遠 近 法 的 野 外 学 【Perspective of Wetland】Impression0 思考のパースペクティブ 〜シリーズ前書き 基本的スタンス〜 |
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◇ミクロとマクロ◇ |
本稿はシリーズ全体の前書きです。途中から読んでしまうと「何だこりゃ」「こいつ頭は大丈夫か」と言われかねませんので、先手を打って言訳しておくという卑怯な記事でもあります(爆)。 のっけからお断りですが、このコンテンツは読み手を選んでしまいます。主にフィールドの現象を多面的に見て解説していますが、植物の図鑑や湿地訪問記がフラット(平面)な記事であるのに対し、より複雑な見方をしています。時には全く違う次元の事象を結び付けて記載したりしています。 場合によっては「論理の転換」「強引な展開」と思われるかも知れません。この意味に於いてパースペクティブであり、単なる遠近という距離の問題のみならず時にはバーティカルな、よりコンプレックスな事象をパースペクティブに扱うためにそのような見方をされても甘んじます。しかしながら本質の理解に於いて様々なアプローチがあることを理解できない方は何回読んでもワケワカランと思います。分からないと思ったらどうぞお引取り下さい。 予想通り何を言っているか分からない文章になってきましたが(汗)例えば私が良く言っているこんな論理展開です。
さて、風が吹いて桶屋が儲かると思われた極めて一部の方、この例から何を感じられますか?水田で多くの湿地植物が見られるのはフィールド観察、原因として農薬の使用量が減少したのは農業技術、農業コストを抑えざるを得ないのは農業経済、無農薬をアドバンテージにブランド化を行うのはマーケティング、自民党の改革は政治の問題、ですね。場合によっては対米関係における国策、問題は外交にまで原因を遡ることが出来ます。 あえてミクロとマクロの問題と言ってしまいますが、フィールドで起きている事象にはこのような例が多いのです。一つの側面から見ても全容は到底理解できないような事が。もう一つ例をあげます。
このように「河川湖沼の浄化は絶対正」「生物多様性の保護は国際条約批准国国民としての義務」と大上段に語る反論不可能なマクロの論理がある反面、苦しみながらやりくりして金を捻出しなければならない家計も無数にあるわけで、こういうミクロの事情抜きには何も進まないという事です。 行政がどうの国がどうのインフラ整備がどうの、と責任転嫁をすることは簡単です。しかしそれでは本物の馬鹿です。批判する、責任転嫁する相手は自分達が民主的に選んだ相手です。気に入らなければリコールでも何でも出来る権利があります。行動も起さず口先だけで批判する輩は論外。・・・大分脇道に逸れましたが、要するに細分化された一分野だけを深く掘り下げる目的も無いし、関連することなら何でも扱う可能性があるということです。 |
◇水平と垂直◇ |
もう一つ主題として水平的な思考方法と垂直的な思考方法があります。意味の大部分は前段で述べさせて頂きましたが、少し詳しく思うところを。これは優劣という意味ではなく、物事を関連づけて考える場合に同様の(水平的な)思考を持った文献やテキストから引用して「それで良し」とせずに、全く異なった見方(垂直的な)から見ればソースとして貼り付けたデータの見方が全く違うものになる場合がある、ということです。このテーマは第一発目として詳述します。 実例で恐縮ですが、ある熱帯魚雑誌に「日本の水質は弱酸性なので熱帯魚飼育に向いている」という記事がありました。これに対する「垂直的な反論」はアップした通りですが、ポイントは大きく二つあって以下の状況をどう考えるかという事です。
もっと言ってしまえば、自然科学分野に数多ある諸学問単体でものを見てはいけない、ということです。もう一つ具体的な例を上げれば、水草水槽で十分条件のように言われる「pH」。これは湖沼学では極めて限定的な意味しか持たず、沈水植物の生存にはより重要な指標が多々あります。(この辺は後々具体的に述べるとして)ミクロ(水槽)からマクロ(湖沼)へ、水平(pH)から垂直(ORP他)へ、思考を巡らせることが出来れば新たな世界が見えてくるはずです。 これは自ら生態学、植物生理学などごく狭い分野で解を求めて果たせず、遺伝学で考え初めて解を得た経験にも拠るところです。マクロとミクロ、水平と垂直、そして「見方」、アプローチとしての自然科学分野の諸学問、難しい事を言っているわけではなく、要するに何かにこだわらず素朴な疑問を持て、ってことです。従って「湿地の科学」ですが教科書や文献に出てくるような話は参考情報程度しか出てきません。 このコンテンツはこのような、言ってみれば「ヘソ曲がりの突っ込み」とも取られかねない論法で成立しています。私本人がそのようなキャラかどうかは別として、実はこのような物の見方はある分野では一般的です。これもコンテンツで語った事例ですが、水生植物豊富な沼が干上がり水草が全滅した事例がありました。原因を先に書いておくと宅地造成です。 直接的に沼の水を建設用に取水した訳でもなく、建設残土や排水の流し込みを行った訳でもありません。過程として宅地開発による雑木林の造成が保水力を奪ってしまった、と考えられています。木々が蓄える水分が天然のフィルターである里山の地下を通り、やがて沼の底から湧出する構造であったわけです。沼の成立に必要な水の供給が絶たれてしまったのですね。現在環境整備の名目で上水道から水が供給され沼を成立させていますが、植物相は貧困なものとなってしまいました。 このような発想なしに初めてこの地を訪れ「この沼にはなぜ水草が無いのだろう」と考えた者がCODやらpHやら測っても永久に真実には到達出来ません。発想と思考方法を自由に、常に現場で実践する、目の前の状況について常に「なぜ」を考える。例え中学生の発言であっても全員で真剣に検討する、こんな文化を持つNPOもあります。発表された論文や理論書のみが真実ではなく、ましてやWebサイトや雑誌程度の内容が如何に誤謬に満ちているかという事を少しでもお伝えいたしたく、本コンテンツを起稿いたしました。 |
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