湿 地 の 科 学


Archives】5 茨城県を語る 第二版Part2

〜問題外論アーカイヴス〜



作動した時点ですでに手遅れ・・



微妙な位置の原子力

さらに話は熱く?続きます・・・

用地確保が出来ず色々なものが来るのは可愛いものなのですが「必要だが危険なので地方に分散」という発想は納得できません。隣県福島県は東北地方、すなわち東北電力の守備範囲ですが、福島第一原子力発電所(福島県双葉郡大熊町)、福島第二原子力発電所(福島県双葉郡楢葉町)は東京電力の設備です。ちなみに柏崎刈羽原子力発電所(新潟県柏崎市)も同様です。非常に不自然な立地であると思いませんか?都道府県を、地方自治がほぼ理想的に運用されているアメリカの州に置き換えて考えてみればどれだけ不思議な現象かご理解頂けるかと。

一応関東地方、東京電力の守備範囲である我が県は文句を言える筋合いもありませんが、原子力に関する国や大学の研究機関、処理施設、発電所が我が県東海村に集中しています。JCOの臨界事故は記憶に新しいところですが、「安全です」と言いつつこういう事故も起きます。世の中激しいニュースが多くすぐ忘れられてしまいますが、東海村では過去何度も放射能漏れの事故も発生しています。

問題にしたいのは事故が起きた際の影響度なのです。東海村はもちろん隣接する日立市南部(10km圏内)、常陸太田市全域、ひたちなか市全域、その他の近隣地帯にも防災無線が各戸に配布されています。(実物写真参照)昔のラジオのような形状ですが存在目的は不気味そのもの。要するに何かあった時の影響がこの広範な地域に及ぶ可能性があるということなのです。しかも恐ろしいことに何かあった時点で手遅れなのがこの手の技術。
安全と言いつつこれを各戸に配備するとは実は「安全」は神話なりと自らネガティブに証明しておりますな。いや、これをとやかく言っているわけでは無いのです。我が国には「万が一」という便利な言葉もございますから「安全でも万が一に備えた行政の姿勢」という見方もありますしね。しかし「万が一」でも(実態はこの地で原子力開発が始まった日から今日まで、大小事故の回数を日割りすれば1/10000以上なので「万が一」は言い過ぎだな)確率が残る以上「安全」とは言えないということなんですよ。

しかも何かあっても首都圏には直接の影響が及ばないという立地に意図が透けて見える気がして仕方が無いのです。この地域一帯がスリーマイル島やチェルノブイリと化す可能性もありますが、最大の受益者である首都圏には緊急かつ直接の影響は及びません。人口密度をベースにしたリスクヘッジなのかも知れませんが、受け入れる方はたまったものではありません。それは福島県や新潟県の方々も同じでしょう。
茨城県の大動脈国道6号線を北上しますと、水戸を過ぎるあたりまで平和な標識が並びます。

←土浦 ↑水戸 霞ヶ浦→

 とか。全国で見られるごく普通の光景です。これがひたちなか市から東海村にかけて

←原研那珂 ↑日立 サイクル機構→

などに変わります。車で通過する際には何となく一刻も早く通り過ぎたい、という気になってしまいます。非科学的ですが目に見えない脅威というものもあります。事故が起きる確率が0ではない現実。
この近辺の設備に仕事で入ったことがあります。(仕事は原子力関係ではありませんが、その辺はむにゅむにゅっと)通された会議室には「事故対策本部」の看板と記者会見用の机が置かれていました。仕事の話をしているケツの下か横か頭の上か、普通の生活ではお目にかかれないウランかプルトニウムかがあるわけで、やはり不気味でした。

停電でエアコンが動かねぇ、TVが見られねぇ、オール電化なら飯も食えねぇとなれば政府と電力会社は何やってるんだ!となるわけで、水力火力風力は限界、後は原子力か人力(節電)しかないと説明があれば成程無闇矢鱈に反対反対では天に唾するも同然、原子に頼るか原始に戻るかという究極の選択となる次第。妥当な代替案の提示なき反対はうましかと同義と認識する状況判断はございます。
なにしろ日本の電力事情は深く知れば知るほど悲惨の一語。電力の特性として8割の供給に落ちた場合TVが2割暗く見えるかというとそうではなく、2割の地域には供給できない、ってことになるそうです。原子力反対と叫ぶ方の家がその2割に入れば容易に主張が変わるでしょう。叫ぶ前にこまめな省電、大河の一滴を努力しなければ。なにしろ火力水力従来の手法を踏襲拡大しようにもCO2削減、環境破壊ダム反対の大合唱が起こり行くも地獄、退くも地獄、電力会社の中の人は大変なのです。他人の苦衷を理解するというのは我が国古来の美徳ではないのですか?
しかし私が納得できないのは最大の受益者東京から離そう、離そうという意図が見える所で現実は細かい事故は起きつつも「原子力発電は安全」が公式見解。ならば都内に2〜3発設置してみては如何?と言いたいところなのです。

個人的には原子力に反対ではありません。危険を制御するのは技術の問題なので将来的に乗り越えられる壁でしょう。繰り返しになりますが代替手段を提示できない反対意見は無価値です。「臭いものに蓋」が東海村だという事が納得できないだけの話。
電力確保は急務の課題でこのまま需要が伸びて行けば大規模な停電が日常的に発生するようになります。このメカニズムについてはアーサー・ヘイリーの「Overload」(邦題「エネルギー」)に詳しいのですが事情と仕組は我が国でも何ら変わりはありません。
お会いした事は無いながら臨界事故でお亡くなりになったSさんは義兄の従兄弟、地縁血縁まったく無いながらいわば「遠い親戚」。この防災無線も近隣にある親戚家庭にはもれなく設置されており他人事とは思えない我が県の現状を愚痴ってみました。

*この問題は重すぎてギャグれませなんだ・・・



ブームに乗るベタな合併劇

色々な思惑、最大の思惑は財政赤字と思われますが、全国的に市町村の合併が盛んです。なかにはこの素晴らしい大地、茨城県から出て行きたいというチャレンジャーもいる始末で(県西部の五霞町が真剣に埼玉県側の市町村との合併を望んでいる模様)なんでもあり症候群が加速しているようですな。
合併して財政基盤が安定し手厚い行政サービスが受けられるのは歓迎ですが、残念ながらこういうメリットが形になって出てくるのは時間がかかるらしく、個人的にはデメリットを多く感じております。何がデメリットかって?そりゃ道路の表示ですよ。何しろ我が家は最高権力者の嫁さんの方針でカーナビが無いのです。知らない道路を走る際には経験と感という職人的技能が必要となるわけで、表示板に馴染みの無い地名が出ていると「感」が粉々に粉砕されてしまうのです。
だいたい「つくばみらい」って何すか?「筑西」ってどこすか?あげくのはてに「坂東」ですか!一体私はどこに向かっているのか?未知の道路を走る際には時間と太陽の方向で方角を推定するというアメリカ先住民並みの生活の知恵を身に付けなければならない状況と化しております。
合併の際に新自治体にどのような名前を付けるか、これは重要な問題で付け方によっては地域住民の混乱も(俺だけか?俺だけなのか; ̄O ̄)発生するわけで、慎重かつ大胆なネーミングセンスが要求されるわけでございます。そんなセンスに溢れた名前をご紹介します。

小美玉市!

小さな美しい玉、どうです。関東平野に輝く町、美しい自然と優れた景観の「茨城の宝石」・・ではなくて東茨城郡小川町、同郡美野里町、新治郡玉里村が合併した際にそれぞれの頭の文字を取って繋げたものです。何が素晴らしいか他地域の方は分からないと思いますが、「元はどこだったのか分かる」という大きな意義があるのです。文頭のような「目指すべき姿」も彷彿させるネーミング大賞です!
TX開通と宅地開発により急速な人口増があり目出度く市政施行なった守谷市同様、いちはやく小美玉「市」の行政区分表示を国道6号線に掲示した気持ちも分かります。何か申し込んだりする際に住所を「○○郡」から書かなければならないのは何となく「田舎に住んでますぅ」的なそこはかとない気恥ずかしさがあるでしょう。もちろんそんなのは錯覚で、「千代田区」や「新宿区」と書けば東京都も省略できる便利な方々はあなたの豪邸の隅にある農機具を格納する小屋以下の住環境です。ドンマイ。悔しければベンツ(もちろん新車)を現金で買ってみろ、と。
てなヨタ話はさて置き、私は旧町名の「美野里」が好きでした。美しい野や里、事実ミズニラやヒツジグサの自生もありました。ホタルも飛びます。合併で消え行く歴史ある、味のある地名が惜しまれますね。まぁ市になったからと言って急速に変貌するような場所では無いので実態は変わらないのが救いと言えば救いですが。
合併は歪みも生んでいるようで、利根町は北相馬郡最後の自治体、河内町は阿見町、美浦村と稲敷郡を構成しますが稲敷市や牛久市によって分断されています。(2007年3月現在)最終的には郡は消えるのでしょうか。何となく寂しいですね。ただ合併は拒否権もあるようで、あまりにも有名になった東海村は下手な市より人口の多い極めて近代的な「村」として残るでしょう。競走馬のトレセンとしての全国区、美浦村も残るかも。利根町にもぜひ頑張ってもらいたいものです。

ところで!小美玉市と言えば航空自衛隊百里基地(旧海軍百里ヶ原航空隊基地、小美玉市百里)が民間共同使用となり、北関東初の空港が開設されるそうです。いったい誰が利用するのでしょうか。なにか焦点が合っていないような気がします。アクセスは良くないし、県南なら成田の方が近いし羽田に出るのも苦にならないし・・・やるのは結構ですが納税者として税金の行方が気になりますな。



巨大な実験場

茨城県民的にもう一つ納得が行かないことがございます。霞ヶ浦の外来魚。
幼少の頃は恋瀬川河口付近(石岡市)でタナゴ釣りを楽しんだものですが何時の間にか姿を消し変わって現れたタイリクバラタナゴも最近ではなかなか見られなくなりました。
これは恋瀬川、山王川、高浜入りに注ぐ都市の排水路と化した両河川による汚泥が堆積し彼らの繁殖に欠かせないベントス、特に二枚貝が減少したこともあるでしょうが、それ以上にフィッシュイーターの導入が大きな要因ではないかと考えています。
当然のことながらブラックバスブルーギルです。この両種は今や全国的問題で茨城県、霞ヶ浦水系に限った話ではありませんが、問題としたいのはこの両種を釣るルアーフィッシングの釣り人のマナーの悪さです。釣り場に至るまでにすでに迷惑。東京方面からバスボートを牽引したRVが国道6号線を北上している姿をよく見かけますが、僅かな車間に急に車線変更をかけます。牽引を忘れてしまうのでしょう。私もやられた事がありますが、ブレーキのタイミングが遅れると事故るのですよ。現に地元の友人は納車3ヶ月目のBMWの鼻先を削られました。それでも「前方不注意」の原則が適用されてしまうのです。ここは環七じゃねぇんだよ。一台二台の違いで何も起こらんのよ、勘弁してよ。
以前石原都知事は都内に入るディーゼル車に課金すると途方も無いことを仰っておられましたが、逆に都内から茨城県に入るバスボート牽引車は関所を作って追い返したいぐらいですよ。東京に入るディーゼル車の多くは都民の生活物資を搬入しているわけですが、ここに来る奴らは迷惑行為と環境汚染に来ますからね。ナニ?経済効果?いらん。
容易に風潮に乗る軽薄なワタクシも以前は牛久沼や霞ヶ浦、北浦でバスフィッシングを嗜んでおりましたが、こいつらと同類かと思うと情けなくなってキッパリ止めました。運転マナーもさることながら釣場付近の汚しっぷりです。これは都内方面からの来訪者だけではなく地元の阿呆ガキも同じです。
湖底あちこちに引っ掛かるルアー、これは根がかりで仕方がない面もありますが、湖岸に捨てられたソフトルアー、空袋、ペットボトル、菓子の包装箱、これらが打ち上げられて朽ちて行く鯉やソウギョと混在し、岸辺は用事でもなければ近づきたくないゴミ置場の有様。もちろん自分は何一つ捨てないという意思は持ちつつも、原因となった連中と同類と見られたくないというのが最たる理由です。

さて霞ヶ浦と言えばKHV、以前の記事で行方不明となった養殖業を営んでいた友人一家について触れましたが、KHVも外部からの持ち込み説が最有力という事を前提とすれば最近の移入コイ科であるチュウゴクオオタナゴが怪しく、これも恐らくは釣り人による安易な放流が元と思われ、土壌を作ってしまったのは戦後の食糧難やら何やら理由はあれどコクレンハクレンペペレイなどを移入して来た行政と「釣り味」の醍醐味を求めライギョなどを移してきた釣関係者の責任は逃れられますまい。
責任問題はともかく、こいつらがオオフサモオオカナダモハゴロモモの群落で繁殖しているとなれば、いったいここはどこの国の湖だ?という感慨を禁じ得ず、人間が仕出かした事ながら最早人間に拠る復旧は絶望的でしょう。ここが50年後、100年後、どうなっているのか巨大な実験場と化しているのが我が国第二位の面積を持つ湖の現状です。

さて文中、何種類の外来種が登場したでしょうか。苦しみのための移入、楽しみのための移入、結果として残ったものの整理を移入とは無関係な人々が考えます。おきまりのパターンで収めることが出来るのでしょうか。

おまけの余談ですが最早どうしようもないアメリカザリガニ。恐るべき繁殖力と適応力でいない場所の方が珍しい生き物になっていますが、我が県ではこいつを食する文化があります。
その名も「ザリガニ丼」で半端なエビ天丼より遥かに美味いというコラムをどこかで読んだ記憶がございます。まぁ煮炊きすれば寄生虫、病原菌の心配は無いと思いますが、自分で掴まえてやるには残留農薬がちと恐いですよね。
食うには気が引けても「一匹10円」で行政が買い上げる、なんて面白い政策だと思いますね。100万匹集めても1000万、誰も通らない橋を作る数10分の1ですよ。なんでもかんでも買い与えて阿呆な子供を生産するより「自力で稼ぐ」ことを教えるよい機会にもなりますよ。アメリカ追従は基本反対ですが「芝刈りアルバイト」で社会の入口を教える文化が日本にあってもよいと思いますね。
これが外来種駆除と一石二鳥、おいしいじゃないですか。ブラックバスは1kg100円、セイタカアワダチソウは1本5円とか・・・宝の山だな(汗)



ふじみ湖の悲劇

県央に笠間市という中堅地方都市があります。笠間稲荷や笠間焼で有名ですのでご存知の方がおられるかも知れません。
本題に入る前に、主題のバックボーンともなるべき挿話を一つ。この町の北側は山地、丘陵地になっていますが、関東地方では山地型となるミヤマクワガタが生息しています。かなり以前ですが人から頼まれて標本を作るために獲りに行ったことがあります。とある山の斜面のクヌギの木の樹液が染み出すあたりで数匹見つけましたが、様子がおかしく木にしがみ付くので一杯、という感じに弱っていました。標本にするくせに可笑しな話ですがあまりにも気の毒で見逃しました。
後で気が付きましたが、その山の裏手はゴルフ場になっておりヘリによる殺虫剤の散布を行なったようでした。この一帯はゴルフ場銀座で農地、人家もモザイク状にありますが当時は意外と気にせず空中散布をしていたようです。

何を言わんとしているのかと言うと、その通り「豊かな自然に甘える構造」です。この構造が政策意思決定にも発言にも出たのが笠間市で起きた「ふじみ湖の悲劇」です。詳細は「ふじみ湖」で検索すればいくらでも出てきますのでご確認いただくとして、結果は生態学的に貴重で美しい湖がゴミの処分場になったということです。これを暴挙と言わずして何を暴挙と言えば良いのか。
登山家の野口健氏はWebサイト上で笠間市長、茨城県知事を批判されていますが登山家に限らず自然に関心がある人間なら誰でも同じように感じるはずです。どう言葉を飾っても本質は隠せないはずで、推進者側から図らずも出た言葉は常識を覆すものでした。
問題としたいのは推進者側の論拠「ふじみ湖水たまり説」です。もとより採石場跡の窪地に湧水が溜まったものですから水溜りです。しかし、人為的な湿地、突発的に出来た湿地であるから処分場にするのに差し支えない、という論理は間違いです。断言します。
ラムサール条約は意外に有名で小学生の娘の社会科のテキストにも出ていました。(私立中学受験用の塾のテキストです。教科書で扱っているかどうかは未確認)内容もかなり正確に抑えていました。言ってみれば「小学生でも知っている条約」。ラムサール条約は自然湿地と人為的湿地の区別を付けておりません。我が国からの登録地には水田もあるほどです。そして「湿地の賢明な利用」も謳っています。

日本はこの条約に批准していますが何か?
気の利いた小学生でも論破できる説ですが何か?


これで十分ではないですか?もちろん国内法的に問題が無いのは分かっています。「法律さえ守れば何をしても良いのか」とベタな突っ込みを入れる気もございません。しかし、国際的な価値観、しかも同意して批准した国家の公的機関が行なう判断として妥当なものかどうか、ということです。
国際条約を無視して良いのなら夏の冷房設定も冬の暖房設定も必要ないわけで、この点に於いて気候変動枠組条約もラムサール条約も同じなのではないですか?吉野川河口堰もまたぞろ「影響が無い」と某役所が騒ぎ出しているようですが、

問題があった時の責任の取り方を責任者の個人名とともに公開してからやれ

と言いたい。玉虫色とはよく言いますが、何が起きても責任を取らなくて良いような構造は構造自体が間違っています。例えられるタマムシがいい迷惑です。私はふじみ湖の悲劇は未だに開いていない常陸川水門と並び我が県の恥ずべき暴挙であると思います。

*本件に関しては怒り収まらず別記事として詳述します



湿地植物的茨城県概論

本項の「語り」が辛うじて「湿地の科学」に掲載する根拠でもある茨城県内湿地植物論。書いてしまえば「あまり無い」で終わってしまうので思いも含めての概論をお許し下さい。

湿地植物の種類・量は現在でも関東では最も多い地域であることは間違いないと思いますが、現状で見られるものは何とか生き残っているレベルのものが多く昔日の面影はありません。昔日の姿、本来の姿はレイモン・アザディ氏の「霞ヶ浦の水草」に詳しく載っていますが、ガシャモク(ガシャクモと記載されていますが^^;)やイサリモ等幻のような水草も載っています。霞ヶ浦が決定的に汚れたのは常陸川水門閉鎖後ですから(因果関係ではなく現象を言っています)50年程時間軸を遡れば豊穣な湖の姿が見らるのでしょう。
霞ヶ浦、北浦、涸沼と大規模な湖沼以外に久慈川、那珂川、鬼怒川、小貝川、利根川といった大河川、大規模な水田地帯と利水のための無数の用水路、水田に水が入る時期は全国有数の内水面を誇る県ではないでしょうか。
この事が水生植物を含む生物相という観点に於いては逆に作用してしまい、大規模な水田は除草剤のヘリによる空中散布を可能にし、利水排水の便は乾田化の進展を促進し、現状では水田雑草もどこにでもある種類しか見ることができません。アカウキクサやミズネコノオなど希少種はごく一部で見られるに過ぎません。水田雑草と謳われたサンショウモにいたっては山中の隠し田のような場所一箇所でしか発見できておりません。(湖沼は除く)
私を水田雑草マスターのように仰る方もいますが、私も多くの水田雑草と巡りあうために苦労しています。何シーズンも苦労を重ねてもマルバノサワトウガラシやミズマツバにはほとんど巡り合っておりません。湿地系でもヒメハッカやミズトラノオの自生地は1ヶ所しか知りませんし、タコノアシも県内では2箇所のみ。生物多様性の意義はここで再び語る必要も無いでしょうが、農業も環境に負荷を与えていることを認識して頂きたいのです。農水省が提唱する農業・農村の多面的機能とは乖離した現実の姿、農業生産性、雑草は駆除対象、仰ることは良く分かります。そうであれば「自然環境の保全機能」なんぞと謳うな、と。農は「業」であり工「業」と対立概念ではないはず。
そこで利益を得る(結果はともかく、ですよ)人間は結果についても責任を負わなければならない。企業のISOは14001の時代です。自ら律することのない最後の「聖域」、いつまで続く泥濘ぞ。

多少のことは自然浄化で何とかなっぺ
(う〜む、このでれすけめ)

ならねぇ、ならねえ、自分の足元が覚束ない奴は他人の足元をとやかく言えんのよ。こと環境行政に関しては後進であることに反論もできまい。茨城県の環境面で評価され実質的な成果もある及川さんも飯島さんも民間人ですよ。
突っ走る民間に官が追認ならまだしも、行政補完が自然発生せざるを得ない状況は如何。これぞ真の民主主義と呼ぶには税金の使途も視野に入れる必要あり、オンブズマンが行政機能までおんぶする必要はないと思われ。



纏め切れない「まとめ」

てな訳で書いているうちに徐々に腹が立ってカルシウムも消費してしまったために第一部牧歌編と異なり暗部を辛辣に抉ってしまいましたが、この種の問題点は日本全国津々浦々少なからず抱えているもので、特に我が県市町村自治体が無能であるとは考えておりません。もちろんそれ以上に有能であるとも考えていませんが。
古くは鹿嶋臨海工業地帯、東海村原子力施設に始まり、近きはつくば研究学園都市、有象無象のゴルフ場、サーキット・・なにしろ太っ腹に受け入れ過ぎる。地域振興大いに結構、そこで恩恵を得る人間と祭りの後片付けを引き受ける人間が別人かどうかが行政の有能無能の分岐点だと考える次第。何かを決める際に霞ヶ浦でゴミ拾いをしながら思考してみては如何だろうか。
関東近県では首都圏で処理しきれないゴミを金を貰って引き受けたり、闇に紛れて県境を越えて搬入してしまうような処理業者もいるそうです。これは元々都道府県の存在意義として文化の多様性が一義であって相互補完の概念は無いことから問題となっている証左です。簡単に言えば「東京のゴミは東京で処分しろ」ということです。
文化の多様性には敗戦処理も中継ぎもないわけですが、文化を護持するためには経済の裏付けが必要なのも現実、職と収入を東京に頼る埼玉、神奈川北部、千葉京葉、茨城南部が「首都のおこぼれ」で成立している現実であれば首都の不足を補うのも周辺部の役割かと考えてみたり、首都、大都市に頼れない「地方」の経済的凋落による格差もあるわけで、何が正しいのか、大きく出れば「地方自治のあり方」の問題は一朝一夕には語れるものではありません。先発からクローザーに至るまでの分業も現状容認型ながら選択肢として妥当かも知れません。

幸か不幸か、フィジカルでもエコロジーでも汚れてしまった巨大な水溜まりを多数抱えるわが県、汚す阿呆に釣る阿呆が数多存在する一方、里山保全や自然再生に於ける先進的賢人も輩出しており、この方向性が新たな文化の一つとして認知されつつあるのは喜ばしい限り。東大も筑波大も(元は「東京」教育大学だ)環境学、生態学の現場として注目しフィールドワークのフロントともなっております。
ミクロに目を転じればわが町、どんど焼きも行事として生き残り、桃の節句にはつるし雛、端午の節句には子供が着用する鎧兜を五月人形替りにするのが一般的、語ろうにも語るべき文化もない「プチ首都」ではないのが救いか。郷に入っても従うべき規範なくどこでも金太郎飴がスタンダードというのであれば異端でも何でも結構、猫も杓子も同じ方向を向いていては救いもなく生物同様に多様性は鍵、納豆食ってだっぺ言葉で自然を語る、主は来ませり。

【茨城用語の基礎知識】
用語 知っている限りの解説
ごじゃっぺ 物事が乱雑な様を「ごっちゃ」「ごちゃごちゃ」などと表現する方言は国内に偏在するようであるが、元々の意味に「〜ist」が付いたような形容詞。要するに訳の分からない人を指す。もちろん目上の人間には使わない。
用法「おめーはごじゃっぺだな」「ごじゃっぺ言ってんじゃねぇよ」「それはごじゃっぺだっぺよ」
でれすけ これまた方言が語尾変化したロシア語的難解さを誇る方言。標準語かどうか知らないが「物事をちんたら行う」「だらだら行う」ニュアンスを茨城では「でれでれ」と称する。牛歩戦術のようなものである。「すけ」は助、すなわち人のこと。転じて「怠け者」「動作が鈍い人」など。これも目上の人間には使わない。
用法「この仕事難しくてまだ終わっていないんですが」「このでれすけが」
よばれる ごちそうになる(主)、食べる(従)。標準語で言うところの「お呼ばれ」に近いニュアンスだが、自己の所有する食物(進物など)を食べる際にも使用する。
使い方 : 昨日貰った饅頭でもよばれっか(昨日頂いた饅頭をご馳走になるか)「昼飯は食ったか?」「もうよばれた」(すでに済ませた)
こわい 疲れた、の意。「はぁ〜こわい」(あぁ疲れた)。恐いのは「恐ろしかっぺよ」などと使用。
茨城型省略呼称 ろっこく・・・6号国道(茨城県の大動脈)
にっせい・・・日立製作所(茨城県出身の大企業)他地域では日本生命を指す
しゃあんめ・・・仕方があるまい。「あ」は発音が微妙で他地域の方には「しゃんめ」と聞こえる
山田んげ・・・山田の家。家を「げ」と発するあたりは古式ゆかしい
あんめ・・・ないだろう、あるまい。「やまだんげにはかねあんめがらしゃあんめ」どうだ、分かるまい
茨城型語尾変化 だっぺ・・・ですよね、だよな。(特殊変化)野球やろうよ→野球やっぺ。なんでも「ぺ」を付けるのは千葉。「これ旨ぇっぺよ」
犬め・・・犬。「め」はこいつめ、野郎め、の「め」であるが特に蔑んでいるわけではない

(*)偉そうに解説しているワタクシですが、人生の半分以上(現時点)東京都民でした。さらに現在も所謂「昼間都民」ですので誤解、記憶違いなどが多々あることをご了承下さい。関西人がニセ関西人を見破るように茨城人はニセ茨城人を容易に見破りますので方言は用法、用量を守り正しくお使い下さい。
(*)てなわけでワタクシは元々茨城のど真ん中、県庁所在地&水戸黄門の本拠地生まれのはずですが、地元の方と会話する際に極力ネイティブで話しているつもりでも「どこのご出身ですか」と聞かれます(汗)。
(*)茨城弁その他、茨城ついてはこちら、茨城王をご参照ください。特定都道府県についてこれだけ多岐に渡り掘り下げたWebサイトは他にありますまい。製作者の方は茨城に付いての専門書(?)まで執筆されております。






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