湿 地 の 基 礎 知 識


【生物多様性】1 私見外来生物法


〜biodiversity1 告知と認知、無知と処罰、倫理と法律〜


このテキストは2005.2.12に水辺雑文集に掲載した「特定外来生物被害防止法の危さ」及び、2005.6.18に掲載した「<速報>特定外来生物第2弾」を改題、再編成、加筆したものです。両記事はすでに削除し存在しません。また2006年3月11日公開の「私見外来生物法第二部法解釈編」を2007年9月15日に本記事に統合いたしました。度々改編を繰り返しておりますが、あくまでも記事構成の都合によるもので主旨は一貫しております。記事掲載後に発生した事例、新たな解釈等は改変時に追加させて頂いております。
また、言うまでもありませんが記事の内容は個人サイトに個人の解釈、私見を掲載したものであり、記事の正確性を保証するものではなく著作者として如何なる責も負うものではありません。

法整備に至る風景


経緯はともかく非常に重い刑事罰を伴った「外来生物法(略称)」が2005年に施行されました。事の是非は別として本法が成立するに至った風景をネイチャーウォーカー的立場で振返ってみます。

水辺に限らず帰化種の存在は多く、春の風物詩となった梅、沈丁花、水仙、すべて帰化種であり、私のメインの趣味となっている水田雑草もほとんど稲作の伝来と共にやって来た史前帰化種と言われています。
もちろん植物のみならず動物、昆虫界も多くの種が帰化しています。目撃例として甚だしきは秋の稲刈後の水田で落穂を狙うスズメの群れにカラフルなセキセイインコが混じっているのを見たこともあります。
太古から帰化してきた多くの種は長年他種と共存し共栄してきました。先に挙げた梅や沈丁花など日本の固有種であると思われる方も多いことでしょう。1000年も2000年もこの地で生きて今更帰化種と言い出せば、現日本人も大陸からの移住者説が有力ですので言っている我々自身も帰化種ということになりますね。
この話は外来生物法の委員会でも議事録を見ると非常に重要な議論となっている事が読み取れます。時間軸を制限せずに帰化種を排除することになると、それこそ前述の梅や沈丁花も指定することになってしまいます。現実的な防除を議論にするのに準固有種まで含めてしまうと収拾がつかなくなります。
現実的な線引きとして江戸時代以前の帰化種は検討対象としない、という事になったようですが鎖国時代と言ってもオランダ経由、中国経由の物産の往来は盛んだったはずなので再度議論が必要な気がします。

さて、それはさて置き近年になり所謂「敵対的な」帰化種が登場しました。代表例は植物ではセイタカアワダチソウ、オオカナダモ、ハゴロモモ、オランダガラシ、オオフサモ(本法指定種)、ナガエツルノゲイトウ(本法指定種)、動物(魚類)ではオオクチバス(本法指定種)、ブルーギル、アメリカザリガニを挙げることに異論は無いと思います。これら「敵対的な」帰化種は共存ではなく在来種を駆逐することで問題となっています。セイタカアワダチソウは根から土壌中にアレロパシーを放出することで他種を駆逐、単一群落を形成しますし、オオクチバスやブルーギルはフィッシュイーターとして他の小型魚類や水生昆虫などを食料とします。
これらの「侵略的」帰化種が入って来た経緯は様々ですが、特に問題となるのは観賞用、ペット用、スポーツフィッシング用といった人間の「楽しみ」のためのものが多く、そこに楽しみが故の責任やモラルが欠如した状態が長年続いたという背景があると思います。一応の規制や罰則は存在していたものの、有効に機能しない事が最大の問題であった、と。いつもの事ですが「生物多様性条約」に批准したは良いが日本での具体的取り組みは何?という外国の問いかけに対し、有効に機能する重い罰則を伴った国内法があります、と言うための法律のような香りもします。もちろん根拠の無い勘繰りですが、本稿ではそのあたりの状況証拠も踏まえて検証を行いたいと思います。

*戦後の食糧難のために移入されたスクミリンゴガイ、ウシガエル、アメリカザリガニについては移入の事情を承知しております

【特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律 指定生物植物編(2007年8月現在)】

カテゴリー 生物名
植物 キク ハルシャギク オオキンケイギク
ミズヒマワリ ミズヒマワリ
オオハンゴンソウ オオハンゴンソウ
サワギク ナルトサワギク
ゴマノハグサ クワガタソウ オオカワヂシャ
ヒユ ツルノゲイトウ ナガエツルノゲイトウ
セリ チドメグサ ブラジルチドメグサ
ウリ アレチウリ アレチウリ
アリノトウグサ フサモ オオフサモ
イネ スパルティナ スパルティナ・アングリカ
サトイモ ボタンウキクサ ボタンウキクサ
アカウキクサ アカウキクサ アゾラ・クリスタータ

●指定種情報引用:環境省ホームページ

非パブリックコメント


マスコミ報道までされて世間の注目を集め紆余曲折のあったブラックバスの特定外来生物指定ですが、何か選定の実情が透けて見えるような経緯で、素直に「はい、分かりました」と言えない部分もあります。また自分で飼っているペットが指定されたり、上記にあるように植物中水草の比率が高く尚更です。非パブリックコメント(笑)としてこの辺りを考えてみます。

植物選定中水草の多さについて

表中、黄色いセルが「水草」ですが全てアクアリウム逸出という訳ではありません。オオカワヂシャはかなり怪しいですし、ナガエツルノゲイトウは農産物輸入への種子混入、アゾラはアゾラ農法による農業マター、と可能性の強い原因を指摘することが可能です。しかし、逸出原因は別としてある共通する事柄が見えてきます。
それは、水辺に偏っているということです。植物の選定委員の座長が水草研究の第一人者である神戸大の角野先生ということもありますが、先生に比ぶべくもない市井のフィールド愛好家としても納得できるものがあります。それは、自生する水草はすでに水質悪化など環境変化によって追い詰められており、帰化種の侵入が最後のとどめをさしてしまう可能性が強いからです。これは理屈云々を抜きにしても水辺を歩けばすぐに分かります。
この傾向は今後も続くはずで、すでに要注意リストに挙げられた水草群を見ても具体的被害から「被害の可能性」へシフトして行く事態も予想されます。(下記タイリクモモンガの指定に見られる通り、可能性によって指定される道筋も付けられました)アルテナンテラは属ごと、とかフサモ(ミリオフィラム)属ごと、とか。今後の水草愛好家は様々な制限を強いられる気もします。

ブラックバス指定の経緯

この事例は環境優先か経済・政治優先か、という非常に興味深い事例であったと思います。オオクチバス(ブラックバス)の選定に関して反対意見を開陳した議員、釣関連団体の論拠が「すでに1000億の市場を形成している」「キャッチ&リリースが命の大切さを教える教育となる」というものでした。理由自体は噴飯物で検討する価値も無いと思いますが一応。1000億の市場と言いますが、一企業で1000億程度の売上を上げている企業は山ほどあります。そのなかの1社が倒産しても社会不安や経済危機は訪れません。命の大切さを謳うのであれば、最初から釣らなければ良い。フックで付けられた傷から細菌が侵入して死に至る魚は多数います。
容易に反論を許してしまう稚拙な理由で一時は継続審議となったのも、議員がからむという我が国の悪しき政治の論理が働いたからでしょうね。さすがに環境省が良心を貫いた、というところでしょうか。

タイリクモモンガ指定の理由

私にとってはこれほど訳の分からない指定理由もありません。上記環境省ホームページから選定理由を引用します。

<引用>
定着実績 エゾモモンガ(P.v orii)は固有亜種。国内での定着については不明
被害状況 ■生態系に関わる被害 ・エゾモモンガと亜種間交雑する。ただし、自然界での亜種間交雑については、確認された事例はない

げっ歯類愛好家としては非常に遺憾です。「国内での定着については不明」「自然界での亜種間交雑については、確認された事例はない」要するに被害実態は無く、可能性の議論で指定されてしまっています。はっきり言いましょう。この文章から読み取れるのは「よく分からないけど危なそうだからアウト」です。各地で定着、跳梁跋扈しているタイワンリスと同じ扱いです。販売個体数の多いチョウセンシマリスも第三次で来そうな感じですが、これまた被害実態の調査よりも可能性の論議で決ってしまう気がします。
これは非常に重要な話ですので次項で詳述します。

という訳で、誰もが納得出来る選定あり、政治と市場原理に翻弄される指定あり、机上の理屈で決る選定あり、現状は何が出るか分からないというのが正直な感想です。もちろんパブリックコメントその他異を唱える道は残されていますし、選定にあたっては民間の専門家、有識者による委員会の合議によるものですから極めて民主的です。そう思われない方は国民生活に直結する消費税法成立や年金法改正がどのようなプロセスで行われたのか一度調べてみることをお勧めします。ただし瑕疵に対し異を唱えることが出来るのも民主国家の国民の権利です。

「可能性」議論


さて、我が家には2001年4月以来タイリクモモンガの小次郎がおります。モモンガは最近やや飼育者が増えて来たげっ歯類で、夜行性らしい大きな目と、大きな目を持つための大きな頭、滑空のための皮膜や平べったい尾など他種に無い面白さがあります。
この愛らしいペットが「特定外来生物」として指定されてしまいました。再三ですが民主的に決められたものですし、法律ですので従わざるを得ません。しかし、前項で触れたように「可能性」に基づいて選定を行うという危険性に気がついているのでしょうか。

如何なるわけか(売れないからでしょうけど)ロシアのノーベル賞作家ソルジェニツィンの著作が入手し辛くなっていますが、名高い「収容所群島」では出身がブルジョアであったり特定の民族であったり些細な違反(贅沢品を入手したり不用意な発言をしたり)の結果、何十年も過酷な収容所に入れられてしまう人々の運命が膨大な事例として描かれています。これは今から見れば被害妄想としか思えない「反逆する可能性」に取り付かれたスターリンの意思によるものです。
我が国でも高々60年程前には治安維持法という法律があり、主義主張が違うために内乱を起こす「可能性」がある、と判断された人々が逮捕・投獄された事実があります。可能性による制限はここまで極端ではなくても人間の権利に踏み込む行為です。この法律の運用では簡単に言えば「帰化する可能性がある」と選定委員の合意があれば容易に指定されてしまうということになります。可能性の議論であれば私でも出来ます。
今回の対象はもちろん人間以外の生物であって権利が云々の話ではない、というご意見もおありでしょう。しかし私が問題にしているのは「可能性という不透明な理由で法律が施行されてしまう危険性」なのです。

観賞魚や水草は業としている方々を除けば所詮「楽しみ」の部分で生活に必要不可欠ではありません。可能性がある、と言い出せば丸ごと指定されてしまう場合も考えられます。この点は非常な危惧を覚えます。(危惧は覚えますが本音として、自然環境を歩いていると「そうすべき」という内なる声も聞こえてきます)

*以前からペットとして飼養していた、という事で継続飼養のための申請書を準備していた2006年3月13日早朝にタイリクモモンガの小次郎は死去しました。申請から認可までどのような時間軸とプロセスで行われるのか非常に興味がありましたが果たせませんでした。
もちろん考え過ぎですが、人間の都合で異国に連れて来られ、本来の生息環境と懸け離れた環境で生き、終いには害獣扱いされた抗議の死であるような気がしてなりません。

告知と認知の問題


「事情も法律も知らない個人への罰則適用」これは最も納得し難い部分なようで議論もありました。この点について以降、法解釈として考えてみましょう。

回り道ですが最近似たような事例がありましたので、検証例として「家電用品安全法」の話から。知らない方も居られると思いますが(これがまさに本項のテーマですね)2006年4月以降、PSEマークが無い家電製品の売買が出来なくなりました。この法律も告知が足りないために大きな問題と議論を引き起こしています。主なところをご紹介します。

●国が進めている「循環型社会」の理念に反する法律ではないか
●家電リサイクル業者の在庫など、猶予期間では捌ききれず、生業の道を奪うもの
●真空管アンプや名品と言われているシンセサイザーなど中古品に支えられている音楽文化と高額なエレクトロニクス楽器を中古市場でしか入手できない若い音楽愛好家、プロ志向のアマチュアを圧迫する行為

特に最後の点はギタリストの高中正義氏やキーボード/作曲家の坂本龍一氏が中心となって署名活動などを続けておられるようです。また、オーディオの名品を扱う業者などは在庫の全てが売買禁止という企業としては致命傷を受けた結果となっています。
これだけ社会的影響の大きな法律が「告知が足りない」とは如何なるわけでしょうか?施行は間違いなく行われるので存在を知らず罰則を適用される者も出てくるでしょう。法律の執行とはそういうものであり、知らなかったという言訳は通用しません。「知らなかった」が通用すればそもそも法律を制定することにも意味が無くなってしまいます。
それでも粛々と進んでしまう法律の施行。外来生物法に於ける罰則の適用もまったく同じ状況ですね。反対や異議は権利ですが、矛盾点が法律の条文として改正されない限り違反すれば罰則を受けます。明示された条文以外に法律は無く「悪法も法なり」です。
家電用品安全法が悪法である、と言い切れるのは国自身が法律の抜道を次々と用意し、結局はザル法になってしまっている現状が何よりの証拠です。


外来生物法に於いて「何も知らない個人が知らない間に垣根を越えて処罰されてしまう」。これは告知と認知の本質的問題ですね。例えば本法関連やこの問題を扱っているWebサイトをまったく見ない方々は存在を知る由もありません。目立つ場所にポスターもありませんし、広範に小冊子が配布されているわけでもありません。TVコマーシャルも見た記憶がありません。(あったのかな?)告知については「国民全員に徹底」は事実上不可能ですから程度問題の話となってしまいます。告知が足りない、と思っても告知する側が十分と考えればそれ以上議論は進みません。

現時点では「金魚が寂しそうだから水草を入れてあげよう」と、子供と優しいお父さんが川でミズヒマワリを採集し持ち帰って金魚の鉢に植えてあげた、これだけでアウトです。まさか取締官が1軒1軒金魚鉢を見て廻るわけではないので、摘発されて処罰される可能性は低いと思います。
ただ「誰も見ていないから」というのでは精神が貧困です。違法にホテルを改造した某社長が「60km制限の道路を67〜68kmで走る程度のこと」と放言されましたが、これも立派に違法です。現場でガチガチに運用すれば切符も切られますし罰金も取られます。
免許証を取得する際に学科試験がありますが、これは道路交通法そのものであり、受験された方は勉強されたことと思います。実は外来生物法もこれと同じ事ではないかと思うのです。車やバイクや歩行者が制限速度や信号や一方通行などを無視すれば収拾がつかず事故も多発するでしょう。輸入された生物のみならず生物を飼うという事はルールを知らなければならない段階なのではないか、と。
今までも何もルールが無かったわけではありませんが、倫理的な面に偏った不文律、暗黙知といったカテゴリーでした。これが明文化されて法律となったのは、場合によっては交通事故による損害と同様の損害を環境に与え続けるから、ということなのだと思います。極論ですが、車に乗るなら道路交通法、生物を飼育するのなら外来生物法を覚えなければならない、という事だと思います。
厳しい言い方をすれば権利のみあって義務が希薄であった小動物、観賞魚飼育が初めて課せられた重い義務が本法なのではないか、と。もちろん考え方は千差万別ですが、私にとってはこのように感じられます。

認知に関して2007年8月に嬉しい出来事がありました。トンボや水草の種類が非常に多い里山のため池で釣りを楽しんでいた「普通のおじさん」に出会いました。ちょうど帰り際でしたが、釣れた魚からブルーギルを選び出し傍らの雑木林に埋めて行きました。私の長男も見ていたので子供に残酷なおじさんと思われるのが嫌だったのでしょうか、誰にという事もなしに「法律で決まっていることだから・・」と呟いていました。
失礼ながら「釣り人&普通のおじさん」が外来生物法の作法をご存知とは嬉しい驚きでした。分解されないソフトルアーを平気で廃棄して行くバサーの連中は相変わらずリリースをしていましたが。こういうのを見ると「知っていても知らなくても」厳しい処罰は必要、と考えざるを得ませんね。

解釈の揺らぎ


法律の「解釈」というと「こういう解釈もある」という言葉の定義の違い、ニュアンスの違いが争点になりがちですが、実はそういう部分は動かない厳密な「決まり」があります。例えば法律の世界で「みなす」と「推定する」。日常生活でも使う言葉ですが法律の世界では重さが違います。「〜は、有罪とみなす」は「そう思っちゃうよ」ではないのです。反証が出ても覆らない準事実なのです。反証によって覆るのは後者。重大な相違点があります。
条文に書いてある言葉は意味があり、逆に書いていないことは意味がない、という事です。ただし故意と過失について法理論として確立した刑法と異なり、外来生物法では解釈の揺らぎとも見える部分もあります。補足の意味でこの法律の考え方についてご説明いたします。

悪意が無いまま垣根を乗り越えてしまう人間に処罰がありえるか、これは非常に重いテーマです。この法律には明確に故意と過失の区分が規定されておりません。条文を読めば過失であっても一律に処分されてしまう解釈が成立します。
事情を知らない悪意の無い人間を処罰するのか」心情的には私も同感ですが、心情を汲むのは量刑を決める裁判官であって、法の執行には無関係です。この部分をどう考え、万が一そのような立場に立たされてしまった時にどう「争える」のか、個人の立場として書いてみました。
尚、私は企業法務で著作権法や特許法、個人的係争で民法、消費者契約法などはある程度理解していますが法律の専門家ではありません。ここに書いた解釈が通用するのかどうか、判例も無いためまったく不明です。あくまで「法律条文に書かれていること」を解釈したに過ぎません。あらかじめお断りさせて頂きます。

さて、このような例をどう考えれば良いのでしょうか。

(a)子供と魚獲りに行ったところ、網の中にブラックバスが入った(適法)
(b)子供が飼育したいというので持ち帰ろうと考えた(考えただけでは適法)
(b2)持ち帰ろうと思ったがその場で死んでしまった(結果として持ち帰らなかったので適法)
(b3)持ち帰ろうと思ったが家に着く直前に死んでしまった(結果は同じだが移動させているので違法)

(a)は合法です。釣ったり捕獲したりすることを禁じていません。(b)は明らかに違反です。環境省のQ&Aも参照して欲しいのですが「生きたまま運び出す」ことが違反です。ブラックバス釣り大会で隣接道路を経て計量所に持ち込むことさえ違反とされています。
すると面白い事に「故意に持ち帰ろうとした」意図は同じであっても(b2)は本法に抵触せず(b3)は違法となってしまうのです。
何が面白いのかと言うと刑法上の故意の概念、過失の概念は通用せず、結果責任のみ問われるという非常に面妖な運用になってしまうのではないか、という点です。少し掘り下げてみます。

故意か過失か


法律の世界、特に刑法に於いては故意か過失かという点は処罰の有無、量刑の重さで重要な分岐点となっています。Web上の百科事典として定評のあるWikipediaより引用します。

<引用文、下線部筆者注>
いかなる場合に故意が認められ、また、過失が認められるかの限界の問題として、「未必の故意」と「認識ある過失」の問題がある。故意犯は原則的に処罰されるのに対して、過失犯は特に過失犯の規定がないかぎり処罰されないことから、故意と過失の区別は刑法上の重要な問題のひとつである。
この問題については、認容説や認識説といった学説が存在する。
認容説によると、未必の故意とは、犯罪結果の実現は不確実だが、それが実現されるかもしれないことを表象し、かつ、実現されることを認容した場合をいう。この説では、結果の実現を表象していたにとどまり、その結果を認容していない場合が、認識ある過失となる。つまり、故意と過失は認容の有無によって区別されるとするのである。
認識説は、認容という意思的態度は要求しない。
認識説の中の蓋然性説によると故意は事実の認識で足りるとする立場をとる。結果発生の蓋然性が高いと認識した場合が故意となり、結果発生の蓋然性が低いと認識した場合は過失となる。
動機説と呼ばれる見解もあり、認識説系のものもあれば認容説系のもあり、その内容もさまざまである。この中のある見解は、犯罪事実を認識しつつこれを犯罪の実行を思いとどまる反対動機としなかった場合に故意があるとする立場をとる。この立場によれば、認識ある過失とは、いったんは結果が発生するかもしれないと思ったが、行為の時にはその認識を打ち消し、結果は発生しないだろうと思った場合をいう。
<引用 以上>

簡単に言えば刑法では法に触れる行為は故意の場合は処罰、過失の場合は処罰しないのが原則。ただし主な法律には「過失傷害」「過失致死」などの過失に対する規程もあり、量刑が違うだけとなっているということです。
では外来生物法はどうなのかと言うと、過失に対する規程はありません。では過失は処罰の対象にならないか(過失に対する規程がありませんから)と言うと、ここが法解釈の難しいところなのです。
「事情を知らない個人」は事情を知りませんし法に触れる事も知らないとしますと、「結果発生の蓋然性が低いと認識した場合は過失」でもありません。刑法の解釈上は無罪、まったく処罰されることはありません。しかし刑法は故意の規定もありますので過失が成立するという点が要注意なのです。そもそも外来生物法には故意の規定も無いのです。従って故意か過失かという点は争点にならないという事なのです。
個人に関係あると思われる第4条を見てみましょう。

<外来生物法 第四条>
第四条  特定外来生物は、飼養等をしてはならない。ただし、次に掲げる場合は、この限りでない。
一  次条第一項の許可を受けてその許可に係る飼養等をする場合
二  第三章の規定による防除に係る捕獲等その他主務省令で定めるやむを得ない事由がある場合

飼養の禁止についてはこの条文のみです。「飼養等をしてはならない」のです。そしてこの条文に違反した場合の罰則です。

<外来生物法 第三十三条>
第三十三条  次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一  第四条又は第八条の規定に違反した者(前条第一号又は第五号に該当する者を除く。)
二  第五条第四項の規定により付された条件に違反して特定外来生物の飼養等をした者
三  第二十三条の規定に違反した者

何も知らなかった個人が飼養してしまった場合、厳密に適用しようとすればこの結果となります。

<外来生物法 第三十二条>
第三十二条  次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一  第四条の規定に違反して、販売又は頒布をする目的で特定外来生物の飼養等をした者
二  偽りその他不正の手段により第五条第一項の許可を受けた者
三  第六条第一項の規定による命令に違反した者
四  第七条又は第九条の規定に違反した者
五  第八条の規定に違反して、特定外来生物の販売又は頒布をした者

第32条では第一項に「販売又は頒布をする目的で」とあります。「故意は事実の認識で足りる」という解釈をすれば第32条こそが故意の違反を規定した条文と考えられなくもありませんが、どちらにしても第4条違反に対する罰則の第32条、第33条とも過失に対する規定はありません。
見方を変えます。前出の例で、魚を捕まえた人間がブラックバスという魚を知らなかったとします。そして他の方に好意で頒布したとします。刑法解釈からすれば過失です。これが違法と知りながら業のために取引を行った者と同じ量刑です。さらに後者でも「違法とは知らなかった」と主張することも出来ます。未必の故意か全くの過失かは裁判となり量刑が決る場合、情状酌量の大きな要素となってしまいます。
このような解釈が出来てしまう点、刑法に比べれば非常に不完全な法律であると言わざるを得ません。万が一「事情を知らない個人」が摘発され異議を申し立てした場合、国を相手取った裁判になりますが、この部分の解釈が裁判官に委ねられることになります。すなわち、「過失は処罰しない」のか、過失規定があると解釈するのか、ということです。

現実の運用


次に現実の運用についてです。様々な事例に当てて考えるとある事実が浮かび上がってきます。
本法を権源として取締を行う者は特定外来生物被害防止取締官として定められています。

<外来生物法 第十条>
第十条  主務大臣は、この法律の施行に必要な限度において、第五条第一項の許可を受けている者に対し、特定外来生物の取扱いの状況その他必要な事項について報告を求め、又はその職員に、特定外来生物の飼養等に係る施設に立ち入り、特定外来生物、書類その他の物件を検査させ、若しくは関係者に質問させることができる。
2  前項の職員は、その身分を示す証明書を携帯し、関係者に提示しなければならない。
3  第一項の規定による権限は、犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない。

<外来生物法 第二十六条>
第二十六条  主務大臣は、その職員のうち政令で定める要件を備えるものに、第六条第一項又は第十条第一項に規定する権限の一部を行わせることができる。
2  前項の規定により主務大臣の権限の一部を行う職員(次項において「特定外来生物被害防止取締官」という。)は、その権限を行うときは、その身分を示す証明書を携帯し、関係者に提示しなければならない。
3  前二項に規定するもののほか、特定外来生物被害防止取締官に関し必要な事項は、政令で定める。

少し簡略化してみます。大原則は、(1)特定外来生物を飼養する場合には法律を守り、許可を受けなさい(2)時々立入検査をするかも知れませんが身分証を明示し犯罪捜査並の権限も持っていません。(3)これが唯一取締を行える取締官です、と書いてあります。
この特定外来生物被害防止取締官についてはニュースサイトで検索する限り、環境省の職員41名が選任されたということですが、人数については特にコメントの必要も無いでしょう。Gメンの数が足りず権限も小さいのであれば警察等への権限委譲が行われる可能性もありますがこの場合は第26条の規定がネックとなります。それ以前にノチドメとブラジルチドメグサの区別も付かない素人に取締官は務まらないでしょう。
違反を摘発する際の権限の弱さも気になります。「犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない」何とも含みのある条文です。「販売又は頒布をする目的で」まさに法人としての違反を摘発し最も重い罰則である第36条を適用しする場合、証拠としては仕入売上伝票など経理伝票の押収が必要ですが、それが可能かどうか非常に微妙です。微妙と言うか法解釈に於いては権源はありませんね。

個人的感想文


ここまで読んで下さった方の脳裏には「この法律は実効力が希薄」「故意か過失か以前に罰則が適用される可能性も低い」という事情がインプットされたことでしょう。でも私が言いたいのはそうではないのです。
特定外来生物と罰則以外、書いてある事は法の施行以前から当たり前の事なのです。環境系のWebサイトや雑誌、文献等で「飼い切れなくなった動植物をリリースしてはいけない」という文面をご覧になったことはないでしょうか。少しでも自然環境に興味がある人間にとっては不文律ですね。これが法律として成文化されただけの話なのです。
日本には「罰則があるので遵守する」という幼稚な精神構造が残念ながら存在します。電車内で携帯電話で会話する方や道端の吸殻は一向に減りません。これは一部を除きマナーと称される部分ですが、何のためにマナーがあるのかということです。
外来生物法はマナーで訴えても効果がなく、罰則なしに放置すれば生態系がもたないからこそ出来た法律だと思います。出来たばかりで書いてきたような不備は多々あります。でもこの法律がやや未整備の状態で施行されてしまったのは、原因は我々国民側にあるような気がしてなりません。何も言わなくても当然の事が出来る大人、であれば法律の必要もありません。
「お年寄りや身体の不自由な方に席を譲る法」「携帯電話使用禁止エリアで妨害電波を出す法」こんなことまで法律で縛られたくないでしょう。外来生物法は本質的にはこの部分に踏み込んだ法律であるようにも思えます。
不備によって処罰される事に対する異議は個人の権利ですし、争うポイントは本稿にある通りです。しかし遵法はそれ以前に義務であり原則です。繰り返しになりますがこの点は最後に強調しておきます。
(ひとまず終り)


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