人間の手付かずの自然環境は原生自然であるが、これに手が加わったものを二次的自然と呼ぶ。手が加わり過ぎた、経済目的の檜や杉の単相林は「人工的自然」である。
二次的自然は具体的には里地・里山などを指し、「撹乱」によって維持されている自然でもある。撹乱とは里山からの肥料、燃料調達のための落葉集め、下枝打ちや用水確保のための水路浚渫、水田の耕起など人間の必要によって行われる行為と落雷による火災、台風による立ち木の倒壊、出水による崖崩れや小規模な洪水など自然の力によるものを併せた概念である。
ただし人間が手を引くと遷移が急速となり撹乱が成立しない状況が現出する。人間が手を引く、とは休耕による水田放棄やインフラ整備による雑木林の放置などで現存する里山では共通の問題となっている。何が問題かと言うと適度な撹乱によって生存している生物が棲めなくなるのである。意外な事に水田や雑木林など人間によって維持、管理された環境に依存する生物は数多い。
里地・里山の二次的自然環境は昨今の地球温暖化、生物多様性、廃棄物処理などの諸問題に於いて注目されており、キーワードとしてよく聞く話に次の2つがある。
・循環型社会、持続可能なライフスタイルの形成
・バイオマスとしての二次的自然の重要性
たしかに雑木林の下草刈や枝打ちによる燃料調達、落葉による堆肥作りなどは化石燃料の燃焼、化学肥料の使用に比べて製造段階から考えれば格段に環境に負荷をかけない。廃棄物も再利用可能であって「循環型社会」「持続可能な社会」が実現できる。しかし、その「時代遅れ」のライフスタイルを里地・里山環境に居住する方に強いるのか、という根本的な問題がある。
バイオマスも生物多様性とリンクした重要性は分かるが、これを標榜するためには上記同様の維持・管理が不可欠となるのである。物事を推進するには「誰がどこで何時、何をどのように」5W1Hが不可欠であるが、この考え方には決定的に「誰が」が抜けている。
考え方を批判するつもりは毛頭ないが、現状では里山維持はNPO等に委ねるしかない。これは自分自身参加しているのでよく分かる。しかしながら我が国で最も広大な二次的自然、里山をNPOだけでは維持できない。早晩カブトムシやクワガタムシも絶滅危惧種となるはずである。影響がいち早く現れる水辺で多くの水草や水棲生物がそうなったように。
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