Lycopus ramosissimus Makino var.japonicus (Matum.et Kudo) Kitam. "コシロネ"

 植物の学名を調べると、三名法命名者にやたら"Makino"という名前が出てくることに気が付くだろう。これは我が国に自生する膨大な植物を整理・分類し、かつ多数の新種も発見し「日本の植物学の父」とまで称される牧野富太郎博士(1862-1957)の事蹟である。学名は唯一無二(シノニムという例外は有)のものであり"Makino"はアメリカでも中国でもエクアドルでもその他世界中どの国でも三名法の学名で記載する場合に使われるのである。ワールドワイドなのである。タイトル画像のコシロネは現時点ではいかなる場合もLycopus ramosissimus Makino var.japonicus (Matum.et Kudo) Kitam.なのである。

 さて半ば持芸となった冒頭脱線であるが、学名の話が出たついでに。牧野博士Makinoや角野先生Kadonoという命名者以外に、意外な日本語が学名の一部、しかも命名者ではなく属名に付与されている例がある。オイカワ、カワムツなどのオイカワ属はZacco、発音はザコである。まぁ確かに鯉や鰻などの大物に比べれば雑魚であるが奇妙な偶然もあるものだと調べて見ると偶然ではなく必然、つまり日本語の雑魚が語源であるのを知り驚いた。

 閑話休題。まったく知られていないが彼の生誕した5月22日は「植物学の日」に制定されている。知られていないという点では彼は植物に多少とも造詣または興味のある我々には植物学上の巨人であるが、一般には「牧野」「巨人」と来ればヘッドコーチである。(相当古いネタだな)
 この凄い植物学上の偉人の業績を讃えるのに異論は無いが、そんな文献や他のWebサイトに書いてあるような事をトレースしても仕方が無いのである。何かを成すことがいかに不都合と軋轢を生むのか考えてみたいのである。不都合や軋轢を好まない真っ当な社会人たる私は何も成さない、という事も韻として(思い切り言っているが)含みたいのである。
 おじさんぐらいの年齢になると「好きな事」と「口に糊する」ことは一般的な社会人として二律背反であると気が付くのである。気が付いていないのは理想に燃える青二才及び経験を知識として集積する習慣のない一群(つまりアホ)、突発的に両立させてしまう異能の人、いずれかである。こう言っては何だが「仕事が趣味です」という人間は信用しないのである。その時点で家族をどう考えているのか、組織のなかで意に沿わない配置転換があった際にどうするのか、明確に回答できないのを分かっているので口にはしないが様々な疑問が沸いて来てたまらんのだな。言っている事が疑問だらけの人を信用するほど人間ができていない。

 概ね牧野博士並に凄い事跡を成し遂げる人間はどこか肝心の所がぶっ壊れているもので、私の肝臓がぶっ壊れているのが問題にならないぐらい牧野博士の経済観念はぶっ壊れていたのである。後々書ければ書くが粘菌の南方熊楠など、どこかがぶっ壊れているというレベルではなくぶっ壊れていたし、同時代の方で恐縮だがアサザ基金の飯島博氏なども金にならない仕事に多大な情熱を傾けるという点に於いてぶっ壊れているのである。もちろんそれは多くの人々を動かし、研究機関や自治体、官公庁も巻き込み大きなうねりを生成した、社会に貢献する「ぶっ壊れ方」である。
 まったく異ジャンルの話だが「巨人の星」はどう考えても非現実的な家庭の有り方だと思うが、イチローや上田桃子など似たような鍛え方をされ、超一流に上り詰めたわけで、通常の常識範疇ではない。そのレベルでぶっ壊れていてはじめて「仕事が趣味です」と言ってもらいたい。

 さて、牧野富太郎の経済観念がどうぶっ壊れていたかと言うと、パラサイトなのである。彼の自叙伝を読む限り、彼には生活のために熱心に働いたという記述は見当たらない。実家や嫁さんのビジネスの収益を研究につぎ込んでいる。そのお陰で後世の我々は成果という果実を味わえるわけだが牧野博士以上に彼の実家や嫁さんに感謝しなければならない。
 日本美術界の奇人、山下清画伯も働かずに全国をぷらぷらし「お、お握りが欲しいんだな」と相手構わず食い物をたかっているイメージ(これはTVで作られたキャラクタ)があるが、常磐線我孫子駅の立ち食い蕎麦屋「弥生軒」で数年間働いている。関係ないがこの店は現存し、蕎麦に巨大な唐揚を2つもぶち込んだメニューが人気である・・・本当に関係ねぇな。
 ただ、経済的にパラサイトだから成功した、と言っているわけではない。大抵の場合ダメ人間のままで終わるのである。何かを成す、というのは本人のスキルやモチベーションも重要であるが、それ以上にタイミングや時代のニーズなど「運」が重要なのである。私が金に不自由せずに遊んでいられる立場だったら間違いなく一生遊び人である。従って牧野博士がパラサイトであっても偉大さにいささかの翳りもない。


 牧野博士の凄いところはパラサイトに加え、正規の学校教育をすっ飛ばしている点で、最後は東大で博士号を取得しているのであるから凄いものである。何が凄いって本人以上に東大の懐の深さである。
 学歴偏重主義が今や歴史博物館入りした現代に於いても東大ブランドは輝きを失っていない。かく言う私も長年信仰のようにその頭があったが、フィールドで現役の研究者とご一緒する機会があり、はっきり言えば認識を改めた。なにしろよく言えば「ガードが固く」悪く言えば「村社会」である。とても在野の研究者を評価して博士号を、なんて雰囲気ではない。同席していた地元大学の研究者の方に顔も向けないのである。素人の私に顔を向けてあれこれ話をするので、私がしどろもどろになりながら答弁をさせて頂く始末。第二回目からは双方、あの大学が出るならうちは遠慮します、ということで欠席する騒ぎ。まさに不倶戴天である。
 ライバル心は分かるが表現が幼い。というか普通の社会人は感情を隠す術を身に付けているのである。身に付けていないと家から会社に行くまでに電車内で携帯を使っている野郎、化粧しているあほ高校生、異様に口が納豆臭い親父に不快感を表明しつつ徒歩に移れば歩き煙草の若造、チャリの無謀運転のプチヤンキー等々に罵声を浴びせつつ歩かなければならない。そのうち2〜3割は力勝負に移らなければ収まらないだろう。体がもたないのである。

 要するに閉鎖性かつ排他性を剥き出しにしている点で世間一般ではいわゆる「非常識」なのである。ある意味「非常識」も壊れ方の一表現であるが、非生産的なネガティブな壊れ方である点が偉人の壊れ方と本質的に異なるのだ。もはや自由な雰囲気もなく硬直化しているので第二第三の牧野博士を受け入れる余地はないのだ。
 ちなみに牧野博士の同時代人で前章でも触れた南方熊楠が東大予備門(当時)に入学した際の同期性は夏目漱石、正岡子規、秋山真之、山田美妙、本多光太郎・・・。凄いメンバーである。夏目漱石や正岡子規は誰でも知っているが、秋山真之は日露戦争で主導的役割を務めた海軍参謀、山田美妙は文学に言文一致体をもたらした先駆者、本多光太郎は永久磁石鋼(KS鋼)を発明した物理学者である。時代背景があったにしても自由と個性が花開いている。少なくても開成や桜蔭から東大に行って官僚になりたい集団ではない。
 今や成功は個人の幸福と直結し、その道筋もある程度固定的であると愚考するのである。当時の「成功」の概念には前提として「国家」があり、良し悪し左右は別として国家のために事を成すのに方法論は自由、パラサイトも然り、という雰囲気があったと思う。それは同時代人である秋山真之、正岡子規を主人公とした「坂の上の雲」に登場する有名無名の人物像から読み取れる。国家のために成すべき事があり、アプローチは手法を問わない、これを許容する懐の深さが明治日本の礎であったと思う。別に明治時代まで遡らなくても戦後JFKが「国が何をしてくれるかではなく、自分が国に何をできるかを考えろ(Ask not what you country can do for you,ask what you can do for your country.)」と言っているではないか。
 てな事を書いていると右側に傾いてしまうが、それは「国家」という字面が自ずから醸し出す雰囲気であって「社会」と読み替えたらどうだろうか。どんな立場でも何らかの社会貢献をする、と言えばご理解頂けるだろう。その思想を色濃く持っていた方々、時代背景だということである。人物を語り評価するのに時代の「空気」が抜ければ真実は分からない。これは「逆説の日本史」の著者、井沢元彦氏の考え方である。
 「パラサイトで好きな研究が出来たので成功した」という見方は現代の見方であって、当時の第一義的な価値観は国家(社会)に貢献することであり、方法論、経済的背景は評価外だ、ということなのである。その辺りが現代のヲタ共と一線を画しているのである。


 これだけ広範に、言ってしまえば常軌を逸するレベルで深く植物を分類し現代に至るまで標本DBが残っているのに、我々の如く半端な知識と断続的行動力を持つ植物愛好家にはやや不満があるのも事実である。それは「半端に深入りした成果」に完全に応えてくれず、場合によっては謎が深まってしまうからである。
 具体的に事例をあげてみよう。件のアオヒメタデとヒメタデ、である。ひょんなことから調べ始まったヒメタデ、アオヒメタデについては有象無象の図鑑群から市立図書館の最奥に鎮座する門外不出の牧野植物図鑑、ネット上のリソースまで精査した結果、はっきり言えば分からない
 このタデ科植物、牧野標本館にあるやや小さなヒメタデの画像がどう見ても渡良瀬のアオヒメタデと同じに見えるのである。そして牧野標本館、植物図鑑上にアオヒメタデは無い。当該標本がシノニム、誤認、未知の種の可能性を正確に網羅していないことは十分考えられる。なにしろ栃木県の片隅で「変わったコウホネ」が新種シモツケコウホネ(Nuphar submerusa Shiga et Kadono)として記載されたのは2006年のことである。渡良瀬遊水地のツリフネソウがワタラセツリフネソウ(Impatiens sp. )として新種記載されたのは2005年である。ちなみにこのワタラセツリフネソウを発見した大和田真澄氏も渡良瀬のアオヒメタデとヒメタデの種としての懸隔を指摘しておられる。まだまだ植物は可能性に満ちた海、なのである。可能性の海に完全な羅針盤を求めるのが不満の元。逆に言えば牧野博士が完全に網羅してしまっていたら後世新たな発見もなくつまらないのである。

 植物界の巨人の業績に不服を唱える半オタの私はまさに蟷螂の斧であるが、不服を唱えられるだけましだと思うことにしている。何しろ自分と家族を支えるために経済的に自分の足で立っているのだ。これを言訳とするのに半分の自嘲と半分の誇りを持つことを告白するのに吝かではない。現代のパラサイト共は牧野博士と「似て非なるもの」である。断言する。今の時代日本全土をほっつき歩き、雑草範疇の草を掻き分け吟味し、成果をまとめ、という人間が現れるか?無理だろう。
 昨今の恐るべきデジカメの進化と市場の隆盛の嚆矢となったQV-10の開発はNHKのプロジェクトXでも取り上げられ、開発者が不屈の精神と信念を持っていたかのように描かれている。全面的に否定はしないが美化しすぎである。牧野博士の如く信念に従って思う通りに仕事が出来るサラリーマンは私の知る限りいない。「私の知る限り」は日本の平均的なサラリーマンが他の同業者を知る水準よりも遥かに高い。大きな製造業で法人営業やマーケティングをやってみれば分かるだろう。一年でダンボールで処分しなければならない程名刺が溜まるし、そのうち7割の方とはかなり突っ込んだ話をしているはずである。
 現代の偉人は会社や家庭、一まとめにすれば「社会」に縛られつつ事を成さなければならないのである。デジカメの隆盛は今になって客観的に考えれば(これが後世の特権)Windows95の登場とこれに伴う「誰でもホームページ」、さらに要求されるスキルが大幅に低くなったブログブームによるものである。デジカメが単独で成功したわけではない。他律要因に負う所大、なのである。しかし社会に縛られるということは逆に自律他律を問わず「成功すれば勝ち」なのである。社会が認めるのである。

 それはともかく、社会構造が異なる時代に事を成すには方法論が違う、ということを言いたいのである。ここで「時代が生んだ偉人」とまとめれば綺麗に終わるが、それでは単なる評論で面白くも何ともない。てなわけで社会に許容されざる「ゴリゴリの奇人変人かつ偉人」の道ではなく、市井の生活者が自然科学史上で名を成した例を次項として書いて見たい。(続く・・予定)

【参考文献】
牧野富太郎自叙伝 牧野富太郎 講談社
坂の上の雲 司馬遼太郎 文春文庫


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送