湿 地 の 基 礎 知 識


【生物多様性】6 里地里山


〜biodiversity6 二次的自然の重要性〜


撹乱の必要な自然

雑木林や畑、水田を縫う田舎道、水草生茂るため池、こんな里地里山の風景は日本の原風景と言っても良いかも知れません。都会育ちの方でもほっとする風景だと思いますし、田舎育ちの私には尚更懐かしく愛おしい風景です。
近年この「里地里山」を再生維持しようという動きがあります。これは単に「懐かしさ」や「癒やし」を求めるものではなく、生物多様性国家戦略の一環として位置付けられている動きです。環境省のコンテンツには生物多様性や世界遺産と並ぶレベルで取組みがアップされています。
里地里山がなぜそんな大ごとになっているかと言いますと、自然という概念のうち重要な部分を占める「二次的自然」の本質がまさに里地里山であるからなのです。「二次的自然」と言うと難しい表現ですが、実は簡単なことです。EICネットの定義から一部引用させていただきます。

(一部引用)人間活動によって創出されたり、人が手を加えることで管理・維持されてきた自然環境のこと。里地里山を構成する水田やため池、雑木林、また、採草地や放牧地などの草原などがこれにあたる。二次的自然は、人が手を加え続けることによって維持されてきたが、放棄されると遷移が進み、二次的自然に特有の動植物が生息できなくなる。

つまり自然環境でありながら人間の力に拠るところが大きな自然環境が二次的自然というわけです。具体的には長い間経済林として下草刈や枝打ちによって風通し良く管理されてきた雑木林が、電気・ガスによって経済的価値が無くなり放棄された結果、笹などの下草が繁茂しカタクリやスミレなど林床の小型植物が姿を消し、適度な湿度によって醸成されクワガタムシやカブトムシなどの幼虫の餌となる朽木や落葉の堆積も無くなり甲虫も生息できなくなっています。草原も牛馬が農業機械に変わったことで牧草の必要が無くなり放棄されれば低灌木が侵入し、森林化への遷移が始まってしまいます。
生物多様性の概念ですが、里山特有の動植物が持っている可能性を人類の未来のために残すのが義務なのです。抗生物質の発見がどれだけ人類の未来に貢献していることか。これはイギリスの細菌学者のフレミングが1928年にブドウ球菌から発見したペシニリンを嚆矢とします。様々な生物のうち、このような可能性に満ちた遺伝子を持っている生物も必ずいるはずです。現代の技術では無理でも後世このような発見があるはずです。生物が絶滅してしまえば可能性も消滅してしまいます。つまり可能性に満ちた生物の生息空間が里山なのです。
このような「管理された自然」特有の生物にとっては里山は重要な環境であり、「管理」を特に「適度な撹乱」と呼ぶことがあります。自然環境下での撹乱は自然災害なども含む大きな概念ですが、里山に関してはほぼ人間による「管理」が中核的な概念です。

里山が消える理由

里地里山の保護が環境省という国家機関がテーマにしなければならないほど重要なものになってしまった理由は上記に述べた通りですが、里山が減少してしまった理由はライフスタイルの変化に求めることが出来ます。人間が生活する上で必要な熱源は落ち葉や下枝から電気・ガスに替り、農作物の肥料は堆肥から化学肥料に替りました。労働によって自然から得ていたものが便利に簡単に入手出来るようになったわけです。
このライフスタイルの変化の是非についての解は簡単です。誰にでもある文化的生活を営む権利です。地域毎に生活の質が異なるのは現状インフラ整備の温度差、地方自治の予算規模や方向性によって仕方がありませんが、望みうる最高の文化的環境を享受する権利は誰にでもあります。また里山の大部分が私有地である以上、自然保護のために維持管理を強要する権利は誰にもありません。
このような変化がいつ頃始まったのか考えて見るとかなり最近ではないかと思います。私が子供の頃ですからかれこれ40年程前になりますが(歳がばれますな、ばれても良いのですが^^;)実家では風呂の焚きつけは薪と石炭でした。ただ薪や石炭というのはマッチで簡単に燃え上がるような代物ではなく、新聞紙や落葉、松ぼっくりなどを最初に燃やして火を移らせる手順が必要でした。この落葉や松ぼっくりを近場の山に拾いに行ったものでした。家族で出かけるイベントでしたが、夏には昆虫採集、秋にはキノコ採りを兼ねたり楽しいものでした。
話が思い出方向に流れていますが、たかだか40年程前の地方都市の姿です。日本では縄文期から延々と生活に必要な熱源を得るためにこういう事が続いて来たはずですので、2000年の生活習慣が僅か40〜50年で変化してしまったことになります。これはもう人為的にどうしよう、と言うレベルの変化ではありません。
環境省でもこのあたりの事情は良く分かっているらしく、生物多様性を軸にボランティアやNPOの力で里山を維持しようという方向に政策をシフトしています。この事自体悪い事ではありません。なんでもかんでも国家が介入して管理しようとすると人的・資金的に無理が来ますし、広く民間の力を利用するのは良い事だと思います。象徴として環境省と読売新聞社が主催した「日本の里地里山30−保全活動コンテスト」があります。民間企業と共催というのも凄い話ですし、対象が実質的に里山保全NPOというのもこの考え方を顕著に示していると思います。 幸いなことにリンクさせて頂いている「NPO法人宍塚の自然と歴史の会」も日本の里地里山30に選定されました。地域と関係の希薄な人々が沈水植物を守るためにハスやヒシの刈り取りを行ったり生態系のモニタリング調査、雑木林の下草刈などを広大な里山で行っています。地味で辛い活動を長年続けてこられた及川ひろみ理事長が小池環境大臣に表彰されている写真を拝見しましたが、このような無償の活動がもっと評価されても良いと考えていましたので、何より喜ばしい出来事でした。

生活の質が変化したために不要となった「管理」。この「管理」に依存していた自然環境は必然的に消え行く運命にあります。

循環型社会との関わり

これも環境省が推進している「循環型社会」という概念があります。読んで字の如くリサイクル型の社会という意味ですが、廃棄物の多さや不法投棄、家電リサイクルといった側面に目をとらわれがちですが、理念として「資源の消費が抑制され、環境への負荷が少ない循環型社会を形成する」と書いてあります。これは生物資源という狭義の意味もありますが、排水廃棄物によって壊れて行く自然環境を見るのはうんざりだという気持ちが込められている言葉だと信じたいものです。
さて里山という機能は元々循環型でした。すでに触れたように里山の生産物を利用する、利用することによって再生産の道筋をつける、余剰廃棄物はほとんど出ないし、僅かな余剰は自然に還元するという理想的な循環型社会です。人間の糞尿でさえ発酵させて肥料として利用してしまいます。
理想は理想ですが、このライフスタイルに還るのは文明の後退ですので不可能です。ただし一部を実践することは出来ます。雑木林の下草を刈り、落葉を集めて堆肥を作れば昆虫達が戻って来ます。出来た堆肥は畑や水田に使用できます。雑木林の管理から畑、水田仕事を学校の自然教育プログラムに組み込むケースも出てきました。里山の生産力と、自分達の食料がどのように作られるのか身をもって知ることが出来る良い教育ですね。
また、そこまで出来なくても家庭の生ゴミを肥料に換える容器とバクテリアのセット商品があり、手軽に園芸肥料を作る事ができます。一種の堆肥ですね。小さなプランターの家庭菜園に使用すれば立派な循環です。身の周りで簡単に出来る事のヒントが里山にはたくさんあります。一人一人の循環が大きな循環型社会への第一歩であることは間違いありません。
ゴミの分別、家電リサイクルやISO14001等により事業所毎に実施されているゴミの資源化や紙の削減などはすべて循環型社会を志向しています。個人で出来る取組みは法的な縛りはありませんが、やればやるほど個人に還ってくるものも多くなりますので考えたいものです。個人が「やらされ」ではなく自分の利益に繋がる行動がひいては環境のためとなる、こんな循環が太古からの里山生活であったのかも知れませんね。

参考
【文献】
●循環型社会入門 2001オーム社 片谷教孝・鈴木嘉彦
●保全生態学入門 1996文一総合出版 鷲谷いずみ・矢原徹一
●自然再生 2004中公新書 鷲谷いずみ著
●里山の環境学 2001東京大学出版会 武内和彦・鷲谷いづみ・恒川篤史編
●里山の生態学 2002名古屋大学出版会 広木詔三編

【Webサイト】
NPO法人宍塚の自然と歴史の会
環境省自然環境局 生物多様性センター


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