしい第1位には栗、鶏卵、露地メロン、れんこん、ごぼう、芝、みつばなどが並んでおります。立派です。
食料品として我が県で有名なのは何と言っても納豆でしょう。世界のnatto、北大西洋条約機構NATOより一文字多い、ねばぁギブアップな健康食品です。
日本全国には納豆メーカーが700社前後あり、意外なことに「食わない」と言われている近畿地方各府県や沖縄にまであります。もちろん我が県は本拠地ですので60社以上がひしめいております。
ちなみになぜ本拠地かと言うと今を去ること一千年前、前九年の役だか後三年の役だかで八幡太郎源義家が当地を通過した際に兵糧の大豆が腐っており、食ってみたら美味かった、というのが起源だという説があるためです。
しかし!よく考えて見れば御曹司義家はともかく、雑兵と言えどもこれから戦に行くのに腐ったものを食うのか?という根本的疑問がございます。げりげりで遠距離を歩くのはいかに古人健脚なりと言えども困難です。正露丸もストッパもありません。私は下痢の際は片道40分の電車に乗るのも恐ろしいです。
納豆に限らずクサヤ、ナマコ、ウナギ・・始めて食ったのは誰か、なぜか、どういうシチュエーションかという食品は多うございますな。キノコなんてのは「毒があるものも存在する」という食糧版ロシアンルーレット、食えるものを探し出す過程でゲリったり笑ったり時には命を落したり、幾多の苦闘があったことでしょう。目の前の大好物、ホウキタケとシイタケの炊き込み御飯は凄まじい犠牲の上に成り立っていることを我忘れまじ。
すっかり話が逸れておりますが、私の話はナックルなので本人もどう変化するか分からんので許されよ。さて本場本拠地伝統の地で有名なのは、

おかめ納豆 タカノフフーズ株式会社 本社所在地 小美玉市
元祖天狗納豆 有限会社天狗納豆 本社所在地 水戸市
くめ納豆 くめクオリティプロダクツ株式会社 本社所在地 常陸太田市
有機納豆 アイザワ食品株式会社 本社所在地 取手市
水戸天狗納豆 株式会社笹沼五郎商店 本社所在地 水戸市

ってところです。他にも有名メーカー目白押し。各社微妙に味が異なる納豆バリエーションを選べる天国です。

単なる納豆に留まらず、そぼろ納豆、干し納豆などの逸品バリエーションがあります。そぼろは切干大根が入っているのが食感が良くて美味しいですね。
以前大阪出張の際に寿司屋に連れて行かれて納豆巻を食いましたが納豆が完全に古くなっていました。いかに悪食でもビンテージ納豆は困るなぁと、親父に言ったところ、

お客さん、納豆は元々腐ってまっしゃろ

とご教授賜りました。タコ焼きやお好み焼きをご飯のおかずにする野蛮人に言われたかねぇなと思いましたが大人なので黙って食いました(汗)。
念のため言っておきますが、ワインやチーズなど文化のかほりが漂う食品は発酵食品が多いのだよ。文化人は黙って納豆を食うのだ!ってことで。言わば茨城納豆は食としての文化的成熟が背景になった進化形であり日本のカモンベイビー・・もといカマンベールとも呼べる存在だと言えるでしょう。単なる穀物の粉にタコだ野菜だぶちこんで焼いた上にソースかけただけの・・・美味そうだな(汗)

納豆ネタでは触れないわけにはいかない例の「捏造」ですが、中小零細メーカーだらけの業界は激しくダメージを受けているはずです。
品不足の際のスーパーの張り紙「TV番組の影響で極端な品薄が続いております。メーカーは現在増産に勤めておりますので暫くお待ち下さい」を信じるとすれば、全国チェーンの有力な流通と地場産業地域密着中小製造業の間にはこんな会話があったことが容易に想像できます。

流通「とにかく徹夜してでも作ってよ。出来ないなら切るよぉ」
製造「御意、頑張りますので今後とも宜しくお願い奉ります、ははぁ〜m(__)m」

そしてあまりにも短いバブルは弾け、「この調子なら営業車を新しくする頭金ぐらいは」「もう10年以上家族旅行行ってねぇな、女房と温泉にでも」という希望は去り、発注キャンセルという名のFAX用紙1枚か電話1本か、残酷な現実が残っただけ。
しかし彼らは挫けない、と信じます。我が郷土にはもう一つ諦めの良さ、という美徳があります。この精神を具現化した言葉「しゃぁあんめ」(筆者訳:仕方がないだろ)があります。捏造発覚時には地元企業のあちこちから「しゃぁあんめ」の声が漏れたことでしょう。
しかし!こんな卑劣かつ品性下劣な連中にいじられても大丈夫、我が一家は食い続けます。安価な健康食品であることは疑いの余地なく、TV程度で右往左往するような柔な財布はしておりませぬ。がんがれ納豆!



空には筑波の地勢学

茨城県は長いフラットな海岸線と北部阿武隈山地南端の山々に西部の筑波、海あり山あり、おまけに北浦、霞ヶ浦、涸沼という大規模な湖沼もあり変化に富んだ地形です。家内の実家なんぞ裏の山でマムシグサの群生が見られ山菜採りや栗拾いも出来ますが、ふと目を転じると太平洋が見えます。山菜採ったその足で車で15分程でワカメ採り。食卓には自力調達の生鮮清潔な海山の珍味が並びます。これは贅沢。
人口分布はかなり偏っており、ほぼ平行して県南北を縦貫する常磐線と国道6号線沿いに大都市が集中しています。例外的につくば市がありますが、日本のブラジリアとも称される意図的に作った町なので、自然発生的な都市と人口動態は異なります。ハイテク都市なので住民はほぼ東京都からの移民で公用語は標準語です。
ちなみに県内では茨城都民(昼間は都民、私も含まれます)の多民族都市、取手市も公用語は標準語です。全国から東京に労働者が集まる→小金がたまる→家を買う→地価の安い常磐線沿線に集まる→せめて首都圏、かろうじて首都圏の当地に集まる、という図式です。
日本全国から集まるのでそれぞれが方言を主張していてはコミュニケーションに障害が発生するわけでその辺は謙譲の精神で。町内会にも様々な土地の出身者がおりますが、唯一安定したフォームを崩さないのが名古屋出身のおばさんです。「〜してみえる」「ほぃでねぇ」独特のスイングで町内会を煙に巻きます。ご尊名は忘れても「名古屋のおばさん」で通じる偉人です。この偉人と地元ネイティブ農家の婆さんにコミュニケーションが成立するのかどうか非常に興味深いところですが残念ながら直接対決は見たことがございません。

つくば市には買い物やイベントなどでたまに行きますが放射状に延びるアクセス道路が立派で驚きます。交差する国道の方が貧弱で田舎の道路っぽく見えますな。 それはともかく、つくば市は筑波大学(旧東京教育大学)を中核に各省庁の研究機関がずらりと並び、民間企業でもインテルが日本法人を置くなど最先端の町並みと内容を持った本物のテクノシティです。地方でテクノシティを名乗る町がショボイ工業団地の一つ二つで得意げになっているのとは違います。ただ、中心を外れると昔ながらの農業地帯であることも人工都市ブラジリアに似ています。(ブラジルには行ったことはありませんが^^;)
つくば市が出来た事情に代表されるように、首都圏では大規模な機能集中が出来る用地が確保できないため、次々と色々なものが来る傾向がございます。一時話題となった首都移転で真っ先に候補地になったりしています。何十年か後には日本の首都はつくば、標準語は茨城弁(←実は苦手^^;)になっているかも知れません。その時には東京弁しか話せない連中に言いましょう。

「東京に帰って畑でも耕せ」

余談ながら(全編余談ですが^^;)つくばと言えば筑波山、山頂付近に非常に不思議な名物がございます。その名も「弁慶七戻り」。言わば巨岩奇岩の類ですが、登山道にハングしているわけです。この道をかの怪力無双武芸百般の武蔵坊弁慶が「岩が落ちたらやべぇな」と七回も行ったり来たり悩んだという伝説があるのです。
不思議なのは男のなかの男、弁慶がそんなんでビビるかい!ってことではなく、そもそも平野の真っ只中の山を弁慶が通ったか?という疑問でございます。陰険な策士源頼朝に追われる身とは言え、僅かな距離しか稼げない山中をあえて通るか、ということです。高名な勧進帳では関所まで突破していますので、そのようなウィットに富んだ一行がなぜ?ということです。伝説は伝説なのでしょうけどね。
ちなみに弁慶が悩んでから千年近く、かの巨岩は一向に落下する気配無く現存しております。まさに「杞憂」の語源通りの状況ですな。

県南部利根川、霞ヶ浦一帯は古代大規模な三角州であり現代は沖積平野とされる地形、脆弱な地盤が想像されますが実態はそうでもなく、県南部地下には巨大な岩盤が存在するそうです。(伝聞ですが)従って関東大震災の折にも茨城県では震度5を超えた場所は無かったとの事で安心です。
地震国日本では営々と築いた財が一夜にして灰燼に帰す危険が常在するわけですが、居を定める際に周辺の名所旧跡を見学されることをお勧めします。築千年ぐらいの寺や神社が現存すれば家が倒壊するほどの地震は発生していない、ということですから。話題の「耐震偽装」はこの限りではありませんが、その意味では地震より人間の方がはるかに恐いですね。

地勢学?の最後に茨城県でネイチャーを楽しめる「穴場」を1ヶ所ご紹介。茨城町、大洗町の「涸沼」です。当サイト「探検絵日記」でも一度ご紹介させて頂きましたが大規模な汽水湖です。
私が子供の頃、おおらかな時代には何をどう採集してもお咎めなしだったのか本当はいけない事だったのか知りませんが、丸々と太ったヤマトシジミを獲り放題でした。(現在は漁業権があり、明確に採集禁止の立て札もありますので不法行為です)シジミは獲れなくても釣りが非常に面白い。ゴカイを餌にハゼ釣りに行きますと入れ食いのハゼの合間にヤツメウナギ、カレイ、フナが釣れました。カレイとフナが同じ場所で釣れるんです。アクアリウムにも海水魚と淡水魚を同一水槽で飼育する技術が紹介されていましたが、面白いもんです。
初夏にはスズキ(セイゴですが)、冬にはワカサギが楽しめます。ワカサギ釣りは父に連れられ4時起きでよく行きました。真冬の遅い日の出を見ながら手漕ぎボートの数珠繋ぎがモータボートに引かれてポイントに向かいますが、時折ボラがボートに飛び込んできます。「釣らなくても飛び込んでくらぁ」と無駄口叩きながら仕掛けを準備。凄いのは文豪開高健の言う「御叱呼」、医学用語で言うところの「尿」で、トイレはもちろん船上にありませんので、ボートの縁にバランスを取りながら立ち放水することになります。この窒素分を散布した水域でアカサシという「蛆虫」を餌に釣ったワカサギをハラワタ抜かずにフライにして食すわけです。美味い・・・ような微妙なような(汗)
巨大な水湿地ですので釣り以外にも沿岸には様々なカニが居てお子様にも楽しめます。アカテガニ、モズクガニ、タラバガニ、ケガニなど(後二つはもちろんウソです)。水草も県内他所では見られないイバラモ、カワツルモなど汽水傾向を好む水草あり、上流河川の流れ込み近く淡水傾向の強い水域にはササバモ、ヒロハノエビモなどがあり湿地植物探検隊的にも楽しめます。



規模の哲学

良いものを安く買いたい、これは地域性に関係のない普遍的価値観だと思いますが、シャッキンリーグJ1、チバラギ・ローンレンジャーズには切実な問題で、我が家も例外なく原則に従っております。
具体的に言えば価格競争が激しく女房族が情熱を燃やす対象が多い、ということなのです。先頃取手駅前からイトーヨーカドーが撤退し、跡に入ったマルエツも短期間で撤退いたしました。安売りで鳴らすスーパーが価格競争に負ける土地柄なのです。
ではどんなところが「勝ち組」なのかと言うと、筆頭は地元企業である「ジョイフル本田」です。業種業態はホームセンターですが、規模は各店舗東京ドーム何個分、という大きさでホームセンターの概念とはかけ離れています。まさにワンストップショッピングです。謳い文句が「家一軒建つ」と豪語していますが誇張はありません。家一軒建った後の生活用品、趣味の品も揃えることが出来ますし、揃える買い物で現金が足りない場合の銀行、腹が減った場合の軽食、ついでに夕飯の買い物のスーパーまでテナントで取り込んだ「巨大買い物タウン」です。
専門のペットショップでも入荷が少ないげっ歯類の種類も豊富で我が家のシマリス、モモンガもここで購入しました。アクアコーナーも凄まじく、規模で有名なPD熱帯魚センター並みの売場面積があります。HCなので激安、しかも変な価格設定の商品が紛れ込んでいたり、掘り出し物も必ずあります。要は「楽しめる」わけですね。
かくして駐車場収容台数2,500台も休日は午前中で埋まり、守谷店に向かう「常総ふれあい道路」及び国道294号線には有名な「ジョイホン渋滞」が発生します。店舗がこれほど地域に影響力を持ってしまうのは珍しい例だと思います。まれに近場のHCで用事が足りる際にDやHといった全国規模のチェーン店に行きますが、品揃えの貧弱さと客の少なさに驚かされる程です。申し訳ないのですが「閑古鳥が飢え死」していそうです・・・。

これだけ誉めたんだから何か頂戴・・(爆)

規模が大きいものを好む県民性は多少あるようで、県庁など最たるものでしょう。ひょっとすると水戸市内随一の高層ビルかな?新宿丸の内あたりでは中規模の商業ビルでしょうが、なにせここは茨城県。まったく無用であることは言を待たず事実何かと批判もあった庁舎です。個人的には旧庁舎の味のある佇まいが非常に好きでした。旧水戸城跡の立地はお堀や銀杏の古木に囲まれ、荘厳さや重厚さが感じられました。古さと使い難さも十分感じられましたが(^^;
水戸駅から程近くアクセスも良い、県民にとっても便利な場所だったと思うんですがねぇ。旧庁舎は保存はされているようなので一安心ですが、歴史ある建造物を大事に使うことも重要なことであると思います。

全国的傾向だと思いますが箱物で人を集めるというのも限界があって前日本一の竜神峡の吊り橋など最たるもの。有料で渡れますが、渡っても行き止まり。作る方も渡る方も浪費以外の何物でもありませんな。それでも「日本一の吊り橋を渡った」という満足感があればこそ、今やどこかの二番煎じに抜かれ無用の長物ぶりは加速の一途、死して屍拾う者無し。
同じ県北、常陸太田市の里川に架かる無名の木橋を渡った際に感じた懐かしさ、目的を持った物の機能美は対極。この機微はすでに桃山時代に「侘び寂び」として完成している価値観なのですが、文明は文化の対語であると思いを新たにさせられた次第。閑話休題。(続く)





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送