利助おじさんの探検絵日記

【その56】都会工場跡地の湿地

◆自然発生やら英断やら

何を隠そう、わたくし元東京都民ですが、都民時代の大部分を豊島区で過ごし、それ以外の4年間、荒川区の東尾久という場所に住んでおりました。尾久一帯は下町と言えば下町ですが、下町の本場江戸川区や葛飾区とは微妙に異なった雰囲気があります。
微妙の中身は「やや都心寄り」で、東尾久でも一丁目辺りなら山手線の西日暮里や田端が徒歩圏なのです。東京にお住まいの方ならご理解頂けると思いますが、山手線の駅を徒歩圏で利用できる、というのは東京のなかでも「都会」です。余計な話ですが「最寄駅田園調布」は基本金持ちです。しかし例外もあって「田園調布←→渋谷」という定期券が欲しいために田園都市線の駅2区間ほど歩いていた人を知っています。(汗)
要するに細い路地、路地にせり出した縁台や植木鉢、製造業、印刷業を中心にした中小企業と住宅のモザイクなど下町特有のデティールを持ちつつも流れる空気が山の手風、と言ったところでしょうか。そう感じるのは私だけかも知れませんが・・そんな街の一角にあった旭電化工業株式会社尾久工場が移転、跡地に水が溜まって湿地となり様々な生物が住みついたのを機に都立尾久の原公園として整備されました。

持ち込んだ人間がいない、という前提で言えばこの公園は湿地の生物が伝播する速度を測る興味深い事例となっています。首都圏では希少になりつつあるタコノアシやシロネ、ハッカなどがたかだか数年で入り込んで繁茂しているのです。ザリガニや小魚も住み着いています。風による種子の運搬、水鳥に付着した生物の卵、理屈としては分かっても目の当たりにすると不思議な感じがします。元々苛性ソーダの工場だったそうですが、残留有害物質も無かったためでしょう、シロネなどは地方の湿地でも見ることが稀なほどの群落を形成していました。
工場跡地を買い上げて公園にする、これは裕福な自治体筆頭の東京都であれば容易なことでしょうが、評価したいのはその運営方法です。ガチガチの利用規則ではなく、湿地の生物を捕獲することが黙認されているのです。これは周辺の子供達にとっては下手な遊具や売店などの設備よりも余程嬉しいことだと思います。泥だらけになって捕まえた小魚を自分で飼い、死なせることで得るものが多いはずですが、その機会も無い子供達が圧倒的に多い地帯だと思われるからです。

公園整備に英断を示した同じ東京都のやることですが、日暮里・舎人ライナーなる意味不明の交通インフラが開通しました。都バス路線もありますし、乗り継ぎを考えれば地下鉄がリーズナブルですが、バンコクの高架鉄道BTSのような全線高架の鉄道が日暮里と見沼代親水公園というあえて結ぶ必要性が見つからない路線に作られたのです。
もちろん沿線の住民の方は便利になったと思いますが、つくばエクスプレスのように沿線開発が見込まれるわけでもなし、常磐線や京浜東北線の混雑緩和に繋がるわけでもなし、沿線以外の住民にとっては「意味不明」です。これは唯一現存する都電荒川線にも言える事ですが、早稲田と三ノ輪橋というJRの駅から離れた始発が今更何の意味があるのか、と思ってしまいます。

てなことを思いつつも新しい乗り物には一度は乗ってみたい大衆体質、長男の通院付添いの後これ幸いとばかりに日暮里から乗車、目的地の無い交通費も虚しいので設定したのが「尾久の原公園」というわけでございます。
最寄駅は「熊野前」、懐かしい地名です。居住当時、熊野前商店街の活性化のために「ビートたけしの元気が出るTV」という番組がイベントを行い、当時から大衆体質であったわたくし、いそいそと見物に出かけた思い出があります。当時と変わったのは今しがた乗ってきたライナーの高架が尾久橋通りにかぶさり、道路の雰囲気だけは首都高と2階建ての赤坂見附、池袋になっていたことです。歩いている人の数は我が町と五十歩百歩。何となく和みます。(笑)
この熊野前は都電荒川線と交差しますが、荒川線の方は前述の通り終点が三ノ輪橋。最寄のJR常磐線南千住まではやや距離がありますが、都電にも乗ってみたい長男のために帰りのルートといたしました。

◆都市の潤い

下町を歩くこと約10分、新生首都大学東京健康福祉学部を通り過ぎると尾久の原公園です。再開発地域だからでしょうか、歩道は歩きやすく、街路樹もあって下町に似合わぬ一画の雰囲気です。
途中、ライフ(スーパー)がありましたが、スーパー前の駐車場がなく自転車専用となっていることに長男が驚いていました。田舎、つまり私達の生活空間では駐車場の無いスーパーは物を売っていないスーパーとほぼ同意味。その日の特売に合わせてかなり遠方からも買物に行くが普通です。かく言う我が家も買物レーダーの索敵範囲は半径15km、何件か特売を合わせればガソリン代を払って余りあります。都市部のライフスタイルと根本的に違うのです。
さて、そんなところに軽いカルチャーショックを受けつつ到着、リュックに収納可能な唯一の網、熱帯魚用の小さな網に針金を巻きつけて柄を延長した「自作魚網」を手にした長男はやる気満々で池の方角に走って行きました。私はと言えば例の如くカメラを片手に湿地植物を撮影しながらちんたらと歩いて行きました。私にとって植物を見ないで湿地を歩くのは財布を持たずにアメ横を歩くのと同じ、ですので仕方がありません(汗)。
公園入口からしばらくは広場やら木陰のベンチやら「普通の公園」でしたが、100mほど入ると一段低くなった土地となり、咲き乱れたムラサキサギゴケなども見えていよいよ湿地らしくなってまいりました。

この湿地で最初に目に付いたのは冒頭で書かせて頂いた通りシロネです。元々存在感の強い植物ですが、湿地の非常な広範囲に群生していました。群生するとさらに存在感を主張し、イヤでも目に付きます。開花は時期的にしておりませんでしたが、太く真っ直ぐな茎、強烈な鋸歯が印象的です。
まさかこの自己主張の強い植物を育てようと思う方もいないでしょうが、シロネのスケールダウン版であるヒメシロネやコシロネでさえもあちこちに拡がり繁茂します。草体は綺麗ですが花が非常に地味、という弱点がありビオトープ用でも不人気ですね。
シロネが優先種となっている湿地の外縁にはこれまた特徴的なスゲ属、アゼナルコやミコシガヤがありました。スゲ属は自生環境を選ぶようで、水田地帯でも目にする機会が少ない両種ですが、この環境が気に入っているようで、ここではカヤツリグサ科の優先種のようでした。
この辺りから「素朴かつ重大な疑問」がふつふつとわいてきました。元々は苛性ソーダの工場跡地、付近に大規模な湿地もないこの環境で、いかに多様性に満ちた湿地植物群が進出したのか、ということです。

◆湿地復元の謎

この道筋を考えるとき、二つの可能性があると思います。一つは埋土種子の可能性ですが、元々湿地だったという確証は無く、しかも工場が操業していた期間を考えれば可能性は薄いでしょう。植物以外の生物、メダカやザリガニ、ドジョウの存在を合わせて考えれば第二の道筋が可能性として強く浮上します。すなわち「伝播」です。
人為的に魚や植物を移植した、という記録は見当たりませんが人為的なものもあったと思います。しかし最も妥当な考え方は鳥による伝播だと思います。カヤツリグサ科やタコノアシなど「軽い種子」が周辺の湿地から鳥毛に付着して、あるいは重いものが鳥に食べられて運ばれたことは想像に難くありません。
この事例は湿地の復元という観点から非常に興味深いものだと思います。なにしろ下町とは言っても東京23区内、空き地に水が溜まって20年もしないうちにこれだけの植生豊かな湿地が出現したわけです。条件が整えば湿地は復元する、という現実的な証拠なのです。ただその条件が何か、ということは簡単に分かりません。

茨城県南部のいくつかの湿地、ガマやアシだけの単相の湿地を見るにつけ、湿地の遷移への介入の是非と、多様性を保つために人為的撹乱をどの程度まで行うべきか、というテーマが脳裏に浮かびますが、逆にこのような成立間もない豊かな湿地を見ると湿地の復元は現状への足し算引き算では不可能であるとの思いをあらたにします。(ちょっと分かりにくいでしょうか?)
簡単に言えば現状のダメ湿地は一度全部刈り取って火でも付けてしまえ、ってことなのです。これでも埋土種子からの発芽や伝播によって新たに多様性に満ちた湿地が新生するはずです。この方法論は渡良瀬遊水地でも毎年行われていることです。現状維持を汲々としているような湿地に未来はないな、ということです。(まぁここも手を入れなければ何十年後かにそうなるでしょうけど)

◆自然のレイアウト

てなことを考えつつ(おじさんは常に「考える」ものである)、池に架かった木道から小さな網で悪戦苦闘している長男から遥か遅れ、まだ自宅周辺には来ていないオオニワゼキショウなど「成るほど遷移環境」と思わせる外来植物などを愛でつつちんたら歩いて行きますと、画像のように非常に好ましい自然の造形がございました。
切り株を挟んだハンゲショウとタコノアシです。まだ白い部分が出ていないライトグリーンのハンゲショウが白い切り株のこちら、向こう側には赤っぽい茎が目立つタコノアシが群生し、周囲をイヌホタルイが囲む・・・う〜ん、配色的にも良いですね。こういうものを見ると某アクアメーカーの社長の「レイアウトを自然に学ぶ」というコンセプトが納得できます。とは言え、ハンゲショウもタコノアシも水中では似ても似付かぬ草姿になってしまいますが(汗)。
さらに加えて言えば、ネイチャーアクアリウムなる言葉、自然の造形からのインスパイアを限られた空間に再現するという点に於いて極めて芸術的、創造的です。簡単に言えばネイチャーアクアリウムを標榜するのであればセンスを見せろ!ってこと。さらに困難なのはセンスを実現する技術力を持たなければならない、ということで半端な人間である私には未知なる高みです。今後も機会は訪れないと思いますが、アクアリウムを本格的にやるのであれば、センス及び技術に乏しい私は迷うことなく先人のデザイン、理論が即様式美となっているダッチを選択するでしょう。自然のデザインは到底人智の及ぶところではない、と思います。

意気込みに反し、熱帯魚用の小さな網で奮闘しつつも「坊主」の坊主を尻目に、地元と思われる親子はザリガニやモツゴ、メダカ、ドジョウなどを次々にお縄にしていました。さして珍しくもない獲物でも自宅周辺では魚獲り名人として名高い息子のプライドが許さなかったのか「ちゃんとした網を買って」とせがみます。日頃まず物をねだることのない子なので買ってあげても良かったのですが、ここは東京。田舎のホームセンターの如きものはなく、それらしき店も見当たらず「都電でも乗って帰るか」という結末。カラスがクァーと鳴きそうなペーソスですな。

◆豊かさを得られる場所

東尾久三丁目の都電乗り場まで歩く途中、初体験の「振って飲むファンタ」を買い与えたところ先程の憤懣やる方なし、の気持ちはゼリー状の奇妙な飲み物に吸収された模様で、このあたりが10歳の限界なのでしょう。
さらに物心付いて初めての都電にも心を奪われ、道路の信号で止まる電車の珍しさにも少なからず興味を覚えた様子で親としては「やれやれ」でした。自分でもいい年こいて植物やらメダカやらは獲りますので気持ちは良く分かるのです(笑)。10歳の子供と価値観を共有できるのは考えてみれば貴重なことかも知れません。・・・と行動を正当化する親(汗)

さてこうして湿地で小さな生物を採集していた地元の皆さん、日が暮れて一日の終わり、子供と一緒に風呂に入った時に捕まえた生物のこと、飼育する環境の事、あれこれ会話している姿が想像できます。とても贅沢な時間だと思います。
金をかけなければかけないほど精神が豊かになる、これは私の信念です。もちろん金を遣いませんので懐も豊か。金をかければ受け取る人間がいて対価に見合ったサービスなり商品を受け取れる、当然の話です。それよりもこうした遊びを通じてわきあがる「悪酔いしないアドレナリン」が精神の糧になると思うのです。自然で遊ぶと精神的な飢餓感を感じないのです。都会のビルでPCに向かって仕事をする日々、週末の植物やメダカを思う心は間違いなく飢えているのですぞ。少なからぬ投資で入手したレンズ、入手した瞬間に次のレンズが脳裏に・・・飢え以外の何者でもないですね。ま、分かっていても突っ込んでしまうのが人間なのですが。

家に帰り、かねてダイソーで買っておいたアスパラガスの根茎を子供と一緒に植えつけました。植えつけると「収穫したら茹でてマヨネーズで、いやベーコンと炒めて」など色々想像されてなりません。私の野菜なので私が調理します。こうした「妄想」が「悪酔いしないアドレナリン」であり、そして飢えではなく豊かさだと思うのです。子供には精神の豊かさを積み重ねることで心の豊かな人間になって欲しい、ということがこの日唯一の親らしい感想なのでした。


Vol.56 東京都荒川区 2008.5.17(Sat)
photo Canon EOS40D/SIGMA 17-70mmF2.8-4.5 MACRO



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