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利助おじさんの探検絵日記 【その55】水戸の自然 偕楽園編 |
その偕楽園ですが、開園は1842年、幕末の名君にして尊皇攘夷の卸問屋と称された水戸家第九代徳川斉昭によって造園されています。元々水戸一帯は清和源氏の佐竹氏の領国でしたが関が原の戦いで日和見か上杉景勝との密約かで(ここは歴史の謎)動かなかったため、秋田に移され、後に入ったのが徳川御三家の水戸家です。余談ながら水戸は仙台、名古屋とともに日本三大ブ○の産地と言われますが、信憑性の無い伝聞によれば佐竹義宣が国替えの際に美人を根こそぎ連れて行ってしまったから、と言われます。秋田美人のルーツは水戸説、です。
千波湖からもちらちら見えていましたが、燃えるようなツツジがこの時期の見物です。好文亭前にはこんな植え込みもありました。関東では群馬県の館林がツツジの名所として有名ですが、派手な色が纏まると非日常的な色彩となりますね。ツツジを撮ると何らフィルターを装着しなくてもこのような発色となります。(特にレタッチもしておりません)被写体としてはとてもクセの強い花ですね。
こちらは「いわれ」のある木です。巨大な桜ですが徳川の殿様の奥方が宮中から降嫁した際に持参した桜が枯れたため、後年宮内省に頼んで京都御所から分根して貰った、と但書がありました。
偕楽園は梅の名所の名に恥じず100種3,000本の梅がありますが、梅の異名「好文木」から命名された建築物が画像の好文亭です。
この好文亭で上流階級の嗜み、茶の湯を楽しむためには良質の水が必要ですが、好文亭の崖下やや下った辺りに湧水があります。吐玉泉(とぎょくせん)と名付けられた湧水ですが、概ね台地の端、断崖線には湧水が多く、東京都西部の国分寺断崖線と湧水群は有名です。東京の矢川はその水量を集めた清流ですが、ここ偕楽園下の湧水は規模が小さく水量は少なめ、植生もクレソンやミゾソバ、ハンゲショウ、ミツガシワなどが見られる程度です。
偕楽園から南西方向の眺望は昔とかなり印象が変わっていました。両側に丘陵が迫る湿地、谷津田地形は整備が進み、遠目で見ても護岸や駐車場など人工物が目立ちます。まさに何の利用価値も無い湿地を莫大な時間と費用をかけて有効利用した、と自己主張しているような「妙に綺麗な」光景が広がっています。|
Vol.54 茨城県水戸市 2008.5.3(Sat) photo Canon EOS40D/SIGMA 17-70mmF2.8-4.5 MACRO |
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