利助おじさんの探検絵日記

【その5】里山子供探偵団【新版】


◆知識の無い親は思うのだった◆


子供と「遊んで」いますか?色々な遊び方があると思いますが、私は不遜にも自然教育を遊びに取り入れたいと考えていました。ただし、これは相当な難事で教育するためにはどこに興味の対象が行くのか予想もつかない子供の質問に応えられ、興味を持続させられるだけの知識量が必要です。

湿地植物やそこに生息する生物なら多少の自信もありますが、トンボや木の実や小動物などあちこち興味が移る子供には彼らを完全に納得させるという意味において正直歯が立ちません。「パパは何でも知っている」という番組がはるか昔、安政年間の頃あったらしい(爆)ですが、うちのパパは水草とカメラのことしか知りません。と言うかそれもかなり怪しい偏った知識ですが・・
特に苦手なのは海の生き物で、内陸で育ったこともあり貝や魚の種類は絶望的なほど知りません。「知ったか」は宜しくないのでこんな時は図鑑を持って行き一緒に調べるという姿勢が重要ですね。子供も親も自分で調べたことはなかなか忘れませんし。
ただ、キノコだ鳥だ木の実だと多種多様なモノに興味をもたれると、図鑑だけで鬼のような重量になり二宮金次郎状態になって頭を垂れてしまうのが難点です。そこまでして湿地に出撃するか、と言うと・・たぶんしません(^^ゞ


◆普通のおばさんは達人だった◆


今回、某NPOのイベント「里山子供探偵団」に参加しました。このイベントは谷津田、ため池、里山を子供に自由に歩かせて、何か面白いものを見つけさせ、みんなで調べたり話をするというものです。
今風に言えばインタープリテーションってやつですね。田舎でも引き篭もってゲームばかりしている子供もいるので「外に出て自然と触れ合いなさい」ってことで。
今回のナビゲータはAさんというご婦人でした。谷津田から入って狸の足跡を見たり、水田の氷の下のアオミドロをルーペで調べたりしながら歩いて行きましたが、私の長男がヒラタケの群落を発見しました。この時も「褒め方」が秀逸。子供は子供に対する一般的な褒め方ではその時喜ぶだけですが、大人に対する褒め方で褒めると全身歓喜で、しかも継続するのですね。勉強になりました。
この頃からAさんの植物、動物、昆虫に対する只ならない知識の量に、見かけは普通のおばさんながら「これは只者ではない」と思うようになりました。
そして極め付きはため池に移動して水生植物について会話をした時です。この池は水草が豊富でかねがね私もお世話になっているところなのですが、ご他聞に漏れずブラックバスの害甚だしい場所でもあります。近辺では見られないトンボが軽く数十種類生息するところですが、ヤゴがバスの好餌となり、何種類も絶滅しました。
昨年の夏に、過去記録があり現在絶滅状態の植生を調査することになり、池の水を落としてシードバンクの調査を行いました。この際にブラックバスをすべて捕獲し、駆逐したというのです。
今回の特定外来生物被害防止法でも色々な意味で問題、議論の種となっている害魚ですが、ゲリラ放流と義務の裏づけの無い笑止な権利を振りかざす擁護論に対する強烈なアンチテーゼです。凄まじい知識と実行力、これがくどいのですが「普通のおばさん」の口から語られるのです。オーラが出ていました。


◆ぐだぐだ抜かさず動く事、美し◆


外来生物や自然環境の話になる度に思うのですが、何もしないわりに偉そうに理屈を開陳する方が多いですね。
Aさんはこの池の外来魚の駆除で主導的役割を担った方ですが、看板やパンフレットや講演会では解決できない、まして議論は時間の無駄であることを長年の艱難辛苦で理解している、という雰囲気でした。(口では言いませんが)
「トンボや他の生物に害があるなら池を干して駆除しましょう」いたってシンプルかつ労力を要する解決策を黙って実行に移せる方です。なんだかんだ言いながら何もしない方々と対照的ですね。
私も肉体労働という点では外来水草刈りや空缶拾いぐらいの奉仕しかしませんが、明らかに現場を知らない者が偉そうに能書きたれるのは腹が立ちます。

ネットや下らん雑誌でぐだぐだ言う連中は、空缶の一つぐらい拾ってからモノ申せ!

と思います。やはり不言実行は美しいと心から思います。

◆里山の喪失◆

一般的な「里山」には実に多くの動植物が見られます。いわゆる二次的自然環境に依存している生物達です。
ご多聞に漏れずこれらの生物の多くがRDB入りしています。もちろん個体数や群落数の問題もありますが、里山の生物がRDBに入っている理由は実は里山環境の減少そのものにあります。
別記事で詳述していますが、里山の雑木林は落葉の堆肥や下草、下枝の家庭用燃料利用という伝統的なライフスタイルが化学肥料、ガス・石油に変わったため不要になってしまったのです。また、米の生産調整や自由化による競争激化で水田自体も減少したり、予想以上に環境は遷移しています。
二次的自然が語られる際にキーワードとして「適度な撹乱」という言葉が出てきますが、まさに人間のライフスタイルが適度な撹乱となっていたわけです。一方、比較的手入れがなされ自然が残っている里山に於いても開発はすぐ間際に迫っており、今度は自然保護と地権の問題が出てきます。いかにRDBの生物が豊富であろうと、土地を持つ方の意思が法的に優先します。雑木林をならして駐車場に・・地権者の正当な経済活動の権利です。
生態学会の言う「合意形成」はたった四文字ですがこれがまた大きな四文字です。詳しくは書けませんが人間が10人いれば10通りの自然と金銭に対する価値観があるということです。

この問題はとてもデフォルメして語れるような話ではないので機会があれば稿を改めます。このような里山を守るためには綺麗事や理想だけではすまないと言う事で、自然保護系NPOも「自然が大好きな心の温かい人」ではなく凄みのある方々が多いのが現実です。逆説的ながら一番の凄みは法律や交渉術に精通する人でも知識見識技術以上に「理想が輝いている」と言う点です。
そのレベルの方々は周りにたくさんいらっしゃいますが、それでも「自然の豊かな茨城県」でさえこの規模の里山が減少している現実が保護の難しさを雄弁に物語っています。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送