利助おじさんの探検絵日記

【その55】水戸の自然 偕楽園編

◆子規の感想

その偕楽園ですが、開園は1842年、幕末の名君にして尊皇攘夷の卸問屋と称された水戸家第九代徳川斉昭によって造園されています。元々水戸一帯は清和源氏の佐竹氏の領国でしたが関が原の戦いで日和見か上杉景勝との密約かで(ここは歴史の謎)動かなかったため、秋田に移され、後に入ったのが徳川御三家の水戸家です。余談ながら水戸は仙台、名古屋とともに日本三大ブ○の産地と言われますが、信憑性の無い伝聞によれば佐竹義宣が国替えの際に美人を根こそぎ連れて行ってしまったから、と言われます。秋田美人のルーツは水戸説、です。
北の抑えとして配置した身内が倒幕の思想的バックボーンになるというのも皮肉な話ですが、元々の思想は家康の孫である光圀(黄門様)が始めた「大日本史」にルーツがあり、議論好きで考え方を突き詰める水戸人の性質が色濃く出てしまった例だと思います。要するに立場や周囲の情勢よりも議論の帰結が重要、会議は踊るわけですね。佐竹が豊臣にも徳川にも積極的に付かなかったのは大方議論百出で纏まらなかったためかも知れません。その時歴史が動かなかった、わけです。

さて偕楽園、造園は千波湖に面した山を崩した、と記録にあるように南側の斜面と台地上部の平坦な部分から成り立つ庭園ですが、急峻な斜面にもかかわらず梅の古木が多数あります。意外な事に正岡子規が当地を訪問し一句詠んでおり画像のような碑も残っています。

崖急に梅ことごとく斜なり

司馬遼太郎「坂の上の雲」には明治海軍の参謀としてロシア太平洋艦隊、バルチック艦隊をこてんぱんに撃破した秋山真之の松山時代、東京時代を通じた友人として正岡子規が描かれていますが、写実を極上とする子規の作風がよく現れて・・・と言うか俳句は良く分かりません(^▽^;ゞ
子規がなぜこんな所に来たのかは謎ですが、彼の門人かつ正当な後継者と言われる長塚節は茨城県出身で現在の水戸一高出身であることが関係しているのかも知れません。彼が通ったであろう旧水戸街道から正面に急峻な斜面とそこにへばりつく梅が見えたはずで、はじめて見た偕楽園の印象として子規の脳裏に刻まれたのかも知れませんね。
*てな事を書いているので「科学的でもあり文学的でもある」と評されるのでしょうけど。ただ、科学でも文学でもなくあくまでも「的」ですので・・

もちろん梅は斜面のみではなく台地上、台地下の平坦部にも大規模な梅林がありますのでお間違え無く。梅の季節には臨時駅に大部分の列車が停車し、昔から梅を見るのか人を見るのか分からないと言われております。「偕楽園をゆっくり見たい」という他地区の方には初夏の五月か秋の萩の季節をお勧めしていましたが、最近ではその季節も知れ渡り人出は年間を通じて多くなっているようです。この日もGW、好天に恵まれ多くの観光客がおりました。

◆五月色

千波湖からもちらちら見えていましたが、燃えるようなツツジがこの時期の見物です。好文亭前にはこんな植え込みもありました。関東では群馬県の館林がツツジの名所として有名ですが、派手な色が纏まると非日常的な色彩となりますね。ツツジを撮ると何らフィルターを装着しなくてもこのような発色となります。(特にレタッチもしておりません)被写体としてはとてもクセの強い花ですね。
何だかんだいわれの多い偕楽園の花木ですがツツジは樹齢280年と言われる古木があるわりにいつ誰が、という案内書きは見当たりませんでした。所々に咲いている印象でしたがこれでも合計で380株ほどあるそうです。
さして珍しい木でもありませんが、こうした整備された公園や山奥で見ると格別です。駅や街道沿いの埃やゴミをまとった姿からは想像も出来ない程輝いています。せっかくの綺麗な花ですが子供達はまったく興味が無く斜面の穴に住んでいるトカゲを追いかけて遊んでいました(汗)。危険なのでアイスクリームを買い与え、食わせている間に付近を撮影して回ることにしました。

こちらは「いわれ」のある木です。巨大な桜ですが徳川の殿様の奥方が宮中から降嫁した際に持参した桜が枯れたため、後年宮内省に頼んで京都御所から分根して貰った、と但書がありました。
事情由来はともかく、手入れの良い広場に巨木の陰があると安らぎますね。この木何の木の世界です。東北の某所に桜の古木一本だけの撮影の名所がありますが、この一本の桜も対比の妙というかどこから見ても見栄えがするような計算を感じます。特に好文亭から見る景観は素晴らしいでしょうね。
計算、つまり偕楽園の本質は公園ではなく庭園なのです。それは「領民と(とも)にしむ」のが江戸時代の階級制度でいかに制限付きであったのか考えて見れば分かりますし、現代の会社員でも社長の別荘に招待するから「共に楽しもう」と言われても休日出勤の気の重さ以上の感情がわかないのと同じでしょう。
一応の開園の精神に則り造園以降、3と8の付く日は「庶民の入場苦しからず」で運営された江戸時代ですが、幕末の財政逼迫時にこれだけの土木工事を行ったわけで、見物許すと言われても実質税として負担した庶民がどのような目で見たのか想像に難くありません。今で言えば年金を長年払い続け、記録がありませんと言われた挙句にその金で建設された「彼らのための」豪華な施設を眺めるようなものですね。

◆好文亭

偕楽園は梅の名所の名に恥じず100種3,000本の梅がありますが、梅の異名「好文木」から命名された建築物が画像の好文亭です。
残念ながら第二次大戦時のアメリカ軍の市街地無差別爆撃で水戸城とともに焼失し、現存する建物は再建されたものですが、元々は造園時の藩主徳川斉昭自らが設計したものと言われています。この建物のみ見学が有料ですが、なかなか面白い仕掛けがあり、階下の調理場から上の階に膳を運ぶ手動エレベータがあったり、前出のように梅でも桜でも萩でもベストポジションの眺望が得られるような立地となっています。もちろん千波湖方向のパノラマも楽しめます。
水戸徳川家と言うとどうしても黄門徳川光圀や最後の将軍慶喜が有名ですが、斉昭はなかなかの曲者で尊王攘夷の問屋以外にもあれこれ一家言をもって政治に口出し煙たがられた挙句に蟄居させられたりしています。ブレーンの藤田東湖という人も凄い人で、幕末の志士達は彼に会う事がステータスだったようで若き日の西郷隆盛も島津久光の命で面談し感慨を得たようです。彼らは権力者でありながら思想家と建築家を兼ねていたような存在であり、ダヴィンチ的な魅力があったのでしょう。

この好文亭で上流階級の嗜み、茶の湯を楽しむためには良質の水が必要ですが、好文亭の崖下やや下った辺りに湧水があります。吐玉泉(とぎょくせん)と名付けられた湧水ですが、概ね台地の端、断崖線には湧水が多く、東京都西部の国分寺断崖線と湧水群は有名です。東京の矢川はその水量を集めた清流ですが、ここ偕楽園下の湧水は規模が小さく水量は少なめ、植生もクレソンやミゾソバ、ハンゲショウ、ミツガシワなどが見られる程度です。
吐玉泉の井筒には大理石が使われており、水が飲めるようになっています。説明によれば眼病に効く、とありますがちょっと?ですね。受験勉強や趣味の読書で視力の落ちた長女は喜んで飲んでいましたが(汗)。
断崖と言えばこの偕楽園下にはヒカリゴケで有名な洞窟もあります。ヒカリゴケは1目1科1属1種、絶滅危惧I類(CR+EN)というムジナモ級の貴重品ですが、ムジナモと違い自生は各地に少数残り手厚く保護されているようです。自生する洞窟には近づけませんが、無料で不特定多数が入る公園近くなので公開しない方が良いですね。

◆ランドスケープ

偕楽園から南西方向の眺望は昔とかなり印象が変わっていました。両側に丘陵が迫る湿地、谷津田地形は整備が進み、遠目で見ても護岸や駐車場など人工物が目立ちます。まさに何の利用価値も無い湿地を莫大な時間と費用をかけて有効利用した、と自己主張しているような「妙に綺麗な」光景が広がっています。
私が記憶する湿地帯は、斉昭以来連綿と続く公園造りの過渡期的風景だったのでしょう。記憶では千波湖東岸、現在の水戸駅南口に立ち並ぶビルのあたりも空き地や湿地が点在する自然が残る空間でしたが変われば変わるものです。
考えて見れば県庁所在地、以前の光景がむしろ異常だったのでしょう。近県、政令指定都市の千葉、さいたまは当然の如く、宇都宮、前橋、福島、それなりに整備されて都市の表情があります。水戸だけ開発して悪いわけではありません。ただ過去幾多の反省を経て「自然再生」や「公園のあり方」は半ば常識となりつつあるはずですが、その思想が開発にもどこかに生かされれば、と思います。最早完全に余所者なので「思う」だけですが・・。

という事で久しぶりに見た故郷の風景は「上っ面が綺麗」というものでした。霞ヶ浦や県南の悲惨な状況から不死鳥のようにハイレベルかつ志の高い思想と実践が生まれるのを見続けた故、かも知れません。鷲谷いずみ先生の著書に登場する「東京はビジネスで来るのは仕方ないが旅行では来たくない」という外国人ビジネスマンの多くが受ける一種無機的な印象と同質の感情に近いのかも知れません。
県庁所在地、その県庁も駅前の銀杏の古木を右に折れ、水戸城の堀を渡って煉瓦造りの建物へ、という情緒は無くなり、やや郊外の高層ビルに変わりました。駅ビル、ショッピングモール、地下駐車場、変貌の方向性はまさに千葉市やさいたま市と同じ、首都圏近郊のパターンでした。これも時代の流れか、歳を取ったのか。たぶん両方なのでしょう。


Vol.54 茨城県水戸市 2008.5.3(Sat)
photo Canon EOS40D/SIGMA 17-70mmF2.8-4.5 MACRO



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送