利助おじさんの探検絵日記

【その45】<番外編>夏休みの昆虫採集


◆意外な穴場◆

子供は自然のなかで遊ぶべし、というのが私の唯一の子供に対する希望です。嫁さんは基本的に賛成してくれますが、優先順位としては最初に勉強があってやや意見が異なります。
以前小学校の田んぼ(田舎にはこういうのがあって田植えや稲刈が学校教育に組み込まれています)で1年生だった長男がミズネコノオやウリカワをピタリと同定し引率の先生の目を白黒させた話を聞いた際には快哉を叫んだものでした。成績を誉められるより余程嬉しいですね(^^ゞ
さて昆虫です。ある日、我が家に飛来したコクワガタのメスをプラケで飼育しようと家の外で用意していたところ、近所の農家のおばさんが通りかかりました。
クワガタが好きなの?もっとたくさん飼いたい?
と、子供にしきりに話しかけてきます。何のことかと思っていたら次の言葉は耳を疑う内容でした。
夜うちに採りに来れば?
なんとご自宅で昆虫採集が出来るというのです。話を伺ってみると裏庭で作っている堆肥や転がしてある朽木にカブトムシやクワガタが産卵し、成虫は同じく裏庭にある椎の木の樹液を吸って生活している、との事。なんとご自宅の一角に里山の生態系があるのです!こりゃ凄い!
我が家から僅か200mほどの距離ですが、夜道を子供だけに歩かせるのは無用心だったのと私自身も興味があったので、お言葉に甘えてその日の夕食後、件の農家を訪問いたしました。


◆小さなサンスクチュアリ◆

お伺いすると、若いながら言葉遣いのしっかりしたご長男の方が待っていて下さり、広大な敷地の一角にご案内して頂きました。余談ですがワタクシおじさんなので「最近の若いのはどうしようもねぇな」と思う事も少なからずありますが、若かろうが年寄りだろうが素晴らしい人は素晴らしいし、カスはカスです。こういう好青年を見ると自然と心が和みますね。
病後で歩く速度が異様に遅い私を気遣うこともなく(笑)子供達は教えられた一角に一目散に走っていきます。
ま、待て。クワガタの自然な写真が撮りたいんだから先に採るな
と、勝手な要望が喉元まで出ましたが他人様の御宅で勝手な撮影希望を口に出す事もままならず、そろりそろりと子供を追いかける情けない私。
現場にやっと到着してみれば大物は採り尽くし、カナブンだけが樹液を吸っておりました。雑木林で甲虫をつかまえた経験がある方なら分かって頂けると思う、あの濃密な樹液の香り。甘いものが強烈に発酵したような、何とも言えない獲物の気配を感じる香りが辺りに漂っていました。
結局この日はカブトムシはおらずノコギリ、コクワなど♂♀取り混ぜ7匹ほど捕獲させて頂きましたが、その後毎週のようにお邪魔させて頂いていたようで、全盛期にはプラケ4つに数え切れないぐらいの甲虫がおりました。50個入りの虫ゼリーも3〜4日で無くなり、しょっちゅう子供達にせがまれました(汗)。


◆虫の暮らしにくさ◆

私が居住する茨城県最南部は利根川沿いの沖積平野真っ只中で、大規模な平野が広がっています。そのため太古から土地のほとんどが水田や畑地に利用可能で里山地形が非常に少ない地帯です。
以前から子供に昆虫採集をさせる際には近郊のつくば市や龍ヶ崎市の谷津田地形の里山などに水草採集を兼ねて(^^ゞ連れて行っていましたが、こんな暮らしにくい地帯でもしっかり世代交代しているものなのですね。
昔から「カブトやクワガタは子供が採集するぐらいでは居なくならない」と言いますが、市内の林のある公園では「居なくなる」現象も見てしまいました。この公園はたまにクワガタやカブトムシが採れる場所なのですが、公園なのにスズメバチや蚊が多く、茨城県らしいワイルドさと力強さによって来訪者を選ぶ公園です。(何とかして欲しい−−;)
ここで胴体の無いカブトムシやクワガタの死体を大量に見ました。なかには胴体が無いまま手足を動かしている個体もおり、何物かに捕食された状況を想起させられました。木々にはカラスの大群が住み着いていますので犯人はこやつらだと思われます。
ご多聞に漏れず我が町でもカラスが増えています。増えすぎたことによって食料が不足しているのではないか、と思います。生ゴミ等はネットで覆いディフェンスしている場所も多いですし、そもそも東京とはライフスタイルが違うので野生生物を大量に養うほど廃棄物が出ませんので。
生態系の一部が崩れれば思わぬところに影響が出るものだと改めて感慨が湧いてきました。


◆飼わせること◆

子供に生き物を飼育させることの教育的・人格形成的な意義は色々な所で書いていますのでさて置き。
自分で採って来て飼育する、という行為はたぶん精神の本能的な部分に作用すると思います。特に「採って来る」ことは、私の歳になってもいまだに水草自生地に到着した瞬間のアドレナリンの量とその後の精神の高揚の持続が証明しています。
と、こんな難しい表現をしなくても栗拾いやキノコ狩のワクワク感と書けばご理解頂けますよね。まったく科学的根拠や理論的背景はありませんが、個人的にはワクワク感が多ければ多いほど実りのある人生になるのではないか、と考えています。それこそくたばる時に「あ〜楽しかった」と思えるためにも。

採って来たものは当然飼育します。子供が採ったものを納得させた上で「逃がせ」と言うことは非常な困難が伴います。下手すれば偽善と看做されてしまいます。生物多様性や絶滅危惧種という概念は大人だけに分かる話なのです。大人でもトンガリササノハがごろごろしクロメダカが大群となって遊泳する地域の方々には本質的な部分は理解されません。
このような軋轢を繰り返して来た生態学会の結論が「合意形成」なのだと言う事を、高圧的に物申す方々にはぜひ噛み締めて欲しいものです。


◆ライフスタイルと昆虫◆

他でも書いた話ですが、里山の昆虫の減少は人間のライフスタイルの変化と深い関わりがあります。
里山は長い間、燃料(落葉、下枝)や肥料(堆肥)の供給源としての経済林として存在し、きちんとした手入れが成されてきました。燃料がガスや灯油に代わり、肥料が化学肥料に代わる変化で、里山はいつしか経済林としての価値を喪失しました。価値が無くなれば手入れをする意味も無くなります。
この結果、下草刈や枝打ちによって風通しが良く、幼虫の餌となる適度な湿気を持つ朽木や落葉の堆積が成されていたものが無くなりました。
雑木林の今の姿を見れば分かりますが、林床は雑草や笹に覆われ、人間が立ち入る事も困難な場所が増えています。こうなってはカブトムシやクワガタも繁殖出来ないのです。
人間の行為が間接的・直接的に生態系に影響していますが、生態学的に「二次的自然」と呼び、適度な撹乱、上記の例で言えば里山の管理が存続条件となっているのです。この意味で人間のライフスタイルの変化が昆虫類の減少に直結しているのです。
ただ、昆虫類の減少・絶滅を防ぐために里山を管理しろと言うのは筋違いで、どこに居住しようと文化的な生活をおくる権利は憲法で保証されています。この部分は環境省でも「里地里山保全再生モデル事業調査」を通じて保全を模索するところでもあります。即効性という点では周辺住民による自然発生的な里山保全活動を支援、表彰する取組みなどが行われています。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送