利助おじさんの探検絵日記

【その43】微笑みの国紀行
第二部 バンコク編2



◆メナムの水草◆

今回ある意味タイで最も印象に残ったシーンがこれで、真っ先にブログでも紹介したのがこれ、ホテイアオイです。
種類は同じなのでしょうが熱帯だけあって巨大に生長し、メナム川のあちこちに浮いていました。メナム川(チャオプラヤー川)はバンコクの重要な交通路です。水運も盛んですし、中心街の対岸にある暁の寺院(ワット・アルン)と、中心街側の、巨大な黄金の寝釈迦がある涅槃寺(ワット・ポー)、王宮内のエメラルド寺院(ワット・プラ・ケオ)を行き来する観光客が利用するモーターボートが桟橋の順番待ちをするほど行きかって混雑しています。
そこにホテイアオイが繁殖するわけで非常に邪魔になります。時にはスクリューや舵にからみついたりやっかいな事にもなりかねません。さすがに駆除する姿も見られました。
ホテイアオイはもちろん熱帯アメリカ原産なのでタイにとっても帰化植物です。前に触れたようにタイでは睡蓮鉢で水生植物を育成することはごく普通のことなので、逸出源は水辺園芸なのでしょう。街中のクリークなどでも大繁茂して水面を埋め尽くしている姿を何度も見かけましたので、ごく普通の植物になってしまっているようでした。同じ熱帯ということでこれだけの大繁茂を許してしまったのでしょうが、日本もヒートアイランド現象によって近い将来熱帯植物の本格的な帰化が始まるという予測もありますので他人事ではありません。


◆暁の寺院◆

てなわけで、ボートに乗り合わせた観光客すべてが対岸にそびえるワット・アルンの威容に目を奪われる傍ら、一人川面の写真を撮っているのですからやはり変わり者です。認めます(笑)。
船着場に着けばそこはすでにワット・アルン。私は初めてでしたが嫁さんは19年前に来て上まで昇ったとの事。私も上まで昇ってありえないアングルの寺院の写真を撮ろうと狙っていましたが、あまりに危険な階段(傾斜が凄い!)のため、昇れないように柵がありました。とても残念!
これは寺というより巨大なモニュメントで、中央の主塔を囲むように4基の塔が取り囲む構造です。それぞれ大乗仏教(という表現が相応しいかどうか分かりませんが)独特の装飾がなされ、タイルや陶器が埋め込まれた外壁は時折差し込む雨季の太陽を反射して輝いておりました。
観光ガイドではないので寺の解説しても仕方が無いので感想ですが、日本の寺院がシックで荘厳なのに対し、東南アジアの寺院が派手派手なのは「風景」として映えるかどうか、ってのも大きいのではなかったかと感じました。バンコクは急ピッチで近代化が進む人口800万の大都会ですが、色彩に欠けます。これは熱帯に独特な感覚で、グレーの誇りっぽいイメージが付きまといます。周りは緑だらけなのであえて市街と緑を組み合わせる必要も無かったのかも知れませんが、このグレーの風景、茶色い川にはこのような色彩の寺院が必要だったのではないか、と。この意味で東京は非常に美しい街だと思いますが、美しい街での宗教的荘厳さは増上寺や寛永寺のスタイルなのでしょう。
ちなみにかの文豪三島由紀夫の豊饒の海4部作の第3巻「暁の寺」のモチーフがワット・アルンです。


◆寝釈迦◆

ワット・アルンのあとはお約束、市街方向に川を渡りワット・ポー涅槃寺です。非常にベタな観光コースです。
全長49mのお釈迦様のご尊顔は17mm(実質画角27.2mm)の超広角でもこんな感じにしか写りません。足元から全身を写せるスポットがあり人気でしたが、なにしろ50m近い黄金の物体です。足元から撮っても50m先はなんだか分かりません。
タイの方の話を聞いていると「大きな仏像」は自慢らしく、件の愛すべきプーケットの運転手氏も案内の途中途中で大きな仏像があると「大きいだろう」と自慢していました。ここで私の持つもう一つの悪い病気が出て「日本には高さ100mのギネスに載る仏像があるの知っている?」とやってしまいました。運転手氏は「・・・100m」と口のなかで呟き、黙ってしまいました(汗)。黙って「ほぉ大きいね」と相槌打ってれば良かったですね。お子様頭脳全開でした・・orz
しかし、牛久大仏が信仰の対象として必要なのかと言うと必ずしもそんなことは無いと思います。墓地の分譲のために知名度を上げるとか、拝観料を取るとか、小動物園まで併設している有様では寺側の都合が見え隠れしてしまいます。実際に行かれた方はおわかりかと思いますが・・・


◆足の裏◆

ワット・ポーのお釈迦様は明確に信仰の対象であって、足の裏に「生きとし生けるものを救済する」意思が螺鈿の細工として表現されています。
ここで少し硬い話をしてしまいますが、仏教国であるタイにもイスラムのマレーシア同様、アラブ人もヨーロッパ人も観光に来ます。一方、タイには仏教上の理由で守らなければならない、譲れない部分があります。具体的には仏像の前で脱帽し跪かなければならない場所。イスラムは偶像崇拝を禁じていますし、女性は顔を隠さなければなりません。(宗派によりますが)キリスト教も多くの宗派で異教の神を崇拝することを禁じています。
では彼らはどうするのか。入口に立って見ているのです。自分達に守らなければならない領域があるように他民族にも譲れない領域があることを理解しているのです。争いは起きません。国家や宗教を超えて個人個人は相手を尊重できる本当に良い人達だと思います。プーケットへの機上で隣に坐ったイランの少女は折ってあげた鶴に感激し宝物のように持っていましたし、バンコクのホテルのプールにいたUAEの8歳の少年は無邪気に水泳の勝負を挑んできました(体力的に無理なので辞退しましたが^^;)
「帽子を取って靴を脱ぎ跪いて下さい」「はいはい〜そうしなきゃ見られないもんね」と非常に扱い易い我ら民族は、本当に守るべき精神性があるのかな、とふと考えてしまいました。我々は足の裏にいるのか!?

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Bangkok,THAILAND 2006.8.17(Thu)〜8.19(Sat)
photo Canon EOS KissDigital N /Canon EF28-135mmF3.5-5.6IS USM/SIGMA17-70mmF2.8-4.5DC MACRO



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