Fear of waterside
【第二十二夜】怪しい放浪者 Contents

◆パートナー喪失
◆怪しい親父全開
◆教訓

◆パートナー喪失


子供ってのは徐々に成長するもので(当然か^^;)、自分自身に成長が無い分、子供の成長を見て歳月を感じたりもします。成長するのは良いのですが徐々に何だかんだ忙しくなり一緒に遊んでくれなくなるのは寂しいものです。
なんだかんだ忙しくなってくるとモロモロの理由で水田地帯への同行を渋るようになり、親父が田んぼで遊ぶ際の免罪符、

網を持たせた子供

が使えない機会が増えてしまったのです。理由は小魚や水生昆虫を捕まえるよりも面白い(と思われる)ニンテンドーDSやお笑い芸人が出るTVってのもありますが、主な理由は塾です。
これはどこかで書いておかなければ、と考えていましたが良い機会なので書いてしまいます。現在の小学校で学科すべて最高ランクの評価を得ていても中学受験ではまるで通用しないのです。小学校教育か中学受験か、どちらが間違っているのか分かりませんが、この「教育の狭間」が進学塾の存在理由なのです。

公立小学校はよほど考えないと存在理由を失うぞ、と思ったのは長女が通った塾(現在長男も同じ塾)と目出度く超難関を突破して入った中高一貫校の入学式で同じ話を聞いたからです。

「塾では受験に出る問題を教えますから真剣に聞いてください、家でも自習してください。休憩は小学校で
「みなさん入学おめでとう。これまで勉強は塾、小学校で休憩だったのでしょうけど、これからはそれでは通用しません」

進学塾や進学校という教育のメインストリーム側では公立小学校を必要悪程度に考えているわけですね。薄々気が付いてはいたもののちょっと驚きました。流行のモンスターペアレント (Monster parent ウマシ科) は「塾の勉強が出来ないので小学校は宿題を出さないで欲しい」とまでほざくそうで、もはや義務(教育)が権利に負ける、ありがちな図式がここにも見られるということでしょう。

要するに義務教育の範疇にありながら最高の教育を受けさせる選択をした場合、個人負担で少なからぬ費用がかかるのです。それはまだ良いのです。私も嫁さんも働いていますのでそれなりに収入もありますから。それよりも子供の分際で忙しくなった(事実平日は私よりも帰宅が遅い場合があります)おかげでダシに使えなく自然教育がなおざりにされているのではないか!という点を指摘したい(笑)。

そりゃ私も中学から私立に行きましたので子供が行きたいと言えば「いかん」と言うわけにはいきますまい。しかし私は塾も家庭教師も使わず自力で勉強したぞ!と力説したところ、嫁さんにあっさり「時代が違う」と言われてしまいました。かくして土日休日とは言ってもめっきり水田地帯に行く機会が減りつつあるこの頃なのです。霞ヶ浦付近の水路に沈していた時代が懐かしい・・・


◆怪しい親父全開


てなわけで田んぼ歩きもめっきり減りましたが、「ホシクサの写真を撮りたい」とか「サワトウガラシの花が見たい」と思えば一人で行くしかなくなったわけです。大人なので別に一人でも寂しくないのですが、客観的に見て、

かなり怪しい!

という懸念があります。懸念というよりも事実に近いでしょう。普通の会社員は田んぼに用事がありません。水田地帯の農道を通ることがあっても犬の散歩とかチャリで買物に出た際のショートカットぐらいで、畦際でカメラを持って何かを探す目をした親父はおりません。しかも客観的に見て「人並み以上に怪しい」容貌と来れば最悪通報されてしまう危険もあります。
まっ、知らない人に見られる程度では何ということもありませんが、知り合いと会ってしまえば挨拶と「何をしているか」程度が田舎の会話のスタンダード。挨拶は問題なくても後者が問題で「このミズネコノオは絶滅危惧種でウンタラ」と演説するわけにもまいりますまい。勢い分かったような分からんような不明瞭な説明になりがちで、さらに怪しさを増幅する結果になろうというもの。

見られていない、会話していない、と思っても意外なルートで情報が流通するのが田舎の特徴。「○○さん(ワタクシ)は農業関係の調査の仕事をしているらしい」と回りまわって女房が拾ってきた噂話を聞いた際には「そう来たか」という感想と、田んぼ周辺の私の行動を見てもその程度の想像力かい、という妙な優越感を覚えたのでありました。(かなり違っ^^;)
その程度の噂が立つのは可愛いものですが、ちょっと前に流行った米泥棒とか水田の土を大規模に盗む事件などもありますので本来「李下に冠を正さず」なんでしょうけどね。


【教訓】

瓜田に履を納れず


【少年の心】

私が現役の子供の頃から存在する伝説のロングセラー「森永チョコボール」と「おもちゃの缶詰」ですが、昔はさほど頻繁に買うわけでもなかったのにやたら「金」が当たったような思い出がありますが、最近は大人買いしても稀に「銀」が当たる程度。
ご存知の通り金は1枚で「おもちゃの缶詰引換券」となりますが、銀は5枚集めなければならないのです。銀が1枚2枚なら「まぁいずれ」という心の余裕もありますが、4枚揃った後の妙な焦燥感は何とも言えません。ましてプレミアムの黄金のキョロ缶が2008年8月まで、と言われた日にゃ「今日こそ当たれ」「明日こそ」と更なる焦燥に身を焦がされることになるのであります。

幸いな事にこうして無事ゲトし、さらにその後連続で出るというラッキーで新規アイテムの「魔法缶」までゲトすることが出来ました。中身は大したものは入っていませんが、子供達にとっては「銀か金が出るかも」「あと1枚で貰える」「もうすぐ到着する」と3段階でワクワク感を味わえる優れた駄菓子ですね。5枚揃った後は子供達も嬉嬉としてキョロちゃんファンクラブから申込用紙をダウンロードしてエンゼルを貼ったり住所や名前を書いたりしていました。
さらに忘れてならないのは、コストコストで次々と撤退し今や少数派となった「ベルマーク商品」であること。金額的に1枚0.5点ですが、田舎の小学校ではベルマークで揃えた遊具なども多数あり、実質的な効果もさることながら「みんなで力を合わせる」対象となっていることは特記されて然るべきでしょう。


黄金のキョロ缶


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