Fear of waterside
【第二十一夜】叫び Contents

◆音響地雷
◆一年中釣瓶落とし
◆教訓

◆音響地雷


田舎のインフラ、特に道路の特徴として、幹線はともかく幹線同士を連結する枝道が非常に貧弱、という点があげられます。
これはそんな道路の一つですが、地元の隘路に慣れた人でも嫌がる道です。なにしろ狭いのです。両側里山の谷津田を貫く道ですが、谷津田に降りるのも狭く曲がりくねっており、腕に覚えが無いと入って行けません。狭い上に両側湿地でガードレールなし、街灯もささやかなので夜は本当にずっこけそうで恐いのです。
かく言う私、当地に越してきて脱輪というものをはじめて経験し(このシリーズに書いていますが)JAFにお世話になったことがあります。あれは結構情けないものがあって二度と経験したくないですね。
滅多に車は通りませんが、それでもJAFが来るまでに数台は通りかかります。必ず傍らに停車し「引っ張る?」「どうした?」と声をかけて行きます。まっ、私が逆の立場でもそうしますけどね。親切ではなく止まって何が起きたのか見たいのです。情けないです(-_-;

私が脱輪以上に恐いのは音響地雷です。この手の道には恐ろしいほど仕掛けがあって地雷を踏んでしまったことは一度ならずありますが、後々嫌な気分が持続するという威力のある地雷なので特に夜間は入らないようにしています。
音響地雷の正体はウシガエルです。そこらのヤマカガシやへっぽこ青大将程度では飲み込めない程でかいのでふてぇ態度なのです。車が来ても退避が鷹揚なのでよく轢かれてしまうのです。
踏んだ瞬間ハンドルに伝わるぐにゅという感触と、悲鳴なのか空気が搾り出される音なのか、世にも恐ろしい音響が聞こえてくるのです。そう、たしかに聞こえて来るのです。

グキュゥ!

特定外来生物だろうと何だろうと、命あるものがあげる断末魔を聞かされて、しかも少なからず自分に責任がある死を目前に平然としていられる人間は多くありますまい。外来生物法だなんだと言ったところで、そもそもウシガエルを連れて来たのは人間です。しかも意図的に。連中だって「ぐお〜」以外に口がきければ「何を今更」と言ったことでしょう。
これをやってしまうとさすがの立ち直りの早い私もその後数時間は嫌な気分(悲しさと自己嫌悪)になります。以前深夜の常磐高速でウサギを撥ねてしまった時には数日間嫌な気分が持続し、ヒビの入ったバンパーの見積を見て2日間程悩む、というおまけも付きました。(結局バンパーは今もそのままですが(^□^;)


で、そんな場所に限って用事があったりするのです。ナニ、たいした用事ではないのですがメダカが居るんです。それも半端な数ではなく。子供にしたって空振りが多いメダカ獲りよりも網を入れれば毎回複数匹が入る方が良いに決まっています。
チャリで行けなくも無いのですが、私が付き合うとなると体力的な問題とか精神的な問題(要するにメンドクセ)があって車で行かざるをえないのです。チャリでたっぷんたっぷん揺らして持ち帰ってはメダカの生存率も下がりますからね。
かくして行き帰り、そろそろと車を走らせ恐るべき音響地雷を避けつつ足元が明るいうちに地雷原を突破するのです。そして踏んでしまっても心を閉ざし一目散で逃げ帰ります。「地雷を踏んだらサヨウナラ」(C:一ノ瀬泰造)です。

*轢死体の写真も何枚か抑えましたが、エログロサイト認定になってしまうので差し控えます(-_-;


◆一年中釣瓶落とし


ところがこの谷津田、日暮れが急、かつ早いのです。それは南北に長い谷津田地形ならではの現象で、西に日が傾くと同時に里山の影に入り闇が迫ってくるのです。このチューバの練習のような鳴き声の野郎共以外にも大中小、様々な両生類が一斉に鳴き出すのです。こいつらは暗くなったり雨が降りそうになるとアドレナリン全開で喜び勇んで行動を起こすのです。
夕闇迫り、もっと遊びたい子供をなだめて車に乗せそろりそろり、と走り出すとかなりの確率で前方にジャバザハットのような親方が居座っています。F田の野郎のせいでガソリンがバカ高いこのご時勢に勿体無くもエンジンをふかすと重い腰をあげて逃げて行きますが、正直な話、中小のカエル達には気が付きません。尚悪いことに踏んでも全く分かりません。
まれに休日の午前中にこのような道を通りますと、アスファルトの上あちこちに蛙の形の模様があります。誰かが前夜断末魔を聞きつつ踏んでしまい、後続車もそれとは知らずしてプレスを繰り返したのでしょう。歳を取ったせいかそれを見るのも嫌になってまいりました。

さて蛙の密度がこれだけ濃ければ当然ながら長い爬虫類も豊富におります。目撃種は青大将、シマヘビ、蝮、ヤマカガシ、ヒバカリなど里山を生息地にする種はあらかた揃っております。
用心深く賢いイメージの彼らも轢かれます。私は生理的に爬虫類は受け付けませんが、それでも轢かれた蛇は気の毒です。太古から同じような場所で同じような生活をしてきたはずですが、近年車という猛獣が出没するために不慮の死を遂げてしまうのです。

何の話か忘れましたが、最も獰猛で残忍な動物は何かというテーマで人間を含む動物達が議論し、ある動物が人間に「最も恐い獣はここに居る」と傍らの池を指差した話を思い出しました。人間が覗いてみると自分の顔が写っていた、という落ち。
そんな残忍な奴らがさらに強力なマシンを駆るわけで、両生類、爬虫類はもとより人を化かす狸もマシンは化かせず、常総ふれあい道路の「動物注意」の看板はすべて狸の絵柄となっている程です。

教条的挿話風湿地保全の話、ではなく命って恐いなという話です。生まれる時の感動は失われる時の悲痛に繋がっているんだなってこと。湿地に響く断末魔「グキュゥ!」を聞く度にそう思います。ある意味、大漁のメダカを持ち帰ろうとした瞬間に「置いてけ〜」と池に言われる方がまだマシかも。


【教訓】

足元が明るいうちに


【音響効果】

心に響く音響効果は隘路の蛙の悲鳴のみならず。最近これにはまっております。イギリス組曲ですが、なにしろ録音、演奏が抜群なのです。全曲聴くと睡魔が襲ってくるバッハとしてはこの曲やマタイ受難曲、ゴールドベルク変奏曲などが有名ですが(人によってはブランデンブルグでも寝るかな)、テクニックと音質に圧倒され内なるテンションを感じているうちに終わってしまいます。まさに名演、名録音ですね。
残念ながら我が家のオーディオはハイブリッドCD対応(SACD)ではないので素晴らしさを100%引き出していないと思われますが、それでも凡百の録音とは桁違い。この録音でシュトットガルトが管弦楽組曲を録音して欲しいと切に願うのでした。

ちなみにアーティストの曽根麻矢子氏、彼女はこの楽器を「クラヴサン」と呼んでいますが私的にバッハやヴィバルディを演るなら「チェンバロ」と呼んで欲しいものです。(ひそかなこだわり。元々はイタリア語)バードならイギリス風にハープシコード。
地元で開催された某バロックコンサートに集った人品卑しからぬ淑女連、コンサートが終わり彼女達の余韻の会話を聞くとも無く聞いていたところ「変わったピアノ」と抜かしやがりました。さすが東京芸術大学が分校を置く芸術の街、わが町です。地元ではこの楽器は「変わったピアノ」です。


曽根 麻矢子 バッハ「イギリス組曲」2005


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