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Perspective of Wetland】Impression2 なぜスブタが見つからないか

〜沈水植物の生育環境〜

◇湿田と乾田◇
私の居住する常総地区でなかなか見つからない植物の一つに「スブタ」があります。常総地区ならず関東地方は広く歩いていますがいまだにお目にかかっていません。茨城県RDBでも絶滅危惧種となっています。
これは、もともと分布が少ないのか、分布していたものが減少してしまったのかで見方が変わると思いますが、私はいくつかの理由から減少してしまったと考えています。理由となるところは本稿の主題ですが、関東地方の地質学的特徴に拠るところが大きいのではないか、と考えます。
昨年、宍塚の自然と歴史の会の及川理事長に伺った話ですが、長らく休耕であった水田を復田したところスブタの発芽が見られたそうで、所々シードバンクには本種も埋土種子として残っているようです。我が家周辺にも諸々の理由によってミズネコノオ、サワトウガラシ、ホシクサ、ヒロハイヌノヒゲ、スズメハコベなどが発芽してきた水田がありますが、トリゲモ類やスブタ、ミズオオバコは見ることが出来ません。何故ならここは乾田で、見ることが出来ない植物は沈水植物、所謂水草であるからです。この点も本稿の主題となります。
スブタが発芽した水田は20年程前に休耕したもので、かつては湿田でした。この「湿田」がキーワードになっているのではないか、という事です。湿田に対する用語は乾田です。文字通り湿った田と乾いた田ですが、一般的には水田は湿ったものと思われるでしょう。ところが必ずしもそうではありません。稲も水生植物ですから湿地の環境は必要ですが、生育中に根に酸素を与えるために水田の水を落したり(中干し、と言います)今はあまりやりませんが裏作で畑地の作物を栽培したりするために水気を抜いています。1年を通して見れば水の無い状態の方が多い場合もあります。
湿田と乾田、まめ蔵のQ&Aによれば以下の通り定義されています。(下線部引用)

乾田
非かんがい期(9月〜3月)の間に田んぼの地下水位が田面よりかなり下にあり、土の水分が畑と同じ程度になる水田で、たい肥など有機物の分解が良く、酸素の供給が効率よく行なわれるため根の発育にとって良い条件となります
湿田
乾田に対し、非かんがい期(9月〜3月)の間に田んぼの地下水位が田面よりあまり下がらず、土が水分で満ちており裏作*のできないような水田で、トラクターやコンバインなどの走行が難しく生産性も低くなります。

湿田は機械化による効率化が困難である以外に中干しが不可能であり、他の様々な要因によって乾田に比し生産が3〜4割落ちるという説もあります。土地改良の対象となっていますし、減反割当が来れば真っ先に休耕とされてしまうような、言ってみれば「邪魔者」扱いされている田んぼです。
これらの話は生産性を考えれば当然の話なのですが、一方ではこちらのように冬季湛水水田を試みる方もいらっしゃいます。このサイトでは自然環境と無農薬によってお米の付加価値を高めようと冬期湛水・無農薬・不耕起農法を実践されています。乾田が良いか湿田が良いかという議論は立場や時代背景、価値観で変わるもので固定的なものではないと思います。
ただし、沈水植物にとっては大問題です。スブタやトリゲモ類、ミズオオバコは気中葉を形成しません。生存の条件は水中の二酸化炭素を吸収して光合成を行う、という以外に乾燥しないという絶対条件があります。これは気中葉すなわち陸上植物と同じ、乾燥から身を守るクチクラを持たないために水分蒸発からの防衛手段を持たない事を意味します。
こちらの画像をご覧頂きましょう。中干しによって水が抜かれた水田です。植物が開花し結実する夏の風物詩です。専門家では無いので詳しい理屈は分かりませんが、この中干しは7月上旬から約3週間、その後8月〜9月に出穂、開花後に断続的に行われます。結実すれば完全に落水されています。
この環境で沈水植物が生き残る事が可能でしょうか。多少の湿り気によってホシクサやトキンソウは開花していますが、少なくても乾田化が沈水植物の分布に少なからぬ影響を及ぼしている、という事は言えそうです。
もともと水田は人間が作った環境ですが、用水路やため池などのインフラを含めて「二次的自然」と呼ばれています。最近では国や自治体主導で里山保全など様々な試みが為されていますが、里山はもともと農業生産と生産者の生活のために必然的に存在していたものであり、電気やガスが来て雑木林の経済価値が無くなり、土地改良により湿田が減ってもある意味当然の出来事です。
この意味において雑木林に甲虫類が見られなくなり水田に様々な水草が見られなくなっても、それを自然破壊と称しそこでの生活者を無視したご都合主義的な博愛主義による批判はもちろん論外です。

◇植物生理学的アプローチ◇
前段に於いてほぼ骨子は述べてしまいましたが、乾田に沈水植物が分布しにくい状況を中干しとの関係において考えてみたいと思います。
一般に水草と呼ばれる植物は大別すれば水中、水上で生活可能な植物と水中のみで生活する植物に分類出来ます。上記で名前を出したミズネコノオ、サワトウガラシ、ホシクサ、ヒロハイヌノヒゲ、スズメハコベは前者、スブタやトリゲモ類、ミズオオバコは後者となります。
個人的に植物として面白いのは前者で、環境によって様々な表情を見せてくれます。採集植物を加温水槽に沈めて育成するという非常にニッチな趣味を持つ方ならご理解頂けると思いますが、ミズネコノオやシソクサなどは気中葉とは全く異なる豪華な水草となってくれますし、ホシクサは開花、枯死せずに数年間は密度の濃い葉を展開して生育してくれます。
これらは比較的容易に水中と水上を行き来できますが、形質を変化させる必要があります。この形質変化のポイントは不完全ながら乾燥耐性を身につける=気中における生活を可能とする草体、水中適応する=水中の養分吸収や気孔の機能を変化させる、という変化であり、気中化した際に水分蒸散を完全に抑えることが出来ないために根本から絶えず水分を補給する必要がある、つまり湿地植物たる所以ではないか、と考えています。
この「不完全な」水分蒸散防止の機能まで捨て去ってしまったのが沈水植物であり、進化論上は湿地植物に比べてより進化した植物と考えられています。不要なものを捨て去るのが進化の方向性、です。その進化した沈水植物達ですが、水中にある事を前提とした植物体であって、乾燥に対する耐性は身につけていません。

北関東の多くの水田では中干しは7月上旬から始まります。最長で2〜3週間水が無い状態となり、その際の状況は上の画像の通りです。その後も断続的に中干しは行われますので、乾燥から身を守る術を持たない沈水植物は乾田では生き残る事が出来ません。世代交代にしても中干し時期は上記被子植物の開花、結実時期と重なっていますので翌年も発芽することはありません。
一方原始的な藻類、水田に見られるシャジクモ類は中干しまでの期間に成熟し卵胞子を残し、世代交代するようです。ただこれもタイミングが合わなければならないようで、前年まで相当の密度でシャジクモ類が繁茂した水田も翌年は全く見られないことも多々あります。良くしたもので、休眠胞子が発芽するのか今度は前年までまったく無かった水田に繁茂したりすることもあります。このあたりはご専門の森嶋先生がお詳しいのですが、不思議な生き残り戦略を持っていますね。
藻類とまではいかないまでも、沈水の被子植物のなかにも乾田に自生するものがあるそうです。南北に長い日本列島ですから同じ水田管理の手法でも地域によって時期が違うのは当然です。中干しまでの期間に開花、結実する植物があることも当然だと思います。
しかし、このような光景が見られるのは関東地方では乾田ではなく、湿田です。これは2005年8月14日の撮影ですが、この頃ヒロハトリゲモ、オオトリゲモ(混生していました)は結実します。この時期まで湛水状態が続くのは数少ない湿田だけです。イバラモ科の多くは絶滅危惧種になっていますが、是非は別としてこんなところに理由があるのかも知れません。私見ですがイバラモ科はため池や湖沼に自生するには条件が整わなければならないのではないか、と思います。具体的には光量の確保であり、水田では容易にこの問題がクリアーできます。
乾田化が沈水植物に与える影響は以上の通りですが、次章以降で述べる理由によって関東地方の平野部には生存に耐えうる湖沼河川は別として、沈水植物の分布が減りつつあるのではないか、と強く考えています。

繰り返しますが、農業生産技術の向上によって二次的自然の生物多様性が失われることは議論の対象とならないと考えています。

◇地質学的特徴◇
関東地方は傾向として水はけが良いのか?これは一地域、部分を評価しても分かりません。よりグローバルな視点から導き出す必要があると思います。
長年疑問に思っていることですが、関東各県に於いて高い生産量を誇る農産物は、生産高の多い理由を「関東ローム層の水はけの良さ」に求めています。
関東ローム層は近所でも小高い丘を切り崩した際などに必ず見られるポピュラーな地層ですが、隆起した地形であろうと火山灰が堆積したものであろうと丘陵なので水はけが良いのは容易に想像できます。が、疑問に思うのは自分の目で見られる以下のような生産地は必ずしも丘陵地帯には無い事なのです。
例えば茨城県中部の露地メロンや千葉県北東部の落花生、埼玉県中部の甘薯など出荷量で首位を争うような作物は丘陵地帯のみならず平野部にも産地の中心があったりします。これはロームがもともと水はけの良さを持っている証左ではないかと思います。ロームが水はけが良い理論的背景は次項に述べる通りですが、こちらの資料に見られる通り関東地方の広範な地域の相当な部分を覆っている地質です。これによって関東地方の地質学特徴をアウトラインすることも論理の飛躍ではないでしょう。

少し具体的な立証に入って行きます。地表の雨水は地中に浸み込み地下水となることは周知の事実ですが、地下水や湧水の構造を見ればある程度地質的な特徴に迫ることが可能です。手元には様々な調査資料がありますが、公開された情報のみをベースとして話を進めます。

【地下水面と地層構造】
傍証を2つ。最初に湧水で有名な東京都国分寺市、国立市の「ハケ」を見てみます。ハケと呼ばれる国分寺断崖線は数多くの湧水があることで有名で、多摩川流域の多くの小河川の源流となっています。水生植物の植生が豊富な矢川もその一つです。このような湧水の典型的構造は、地表から見て立川ローム層、武蔵野ローム層、礫層の下に地下水面がある事で、呼名は違えど関東ローム層のはるか下部にあることが分かります。
傍証2つ目です。多摩地区と異なり常総粘土層を持つ関東地方北東部、私の地元付近ですが、関東ローム層の下に常総粘土層、第一砂礫層、第二砂礫層と地層があります。千葉県の調査資料によれば常総地区の多くの湧水、地下水面は第一砂礫層と第二砂礫層の中間にあります。もちろん例外もあって常総粘土層に地下水面を持つ湧水もあります。場合によっては関東ローム層から直接湧出するものも見られますが、これは粘土層の変異など異例とも言える場合に限られるようです。ソースとして千葉県が調査・編集した「手賀沼付近の湧水」及び崙書房出版の「常磐線沿線の湧水」を上げておきます。
これらの傍証から関東ローム層は水はけが良いのではないか、と考えます。資料によってはロームは自然含水比が高いとありますが、元々土の含水比は深さ2m以下になると年間を通じあまり変化がありません(出典 建設図書「舗装用語解説」)本稿主題である地表面に水のある湿地にはあまり関係がありません。
また、一般に関東ローム層は粘土質というイメージがありますが現実には管状の透水路によって透水性がよいとされています。建築土壌としても関東ローム層は支持基盤として一級品です。

さて、関東地方一帯がすべてこのような構造かと言うと実は違います。関東平野は一般に利根川や多摩川などの大河川による沖積平野で富士山噴火の火山灰が積もった地形と見られがちで事実そのような地形は多いのですが、千葉県北東部に見られるような海底が隆起したような地形もあります。地殻変動による地形もあるのです。このような隆起の際に海が取り残されて低地となり湖となった印旛沼及びその周辺のような湿地もあります。霞ヶ浦も海跡湖です。またつい近年まで氾濫を繰り返していた利根川下流域のような場所もあります。私もこのような趣味を持っていますので茨城県南東部から千葉県北東部にかけて広範な地域を踏破していますが、湿地として認識したのは利根町の新利根川沿いの一部、稲敷市の浮島湿原(これは霞ヶ浦の一部、ですね)、成東・東金食虫植物群落他数箇所のみです。探さなければ見つからない地形が地域全体の地質をアウトライン出来ないことは言うまでもありません。
これは言うまでも無く現時点を切り取った判断で、歴史的には有名かつ江戸時代の幾多の政治家の政治生命を飲み込んで来た印旛沼干拓に代表されるように人為的な土地改良の連綿たる事蹟の結果、です。

◇スブタはどこに◇
地質的な特徴以外に留意しなければならないのは自生環境の問題です。ご存知の通り神奈川県北東部から東京都、千葉県京葉地区にかけては全国有数の人口密集地帯であり、自生環境そのものがありません。また印旛沼、手賀沼、霞ヶ浦、北浦とその周辺、湿地帯で最も多様な水生植物が自生する可能性がある地帯ですが、同時に水質の汚染が凄まじい地帯でもあり多くを望めない現状です。
こちらはわりと人口密度は希薄な土地ですが、人口密度の希薄さが仇となったインフラ整備、特に下水道整備の遅れと、平野部で大規模農業が盛んな事、この2点により環境破壊が進んでいます。意外な事に農業の影響は大きく、膨大な水田や蓮田からの肥料の流れ込み、地場産業ともなっている養豚からの排水などによる影響は周知の事実です。さらに大規模な水田では除草剤の空中散布が容易で、現在も大規模な空散が行われている地域が数多くあります。湿地植物の多様な自生という観点から見るとこちらの影響も無視することは出来ません。
話は変わりますが、以前手賀沼付近でガシャモクが一時的に復活した事例がありました。これは埋土種子によるものですが、被子植物の一部は保険の意味か、発芽率を一定に抑えて残りの種子を残します。シードバンクと呼ばれますが、手賀沼のガシャモクもそのようなシードバンクからの発芽であったと考えられています。森嶋先生も参加された発芽実験ではさらに多くの水草の発芽も確認されているようです。実はスブタもこの点は同じはずで、自生していた地域には多くの埋土種子が残っていると思われます。
埋土種子が残っていたとしてもかつての湿田が乾田になり、湿地は汚染され埋め立てられ復活は難しい環境となってしまいました。一般に埋土種子の寿命は4〜50年と言われていますので、このまま失われてしまう時も近いのでしょう。事の是非には言及しませんが、関東地方にスブタやミズオオバコが自生しにくい状況はご理解いただけましたでしょうか。これらの状況は昨日今日始まったわけではなく、ここ何十年かの状況です。自生が減りつつあるのではないかと推論が成り立つ所以です。


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