利助おじさんの探検絵日記

【その51】秋の遠足 遊水地編

chapter1 遊水地編

◆巨大湿地◆

湿地としては釧路湿原に次いで二番目、遊水地としては日本一の面積を誇る渡良瀬遊水地は、茨城、栃木、群馬、埼玉の4県にまたがる面積33km2(東京ドーム700個分)の広大な人工湿地です。利根川中流域の大小河川が合流する地域の治水として増水や渇水に対応するための機能を持っています。私の現在の居住地は利根川流域ですが、過去の記録にある凄まじい洪水被害を思うと、現在でもこの遊水地から少なからず恩恵を受けていることになります。
遊水機能を持つ湿地ですので開発や埋め立てとは無縁、湿地生物、植物は膨大な種類が生息し我々の趣味の世界では「聖地」と言っても過言ではないでしょう。2007年9月29日、この聖地に再訪することが出来ました。


冒頭から余談で恐縮ですが、利根川は上流の大規模なダム群、江戸川や北千葉導水路への分水、そしてこの渡良瀬遊水地という巨大な緩衝地帯がありつつも洪水の危険が常在します。茨城、千葉側でも湾曲部の分離(古利根沼)や小貝川の流入量調整(福岡堰、岡堰、豊田堰)、さらには堤防のスーパー堤防化などあらゆる手段を使って利根川の治水を行っています。常磐線鉄橋付近は両岸広大な河川敷にゴルフ場、同練習場、グランド、公園などがありますが年に2〜3度は水没します。川幅が1km近くに拡がった川を下る濁流を見ていると、対策はいくらしても「足りる」ということが無いような気がします。中流域のこの遊水地が抱える渡良瀬川、思川、巴波川が何ら制限なく流れ込めば被害の確率は上がっていたことでしょう。

ただこれは「公式見解」のようで、実態は当初の目的が悪名高い「足尾銅山の鉱毒事件」対策のために作られたようです。明治の何度かの大洪水では銅の鉱毒は利根川経由で霞ヶ浦、江戸川経由で東京湾にも達したとの事ですので現代なら大パニックですね。当時でもさすがにまずいと思ったのか、この地にあった谷中村を丸ごと移転させて遊水地を作り、ここに導水し、鉱毒を落とそうという意図だったようです。現在でも遊水地の土壌には鉱毒物質が含まれているとのこと。この事件が起きたのは19世紀末ですから実に100年以上大規模な環境破壊を引きずっていることになります。飯島博氏(アサザ基金)の「100年後の霞ヶ浦」もそうですが、一度破壊してしまった環境の復元には途方もない歳月が必要となるようです。そうした経緯も踏まえて訪問すると味わいも増すというもの。
尚、本件ご興味のある方は「田中正造」「足尾鉱毒」などで検索すれば血塗られた歴史がご覧になれると思います。さらに、利根川スーパー堤防、河川情報システムなど洪水と背中合わせで生活している私にご連絡頂ければ生々しい現場もご案内可能です。


かく言う私、今まで2回程行った、と言うか家族旅行のついでに茨城県側と栃木県側東北部の外縁を見たことがあり、タデ科植物などを採集した経験がありました。今回はそのタデ科植物が契機となり、同好の方複数名とご一緒することが出来ました。
本来準地元の私が車を出してご案内すべきところ、女房が通勤で車を使用、子供2人は塾で送り迎えが必要となるため、友人のfumirisuさんにご無理をお願いすることになりました。朝家族で一緒に駅まで車で向かいましたが、塾の開始時間と女房の出勤時間に合わせたためやや微妙な時間。自分で決めた北千住8:43の電車に間に合うかどうか、ということで結構焦りました。2分前に北千住到着、常磐線から東武伊勢崎線乗り換え口までダッシュ。「カメラを一台にすれば良かった」「PASMOのチャージをしておけば良かった」と色々な後悔が脳裏に浮かびつつも何とか無事乗車、一路集合場所である藤岡に向かいました。

車中、前夜の会社での歓送迎会の睡眠不足をやや解消しつつ、先に逝ってしまった愛するペット達の夢など見ているとあっと言う間に目的地。ホームから改札外で待つfumirisuさんが見えましたが先に失礼してトイレを済ませようとアンモニア臭が鼻と同時に目に感じる古風なトイレに。やっぱ田舎のトイレはこうじゃなくちゃ、と独りで納得していると先客大荷物の若者がおりましたが、誰あろう初対面の藻草さんでした。

改札でポルンさん親子とも合流、大人4名、お子様1名、fumirisuさんの車で湿地資料館へ。これだけ広大かつ高名な湿地の資料館、さぞかし立派で近代建築の建物と思いきや立派な近代建築の裏手にプレハブ風でひっそりとありました。展示内容を鑑みるに一日の訪問者は一桁、平日は無人かとも思われ、こうした場所の管理人をしながら研究、執筆、Web製作なども素敵な人生だなと思ってみたり。
目的は自生植物の資料でしたが広大な湿地で場所を特定できるような資料は無く、とりあえず一日の概要スケジュールでもと考えていたところ、管理者?のおじさんが話しかけてきました。

「植物探しに来たのケ?」「こういう資料があんだけど」(懐かしき北関東言葉)

その資料は遊水地に自生する植物、特に絶滅危惧種が写真で紹介された立派なものでした。主体となって作られたのが渡良瀬の専門家である大和田真澄氏であり激しく欲しかったのでその旨伺ってみると、

「それはカンラン用。もうねえからあげらんね」(栃木・茨城共通イントネーション)

表紙を見ればたしかに「閲覧用」とあり、それは「カンランじゃなくてエツランではないのかい」と突っ込んではいけない空気を読みつつ展示物を拝見しておりますと姿を消した件のおじさん再び現れ、

「やっぱりあった」(なんじゃそりゃ)

と無事頂戴することが出来ました。こういう茨城栃木の雰囲気は地元なのでとても和みます。他地域の方に解説しますと、意外と閉鎖性があって初対面で何か頼まれるとデフォルト拒否なのです。特にこういう場所では希少な植物を根こそぎ採集して金儲けをする輩が後を絶たず、蘭やテンナンショウなど滅多に見られなくなってしまった植物もあるそうです。かく言う私、そうした怪しい輩と思われても仕方がない外見ですので警戒されてしまったのかも知れません。
ちなみに著者の大和田真澄氏は渡良瀬を愛する地元のアマチュアで植物写真や湿地のインタープリテーションを行っており、私が理想とするライフスタイルの実践者でもあります。その方が作った素晴らしい小冊子、「写真としてどうよ」「これは少し違うのでは・・」という部分も何ヵ所かありましたが、まったくの無償でこれだけの物を配られていますので無問題。

外に出ると浮葉に覆われた小さな池がありましたがヒシとガマだけで目ぼしい植物はなし、隣接する水田もミズワラビやクサネムなどありがちな植物だけ。いよいよ調整池内部に踏み込みです。

◆アオヒメタデ◆

今回の契機というのは水辺伝言板で藻草さんからアオヒメタデのご質問があったことです。かねがね渡良瀬遊水地外縁古河側で採集したアオヒメタデと、頂いた宮崎県産の未判定種タデの類似性に確信を持っていましたのでその旨お返事をさせて頂いたところ「ぜひ現地で見たい」とご要望があったためです。
藻草さんのWebサイトは以前から気に入ってかなり頻繁に出入りさせて頂いておりましたが、実際にお会いするのは初めてです。掲示板や記事の印象から「ちょっと硬め、マニアック」という先入観がありました。こう言ってはナニですがアオヒメタデやらヌカボタデやら「普通の」アクアリストは気にしません。「ポリゴナムsp.」で十分。これはけっして馬鹿にしているわけではなく、逆に模様のパターンで驚天動地の価格が付く赤白エビの世界が私にはグレードも育て方も分からない「エビ」にしか見えないのと同じこと。どんな世界にも入口付近で満足する多数派と少し奥まで踏み込む少数のマニアがいるだけの話。

私の悪い癖というか、長年の営業生活で身に付いた術とでも言うべきか、とりあえず初対面の方にはギャグのジャブを打ってどの辺に「壷」があるのか推し量ることが多々あります。ちょうどfumirisuさんから「カンガレイがありました」とお話があったので「カンガレイかどうかよく考がれい、サンカクイってのもありますぜ」と軽くボケてみました。(水辺の植物図鑑では真面目に取り違えていましたが^^ゞ)
この「ジャブ」で藻草さんが笑っていましたので今日の行動パターンが決定(汗)。そして笑いながら「掲示板と同じだ・・・」と呟いておられました。まあ私の場合、ある意味掲示板も記事も「地」なのでそう印象は外していないと思います。

で、そのアオヒメタデですが前出の小冊子には「アオヒメタデ」と明記されており、写真は私が水辺伝言板にアップしたものとほぼ同じ印象でした。(エリア内で採集したものの末裔なので当然なのですが)調整池エリア内に入るとすぐに見つかりました。イヌタデやハンゲショウとともにアシ際の日当たりが良いあたり、道に沿ってポツポツと続いていました。
今回の藻草さんのメインテーマの一つなのでそれはそれは念入りに見て写真を撮り採集されていました。このあたりは私も同じなのですが、先に書かせて頂いた通り一般的なアクアリストと一線を画す部分でもあります。「何やってんだろう・・・」という顔で見ていたポルンさんには「水中で赤くなるポリゴナムで云々」とフォローを入れておきましたが、「ポリゴナム」はこの種の属名ではなく、アクアリウム用語としてしか通用しません。もちろんこんな事を気にする方が変わっていますが、藻草さんの後姿は「水草好きのアクアリスト」から湿地植物の深淵に踏み込んでしまった同志を見るようで自分と同じ傾向を持つ方を肉眼で初めて見た、という感動も(笑)。

調整池エリアは思ったよりも広大かつ植生の全貌が見えにくい場所で、遊歩道際にまでアシが迫っており湿地帯への侵入を拒んでいました。調整池ですから元々掘り下げてあり、そこに湿地植物の堆積があるようなイメージです。土壌は泥炭、水質は腐食酸性、事実所々見える開水面には赤茶色の水があり、酸化鉄の錆が岸辺を彩り鉄バクテリアの油膜も豊富にありました。藻草さんの大荷物はウェイダーでしたが、ここでは危険ですね。泥炭の深さが分からない上に、少し踏み込んだだけで視界はアシに遮られます。本当に命の危険がありますので、いかに希少な植物があろうともズブズブは無理ですね。
この状態では小冊子に記されたトリゲモ類やミズオオバコなどの沈水植物は簡単に発見できないでしょう。お昼も迫ったことで、調整池付近の探査をあきらめ埼玉県側の水田・水路を見ることにしました。


それはそうと、タデ科は豊富でした。メインデイッシュのヒメタデ、ナガバノウナギツカミ、ヌカボタデ、ホソバイヌタデなどは目にすることは出来ませんでしたが、アオヒメタデ、イヌタデ、イシミカワ、オオイヌタデ、アキノウナギツカミ、サクラタデ、サデクサ・・・ちょうど開花期のタデ達が多数出迎えてくれました。歩みを進めるにつれ様々なタデが現れたので、もう少し足を伸ばしてみても良かったかも知れません。
ただこれも最近の私の傾向で、余韻を残す、つまりまた訪問したいというモチベーションを持っていたいのです。近年の体調不良から時間と金があっても(それは数少ない「状態」ですが)動けない、または動こうという精神状態にならないことが多々あり、ミズオオバコとかナガバノウナギツカミというキーワードを刻んでおきたいのです。両方見てしまったらたぶん二度と来る気になれなくなってしまうでしょう。

◆ワタラセツリフネソウ◆

ぱっと見には普通のツリフネソウですが、この湿地にあるものは形態的変異によって「ワタラセツリフネソウImpatiens sp.)」として新種登録されたそうです。ツリフネソウ全般、一応範疇としては湿地植物ですが沈水することはなく、抽水も見たことがありません。やや陸地性が高いと思われますが、良い写真(→)も撮れたので水辺の植物図鑑にもラインアップしたいと思います。
この手のご当地植物、採集は様々な意味で問題があるように思います。ここ以外に発見されている自生地で次々と消滅しているため、採集圧がモロに問題となること、非常に近似の種が存在する地域に持ち出すこと、などで極論を言えば靴に付着した僅かな泥に種子が含まれていて次の湿地に行った時、という可能性もあります。植物は元々種子の散布、分布の拡大に動物の力を利用しているものもあり是非判断はあると思いますが、最低限認識している危険は避けたい、と考えます。

ちなみに本種を精査し新種登録に尽力されたのは前出大和田真澄氏で、アマチュアであること、高校教師(元)であることから森嶋先生と印象がかぶります。やはり現場で実践する研究者が成果を手にすべきであって、机上如何に理屈優れようとも一見に如かず、といったところでしょうか。
この遊水地では、ヨツモンツヤミズギワコメツキ、ワタラセツブゲンゴロウ、ワタラセミズギワアリモドキなどの昆虫も新種として発見されているそうです。これだけ未知の種が生息できる巨大な環境で、特定の植物を一日やそこらで見つけようというのがそもそもが間違っていたのかも知れません。
この事はガイド的なWebサイトにもちゃんと書いてありまして、高山のお花畑のように多種多様の植物が一斉に開花するわけではなく種も偏在するために過剰な期待はするな、と。要するに日々私が散歩する近所の田んぼと同じってことですね。何度も歩くことでスズメハコベやヒメキカシグサが見え、ホシクサやミズネコノオの自生地が分かる・・・この地にある、と情報を差し上げても初訪の方では見ることも適いますまい。こう考えるとワタラセツリフネソウとの出会い(しかも開花中)は幸運でした。

さて昼食。ご当地、いたるところ蕎麦畑の白い花が目に付く通り蕎麦屋だらけ。蕎麦アレルギー未知数の小学校低学年のポルンさんpetit、長年の関西食文化圏在住の藻草さんもいらっしゃるので(こう見えても結構気を使う)オールマイティのファミレス系を探しましたが見当たらず。揚物屋で済ませ次なる湿地へ向かいました。件の揚物屋、新宿サボテン方式の擂り鉢に入ったゴマが出てまいりましたが、ゴマをすりすりしつつ「奥さんお綺麗ですねぇ」とポルンさんに言ったところ「そんな格好で言われてもなぁ」と軽くあしわれてしまいました(爆)。

(水田・水路・ショップ編へ)




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