湿 地 の 基 礎 知 識


Biotop Profile】vol.3 ビオトープ各論 水辺園芸の陰


〜安易なブームの後に残るもの〜


◇水辺園芸ブームの弊害◇

最近のビオトープブームは個人単位でのミニビオトープ(非常に不適切な言葉ですが)の隆盛をもたらし、一般的な植物流通の代表的存在であるホームセンターでも様々な水生植物を販売するようになりました。花壇植えの園芸植物と異なり、水生植物育成のためには容器(睡蓮鉢)や用土も必要、水があれば魚も泳がせたくなるであろう、という事で用品やヒメダカなども同時に展示してあります。
的確かどうかは別として睡蓮鉢での育成方法などの小冊子を配布していることもあり、この趣味の垣根が非常に低くなっていることが感じられます。趣味者としては流通が多くなれば植物の入手の機会も増えますし、用品も手頃な価格になりますので歓迎しますが、一方で垣根が低くなったための問題点が忘れ去られているのではないか、という危惧を覚えます。それは第一に育成者のモラルです。
carexさんが看破されたように、水辺というのは植物遷移の初期段階であり、そのような裸地を帰化植物は特に好む。例えば都会のような裸地が山中の森と比べて帰化植物が多い事で実感できるであろう。水辺はこの裸地と呼べる環境なのである。このような理由で水草は帰化の危険性が高い。(下線部引用 水草小学校「水槽用植物と帰化」より)のです。これはかの外来生物法に於いて多くの方が指摘されているように、植物の選定に於いて水生植物が多く特定外来生物に指定されていることの理由でもあります。

垣根が低いというのは、はじめて睡蓮や水生植物を育成する方が数多くこの趣味に入って来るということです。入って来るのは大歓迎、過去私もこの趣味に入って来られた方々に植物を差し上げたりアドバイスをさせて頂いたことも多く、全体の器が大きくなれば全員が潤うと考えています。
趣味に入る方も多くいれば出て行く方もいます。これは趣味嗜好の話なので仕方ありませんが問題は「出て行く行き方」です。当然のことながら水辺の置かれた危機的状況を知る方は数少なく、あきてしまった水生植物を水辺に放棄する方がいます。生物は尚更この傾向が強く、飼っていた亀や魚を殺すのが忍びない、という気持ちも分かりますがこれが現在大きな問題となっている帰化種による水辺のカタストロフィック・シフト(生態系が不健全化してしまうメカニズム)の原因となっています。
この状態を評して「モラルの問題」に帰結させる意見が多く見られますが、捨てる方のモラルは「生き物が可哀想」なので価値観の溝は埋まりません。それどころか結局は捨てられた帰化種の繁殖によって元々の生物が「可哀想」な状態となるので根は同じ、想像力にどれだけのパースペクティブがあるかというレベルの話です。そしてより甘ったれた部分は、一度飼養した動植物をどう「処分」するか、という響きが「モラルの発想」にあることです。飼養自体の可否が想像力に含まれていません。
いくら言っても駄目なら法律で罰則を与えて取り締まる、このような発想が自然と出てくる事がご理解いただけますでしょうか。これが外来生物法(略称)の本質です。この本質部分を明らかにせず情報発信を行う行為は環境に対して大きな責任があります。もちろん私にも責任があります。

綺麗な睡蓮を開花させ自宅で楽しむ、よいですね。私も園芸が好きですので良く分かります。今のところ外来生物法その他の法律による規制もありません。自由です。ただ、冒頭の引用中の水辺が遷移環境である点を忘れればどうなるのか、悲しい事例をベースに考えてみたいと思います。

◇甚だしき環境への暴力◇

机上の空論という言葉がありますが、フィールド系の趣味者にとっては対極にある言葉です。理屈を述べるにしても見たものをベースにしています。専門の研究者ならぬ素人の身、目撃したものをデータ化し、分析することは適いませんが、逆に先入感やフィルターを排除して現象を素直に「見る」ことができます。
この池には数年前までエビモやクロモ、シャジクモといった沈水植物が繁茂しており、睡蓮はありませんでした。久しぶりに見てみると沈水植物の姿はなく睡蓮のみが水面を覆っていました。率直に考えれば浮葉が水面を覆ってしまっために沈水植物が生育できずに絶えてしまったと考えられます。これ以外の原因、排水の流れ込みや水質の激的な変化はあったのでしょうか。少なくても魚種や藻類の状況は同じように見えますので、原因を求めるとすれば温帯睡蓮が原因となった可能性が強いと思われます。
里山保全活動中、ため池の多様性を守るために何が重要だと思われますか?逆説的ですが殖えすぎたハスやヒシを除去することなのです。こうしないと細々と生き残っているトリゲモやクロモなど貴重な沈水植物が滅んでしまうのです。浮葉に覆われ暗黒となった水中で生きていける沈水植物はありません。睡蓮やハス、ヒシはそれほど繁茂します。

困った事に水辺再生を標榜する主体、自治体やNPOのなかにもこの点の意識が希薄な場合が多々あります。水辺に緑があれば自然だと思っているかの如くこれらの植物を植栽・・・。その植物は狙い通り数年後には水域の優先種となるでしょう。
しかしこれは「自然再生」の考え方ではありません。水辺の自然再生に於いてシードバンクを利用した再生手法こそが生物多様性の概念に合致した正当な手法であると思います。手賀沼その他の湖沼で見られたように「水質浄化のために」ホテイアオイやハスを利用することとは本質的に異なります。
繁殖力の強い水生植物を導入する、これは何ら規制することなく汚して来た湖沼を浄化するための過渡期的な思想です。湖沼を浄化する、本来の生態系を取り戻す、同じように見えて実はまったく考え方も手法も異なります。

自治体やNPOも多くがいまだにこんな有様ですので(この点については次項で詳説します)花を愛でる以外に目的の無い素人の睡蓮の育成にはより大きな危険があるのです。温帯睡蓮やハスが逸出すればほぼ例外なくこの池と同じ池が増えます。植物相が非常に単調となってしまい、生物多様性とは対極にある「自然」の姿が増えることになります。

◇育成の危険性◇

では元々ある植物、国産の水生植物であれば無条件に育成や移植が可であるかと言うと全く違います。ある意味外来生物以上に危険な側面を持っています。
温帯睡蓮のように目で見て分かる被害実態とは別に、気が付かない大きな被害を環境に対して与える場合があります。それは遺伝的多様性に対してであり、植物の場合は一般的に「ロカリティ(地域性)」とも称されます。例示します。

写真の植物は湿地に自生するヤノネグサ(Persicaria nipponensis (Makino) H. Gross)ですが、一般的なヤノネグサの葉形とは異なります。この葉形のヤノネグサは多くの湿地を調べた結果、今のところ茨城県南部の特定の湿地のみで見ることが出来ます。素人の悲しさ、自分ではDNAの違いなど調べる術はありませんが、交雑や湿地の消滅などによりこの個体群が失われてしまえば新種・亜種の可能性も失われてしまいます。
環境適応という曖昧模糊とした言葉がありますが、自宅に持ち帰り実生させたところ、同じ環境で見事にこの葉形となりました。現象面からは遺伝的多様性によるものと思われます。個人的にはネオテニーが発現されやすい植物ではないかと考えていますが、イヌタデ属の子葉の表現形態を比べて見ると面白い事実が分かります。もちろんネオテニーの観点のみで進化論を云々するつもりはありませんが・・・これは余談。
メダカの地域変種は有名ですが、何気ない普通の植物にもこのような場合が多々があります。これを無くしても良いものか、という論点なのです。
蛇足ながら「それがどうした」という意見・反論があることも十分承知しておりますが、遺伝的多様性は生物多様性条約のコアとなる思想であり、地球上に現存するすべての生物の遺伝子は人類の未来を左右する活用が出来る可能性を内包しています。現在までポジティブな利用方法として抗生物質、ネガティブな利用方法として生物兵器がありますが、今後医療分野や食糧増産、環境改善等の分野に於いて生物資源は除外できません。そのような可能性がある遺伝子を滅亡させることがどのような事かご理解頂けることと思います。

国産の自生種、固有種であるから何でも良い、という考え方は以上によって否定されます。水生植物が分布を拡大する方法については様々な説がありますが、有力なのは水鳥による種子の運搬(付着、被食)です。それは比較的新しいため池(100年以内)が人為的植栽を行わなくても様々な水生植物に覆われることでも納得できる説です。出典・詳細を失念してしまいましたが数千km離れた湿地の希少な植物の遺伝子タイプが同一であったこともあります。
ただ、水鳥による伝播は言わば「見えざる神の手」であると思います。そこまでコントロールすることは不可能です。少なくても個人で水生植物を育成する場合、最低限意識的な放棄をしない、極力育成地周辺の植物を選択するという事が求められる取組みであると思います。

参考

【文献】
自然再生事業〜生物の多様性の回復をめざして 築地書館2003 鷲谷いづみ、草刈秀紀
生態系を蘇らせる 日本放送出版協会2001 鷲谷いずみ
自然再生―持続可能な生態系のために 中公新書2004 鷲谷いずみ
プランタ88号 研成社


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