湿 地 の 科 学 【Archives】5 茨城県を語る 第二版Part2 〜問題外論アーカイヴス〜 |
微妙な位置の原子力 さらに話は熱く?続きます・・・ 用地確保が出来ず色々なものが来るのは可愛いものなのですが「必要だが危険なので地方に分散」という発想は納得できません。隣県福島県は東北地方、すなわち東北電力の守備範囲ですが、福島第一原子力発電所(福島県双葉郡大熊町)、福島第二原子力発電所(福島県双葉郡楢葉町)は東京電力の設備です。ちなみに柏崎刈羽原子力発電所(新潟県柏崎市)も同様です。非常に不自然な立地であると思いませんか?都道府県を、地方自治がほぼ理想的に運用されているアメリカの州に置き換えて考えてみればどれだけ不思議な現象かご理解頂けるかと。 一応関東地方、東京電力の守備範囲である我が県は文句を言える筋合いもありませんが、原子力に関する国や大学の研究機関、処理施設、発電所が我が県東海村に集中しています。JCOの臨界事故は記憶に新しいところですが、「安全です」と言いつつこういう事故も起きます。世の中激しいニュースが多くすぐ忘れられてしまいますが、東海村では過去何度も放射能漏れの事故も発生しています。 問題にしたいのは事故が起きた際の影響度なのです。東海村はもちろん隣接する日立市南部(10km圏内)、常陸太田市全域、ひたちなか市全域、その他の近隣地帯にも防災無線が各戸に配布されています。(実物写真参照)昔のラジオのような形状ですが存在目的は不気味そのもの。要するに何かあった時の影響がこの広範な地域に及ぶ可能性があるということなのです。しかも恐ろしいことに何かあった時点で手遅れなのがこの手の技術。 安全と言いつつこれを各戸に配備するとは実は「安全」は神話なりと自らネガティブに証明しておりますな。いや、これをとやかく言っているわけでは無いのです。我が国には「万が一」という便利な言葉もございますから「安全でも万が一に備えた行政の姿勢」という見方もありますしね。しかし「万が一」でも(実態はこの地で原子力開発が始まった日から今日まで、大小事故の回数を日割りすれば1/10000以上なので「万が一」は言い過ぎだな)確率が残る以上「安全」とは言えないということなんですよ。 しかも何かあっても首都圏には直接の影響が及ばないという立地に意図が透けて見える気がして仕方が無いのです。この地域一帯がスリーマイル島やチェルノブイリと化す可能性もありますが、最大の受益者である首都圏には緊急かつ直接の影響は及びません。人口密度をベースにしたリスクヘッジなのかも知れませんが、受け入れる方はたまったものではありません。それは福島県や新潟県の方々も同じでしょう。 茨城県の大動脈国道6号線を北上しますと、水戸を過ぎるあたりまで平和な標識が並びます。
とか。全国で見られるごく普通の光景です。これがひたちなか市から東海村にかけて
などに変わります。車で通過する際には何となく一刻も早く通り過ぎたい、という気になってしまいます。非科学的ですが目に見えない脅威というものもあります。事故が起きる確率が0ではない現実。 この近辺の設備に仕事で入ったことがあります。(仕事は原子力関係ではありませんが、その辺はむにゅむにゅっと)通された会議室には「事故対策本部」の看板と記者会見用の机が置かれていました。仕事の話をしているケツの下か横か頭の上か、普通の生活ではお目にかかれないウランかプルトニウムかがあるわけで、やはり不気味でした。 停電でエアコンが動かねぇ、TVが見られねぇ、オール電化なら飯も食えねぇとなれば政府と電力会社は何やってるんだ!となるわけで、水力火力風力は限界、後は原子力か人力(節電)しかないと説明があれば成程無闇矢鱈に反対反対では天に唾するも同然、原子に頼るか原始に戻るかという究極の選択となる次第。妥当な代替案の提示なき反対はうましかと同義と認識する状況判断はございます。 なにしろ日本の電力事情は深く知れば知るほど悲惨の一語。電力の特性として8割の供給に落ちた場合TVが2割暗く見えるかというとそうではなく、2割の地域には供給できない、ってことになるそうです。原子力反対と叫ぶ方の家がその2割に入れば容易に主張が変わるでしょう。叫ぶ前にこまめな省電、大河の一滴を努力しなければ。なにしろ火力水力従来の手法を踏襲拡大しようにもCO2削減、環境破壊ダム反対の大合唱が起こり行くも地獄、退くも地獄、電力会社の中の人は大変なのです。他人の苦衷を理解するというのは我が国古来の美徳ではないのですか? しかし私が納得できないのは最大の受益者東京から離そう、離そうという意図が見える所で現実は細かい事故は起きつつも「原子力発電は安全」が公式見解。ならば都内に2〜3発設置してみては如何?と言いたいところなのです。 個人的には原子力に反対ではありません。危険を制御するのは技術の問題なので将来的に乗り越えられる壁でしょう。繰り返しになりますが代替手段を提示できない反対意見は無価値です。「臭いものに蓋」が東海村だという事が納得できないだけの話。 電力確保は急務の課題でこのまま需要が伸びて行けば大規模な停電が日常的に発生するようになります。このメカニズムについてはアーサー・ヘイリーの「Overload」(邦題「エネルギー」)に詳しいのですが事情と仕組は我が国でも何ら変わりはありません。 お会いした事は無いながら臨界事故でお亡くなりになったSさんは義兄の従兄弟、地縁血縁まったく無いながらいわば「遠い親戚」。この防災無線も近隣にある親戚家庭にはもれなく設置されており他人事とは思えない我が県の現状を愚痴ってみました。 *この問題は重すぎてギャグれませなんだ・・・
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