Sasakia charonda Hewitson "オオムラサキ"

 1971年、茨城県の涸沼に於いて新種の昆虫が発見された。時空を経ること35年、土浦市の片隅の里山で発見者である廣瀬誠先生とお会いする機会がありとても印象に残るお話を頂いた。この話は折に触れ口頭でもテキストでも様々な方にお伝えしているが、アマチュアとして自然科学とどう向き合うか、という点で示唆に満ちたお話なので本稿で再録したい。
 新種の昆虫とはヒヌマイトトンボ(Mortonagrion Hirosei Asahina)で、涸沼の葦原で廣瀬誠、小菅次男両先生が発見された昆虫である。種小名は廣瀬先生のご尊名なのである。(Asahinaは記載者の朝比奈博士)前項の牧野博士の項で主題として述べたが、涸沼の葦帯のような入りにくい場所で目立たないイトトンボの種類を精査する、なんて芸当は牧野博士並に「好きな事に全力かけてOK」の人であれば可能だが、驚くべき事に廣瀬先生はアマチュアなのである。しかも非常に多忙な教職であったとお聞きした。
 要するに「虫が好きな普通の人」の名前がMakinoやKadono、Linn.と互角なのである。いや、種小名だからそれ以上か。湿地をほっつき歩く機会の多い私だが「いざ新種を発見せん」という気概なく、あっても見落とす自信に満ち溢れているので可能性は皆無に近いが、発見したらRotala Risuke kadono.なんてのを角野先生に記載して貰いたい。一生自慢できる財産である。ただ廣瀬先生はその辺の生臭さが無く、写真で見る日露戦争時の将軍の如く清廉無私質実剛健の方である。私は生臭い。ここは大きな違いである。なにしろ私は自分と同じような人間性であれば尊敬しないのである。(汗)

 イメージの湧かない方のために「涸沼」を少しだけ解説する。
 涸沼は茨城県の中部、茨城町と大洗町境にある汽水湖である。一般的な海と繋がった汽水湖と異なり、流出口から海岸線まで相当の距離があり2つの河川を経由している。すなわち流出河川である涸沼川と合流する那珂川で、距離は6〜7kmほどもあろうか。つまりこの河川を遡る満潮時の潮位と主たる流入河川の涸沼川の淡水が汽水湖を成立させているのである。

 このため生物相は豊かで、流入河川に近い淡水傾向の強い水域にはササバモやヒロハノエビモがあり、海水傾向が強くなるに従ってカワツルモや海藻が増えるという面白い湖である。ゴカイを餌にハゼを狙えばカレイやフナ、ヤツメウナギが同時に釣れるという不思議体験も出来る。湖底は礫の場所が多いが、シジミが豊富で宍道湖と並ぶ産地になっている。
 汽水域に生息するトンボとしてはヒヌマイトトンボは唯一の存在であるとされるが、通常そのような場所にトンボが居るとは思われないために長い間発見されなかったらしい。
 この発見により、全国で似たような場所の調査が行われ、ヒヌマイトトンボの多くの自生地が発見されている。


 廣瀬先生は虫が好きである。新種昆虫を発見までしている方なので何を今更と思われるかも知れないが、その手の「好き」とは違うのである。
 最初にお会いしたのはあるNPOのイベントであったが、先生は参加者の子供達に見せるために何種類かのバッタを持参されていた。時期まさに早春で件の虫達は無論越冬中であったが、個人で越冬させているのである。この部分は水生植物を種子や殖芽で保管している私にはピンと来るのである。さらに観察会の途中で子供が発見した褐色のクビキリギリスを大切そうに持ち帰られたのである。
 私自身は採集と云う行為に対し根拠を持って「問題ない」と言い切れるし、その根拠も公開しているぐらいなので違和感はまったく無いが、廣瀬先生はさすが教育者、子供が捕まえた虫を自分が持ち帰る、自然環境の生物を採集するという行為が他人の目にどう映るか、という事を非常に気にしておられたご様子であった。

 私が同じ立場だったら何だかんだ理屈をでっちあげて堂々と持ち帰ると思うが、先生は照れているのである。変な表現だがピュアなのである。シャイなのである。そして何より「この虫が欲しい」という気持ちが伝わってくるのである。素敵である。
 くどいようだが私なら「研究材料として持っていくよ、なにしろ私は新種の発見者だしねぇ、ふふ」と嘯き、自分の重みをトッピングしつつ正当化を行うだろう。これだけの実績と知名度がある人はそれも許されるはずだが、その辺の「虫好きの変わったおじさん」の如く照れまくり、虫が欲しいという生の感情が伝わってくるのである。これは見ていて嬉しかった。

 後日のこと、自分自身は参加しなかったが、ある里山で同様のイベントに廣瀬先生がインタープリターとして参加している場面に出くわしたが、参加者もこの並々ならぬ先生の功績を学習したのか、しきりに「写真を撮らせて下さい」「有名な方とお話できて光栄です」てなことを口にしてぶらさがっていたのを目の当たりにしたのである。これは正直驚いた。参加者の意識レベルの低さ、にである。
 黙って見ていると写真を送りたいので住所を教えろ、と迫る参加者も居て苦笑したが、先生の偉さは素直に「自分の写真は意外と持っていないのでお願いします」と素直に謙虚に応対されていたことにある。そのお姿には先の昆虫持ち帰りもそうだが、過去何を成したかは重要ではなく、今後何をすべきかが重要、という無言の迫力ある前向きの信念が伝わってくるのである。無言で語れる数少ない人間に芸能人宜しく写真撮らせろ住所教えろご一緒出来て光栄です・・・何か他に感じるところは無いのかね?
 この感慨は当日引率していた旧知の某NPO理事長も同様だったらしく、連中が去ったのち同趣旨の会話をさせて頂いた。しかしこのレベルの連中でも自然のイベントに参加してもらい、少しでも何かを持ち帰って考えるきっかけになれば、というのが多くの里山系NPOの課題でもあるのでけっして批判も嘆息もされていなかった。そう、自然と向き合うということは繰り返される抑制の果実としての合意形成なのである。

 この点、自分のブログで議論となったこともあるので更に脱線ぎみの補足を行うが、自然保護という字面から受ける原理主義的なゴリ押しを行う市民団体は私の知る限り無い。それが通用すると思うほど現実を直視していなくはないし、思いをすぐに完全な形で実現しようという性急な施策も存在しないのである。珍しい鳥が営巣したので一切立入禁止、絶滅危惧種なので手も触れるな、なんてのは現場には無いのである。言わせて貰えばまさに「机上の空論」である。徒に危機感を煽ることである。
 そうした思想を理解して頂くのに一日二日のイベントでは端から無理なのは承知、しかし5分間話を聞けば理解できるのに一日居てこの様かい、ってのは偽ざる感想。ここは能力知力理解力範疇ではなく、ただセンスのみだと深く感じ入った次第。


 廣瀬先生からは有形無形に様々なことを教えて頂いたが、いちいち書いていると膨大な量になってしまうので、最も感銘を受けた部分、専門の研究者ではないアマチュアの我々が自然科学とどう付き合うか、という点に絞って書いてみたい。
 ある時フィールドでユスリカの蚊柱が立っているのを見て北限の話をされ、こういう誰もやらない研究を手がければすぐに世界一になれる、というお話を子供達に向かって熱くされていたのである。このお言葉はそのときは「あぁなるほど・・」という程度であったが、後々思い出すたびに重みを増して来ている。
 正直「何月何日にユスリカの蚊柱が立つ北限はここである」てな事を研究しても役に立つ機会は無いと思われる。これはもちろん象徴的に仰っているだけで、ご本人は意識されていないだろうが私のような裏読みを常とする人間が聞けば「子供の人格」に於ける最近のトレンド、妙な平等主義とオンリーワン志向に対する痛烈な批判に聞こえるのである。
 もともとオンリーワン、何でも平等は一見個人の尊重と平等を重んずる綺麗な言葉だが、同時に毒を持っているのである。元々オンリーワンなら何ら自己の個性に磨きをかけて作り上げるという点に於いて努力を要しない、何でも平等は権利が自動的に付与され、義務と表裏一体である基本的な事実を忘れてしまう、ということなのだ。最近の公立小学校では運動会の徒競走で何着でも「1位」である。これは一見平等だが、努力の重要性を否定している。「努力する権利」が本来平等なのではないか。
 その意味では「尊重されたければ他人を尊重し自己に磨きをかけることが必要だし、平等な権利を欲すれば努力を伴う義務を果たせ」と言った方が分かりやすい。人格形成期の子供達にこの基本的な約束事を教えなければ親になっても分からない。給食費は払わないが子供は給食される権利がある、という具合に。

 何でも自分が興味を持つ分野で研究を行う。既存の成果を覚える、トレースするのは研究ではなく「勉強」である。研究とは別に専門機関に入る必要も専門書を原書で読む必要も無く、自分で興味のある事象を自分に出来る深度で掘り下げれば良いだけの話。論文しか成果の公表の道が無かった時代と異なり、今はWebもブログもある。一番宜しくないのは本を読みWebで調べて「分かったつもり」になって終わってしまうこと。
 誰もやっていないことなら「自分なり」でもすぐに世界一だし、そういうのなら巧拙は別として認めようじゃねぇの、という私のような変人も現れる(はず)。そういう事を端的に表現したのが廣瀬先生のお言葉だと思うのである。オリジナリティを伴った努力が重要、元々「資源の無い国の立国」に於いて最重要の概念であったはず。事情は今も変わっていない。そしてブレークスルーには表面化しない細々とした努力の積み上げが必要なのだ。どんなに優れた製品を生み出す企業にも「要素技術」の部署があるのである。

 ちなみに茨城県南部のスズメハコベの自生状況に関して私は世界一の物知りである。もちろんこの「世界一の知識」が役に立つこと、評価されることは未来永劫ない。別に嘆いているわけでも自嘲しているわけでもなく、それが誇り、なのである。万が一評価されようものならすっぱり資料を処分し、別なテーマに注力するだろう。気恥ずかしい。廣瀬先生とヒヌマイトトンボもそんな関係かも知れない。
 もう一つ、どうしても書いておきたい。先生はこの点に付いて何も仰っていないし、あくまで「無言の教え」であるが、年齢や健康状態に関わらずどんな立場になっても興味を持って調べること、成果を分かりやすく人に伝えることに貪欲でありたい。要するに「ポジティブに動くジジイ」になりたいのである。ちょうど先生との出会いの頃、自分の父が癌を宣告された際に出歩くこともなくなり「待つ」だけの生活になってしまったことで尚更そう思う。自分は余命3ヶ月と言われても物理的に動ける限り来年の花を想い苗を植えたいと思う。・・・まっ、思うだけなんだけどね。なかなか生臭さを捨てて切れない俗人ぶりは自分でよく分かっているしね。


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