シマリス利助との2715日


◆シマリスがやって来た


画像:手に乗る利助

2000年4月8日(土)、いつもの休日のように家族で郊外の巨大ホームセンターに買物に出かけました。このお店は業種業態としては「ホームセンター」ですが、ホームセンター本来の機能はもちろん、食料品やペットなど幅広い品揃えがあり、広大な敷地にテーマ毎の売場建物が存在するという首都圏では考えられないスポットです。お腹がすけば飲食店、買物し過ぎて現金が足りなくなれば銀行ATMまであります。しかもどれもこれも価格が安い!(ATMは安くないですヨ^^;)我が家から10km弱ありますがガソリン使って出かけても十分以上にメリットがあります。休日ともなると店舗に向かう道路にはこの店舗由来の渋滞が発生する程、2000台以上の収容台数を持つ駐車場も空きを探すのが一苦労です。

その日は家内が食料品を買う間、子供達を連れてペット売場(下手な専門店顔負けの独立した建物です)に行くことにしました。実はアクアリウム関連も充実し非常に安価なのです。何を買ったか忘れましたが、やや時間があったので1Fのアクアリウムコーナーから2Fの小動物コーナーへ見物に行きました。
ちょうどシマリスが入荷直後で20〜30匹、オスもメスもなく衣装ケースに入れられて販売されていました。前々から飼って見たい動物でしたが、家内に相談しても「ダメ」の一点張り。生き物が嫌いなのか、と思っていました。後々気が付いたことですが、飼育するのが嫌なのではなく死なれるのが嫌だったようです。出会いが無ければ別れもない。義務ならぬ趣味の世界の話なのでそれもまた然り。
子供達も可愛い可愛いと見ていましたが「買って」とは言いません。この時娘が5歳、息子が3歳でしたが我が子ながら抑制が効いて物分りの良い子供達です。物心付いて以来、ねだっても買ってくれない厳しい親を繰り返してきましたので躾けられてしまったのかも知れませんね。自分で欲しいものは無理しても買ってしまう親ですが子供には厳しく・・・う〜ん(汗)
そんなわけで3人で雁首並べて見ていると一匹の子リスが私を見つめているのに気が付きました。気のせいかと思い位置を変えてみましたが、目で追ってきます。あの顔で見つめられて振り切れる程自分に厳しくない私は長女に店員を呼ばせ、その子リスを買っていました。今から思えば不思議な話ですが、買った後で店員が調べて「男の子ですね」と教えてくれました。
とりあえず巨大なプラケース、敷き詰める木材チップ、給水ボトル、餌、餌入れなど必要なものを買い込み家内に激怒されることを承知で車に戻りましたが、怒るよりもあきれてしまったらしく何も言いませんでした。後々嫌味とも叱責とも付かない愚痴は散々聞かされましたが、シマリスの可愛らしさが勝っていたのかも知れませんね。


こうしてシマリスの子供が我が家にやってきましたが、突発的、衝動的に飼ってしまったため飼育は手探り状態。翌日から本格的に調べることにしてリビングの暖かい場所にプラケを設置しました。
「名前どうするの?」と子供達に聞かれました
正直これには虚を突かれました。こんなネズミと五十歩百歩のような生き物に名前が必要だとはまったく考えていなかったのです!それまでは熱帯魚が一種類増えたような軽い気持ちでした。魚に名前付ける人は(大きいのは別でしょうけど)いないでしょう。第一ネオンテトラを20匹買ってきて全部に名前付けても区別が付きません。翌日「一朗と三朗と健太がいない!」なんて騒いでいる人はいないでしょう。
「リスなんだからリスでいいじゃん。メダカだってメダカだろ?」
こう答えましたが「いやだ」と言います。じゃあ毛が生えているからケリス?リスケの方が呼びやすいか、ということで後々私のHNともなる「利助」が誕生しました。あとでちゃんとした名前を考えてやろうと、暫定的な名前のつもりでしたが呼び出すと定着するようでいつの間にかうやむやに・・・



◆尻尾事件


こうして我が家の一員になった利助は手探り飼育にも関わらず順調に成長して行きました。大きくなるに連れプラケからケージに引越し、硬い木の実も上手に割って中身を食べられるになりました。
もちろん手探りとは言ってもそれなりの飼育書を何冊も買い込み、インターネットで検索して知識の収集はいたしました。それによれば環境に慣れれば丈夫で、もともと野生動物であることから不規則な餌の量、質に慣れているので神経質になる必要はない、ということが分かりました。
そうは言っても実家に帰る際などはやはり留守番させるのは心配で、小さな移動用ケージに入れて連れて行ったりもしました。一度など実家に帰る途中に海水浴に行くことになり、ビーチパラソルの下にタオルをかけたケージを釣るし「雰囲気だけ海水浴」をさせたこともありました。今から考えれば妙な真似をしたもんですが、何しろ「手探り」でしたし、何より一日でも彼と離れるのが寂しいほど家族全員のめり込んでいました。

シマリスはもちろん野生動物ですが、利助はどういう訳か人間を怖がることは一切なく、何ら苦労することなく「手乗り」になりました。こうなると可愛らしさもひとしおで毎日のようにゲージの外に出して撫で回したり遊ばせたりしておりました。リビングに放すと広い場所を走り回り子供達もキャーキャー言いながら一緒に走り回っていました。

そんなある日、子供達がいつものようにゲージから出して遊ばせているとリビングの床に点々と血が落ちています。利助をとっ捕まえて調べてみると、尻尾の先端が2cmほど短くなって血が出ていました。どうやら子供が追いかけっこの際に誤って踏んでしまったようでした。シマリスの尻尾はある意味「トカゲの尻尾」と同じで、外敵に対するリスクヘッジになっています。シマリスを捕食する動物に尻尾を掴まれるとすぐに切れるようになっているのです。
これはまともな飼育書には必ず書いてあることで、十分注意する、尻尾を掴まない、という注意点として強調してあります。十分注意はしたつもりですが、シマリスと3歳、5歳の子供、両者予想のつかない動きのなかでは仕方がなかった事なのかも知れません。
多少血は出ましたが傷を舐めている以外は普段と変わりなく、お詫びの印に拾ってきた山栗を与えると手前からガリガリ齧っては「齧れるとっかかり」を探して、終いには栗と一緒に前転したり、元気そのもので安心しました。こんなことで病気になったり人間を怖がったりするのは悲しいですからね。

畑正憲さんのやり口ではありませんが、野生動物と無理やりでも触ってコミュニケーションをとることは有効ですね。もちろん本気で嫌がったりストレスになったり、こちらが負傷したりしては本末転倒ですが、利助の場合はお腹をくすぐられるのが好きで、くすぐられるとお腹を上に向けてじゃれつき、甘噛みをしてきました。犬のようにペットの歴史が長い生き物でも余程気を許した相手にしかお腹を見せることはないそうですが、野生動物なのにお腹を見せて安心してじゃれついてくれる!これはとても嬉しいことでした。



◆噛みリス


そんなこんなで多少のトラブルはありつつも楽しい共同生活を送っていた半年目の10月15日、いつものように餌をあげようとしたところ異変が起こりました。私の姿を見たとたん、ケージのなかから突進して金網をどつき(そう、まさにガガッと音を立ててどつき)威嚇してきたのです!何かの間違いかと思い入り口を開けて餌箱を取り出そうとした瞬間、思い切り噛まれました。
シマリスのような小さな体でもげっ歯類です。鋭い歯が皮膚を突き破り、指先に出来た小さな2つの穴から血が噴出してきました。痛いという気持ちよりも前日まで親密に馴染んでいたペットの豹変ぶりにショックを受けました。

これも飼育書にある「噛みリス化」です。なぜ噛みリスになるのか正確なところは分かっていませんが、時期としては秋から翌年春頃まで期間限定で起きる現象です。色々情報を集め、長年飼ってみて分かったことがあります。ただし「分かった」だけで防止することは困難です。
キーワードとして、(1)シマリスは繁殖期以外は単独生活(2)冬眠する動物である、という2点があります。もともと彼らが生活する東北アジア(北朝鮮、中国北部)は亜寒帯の針葉樹林、餌となる実を付ける広葉樹は少なくその上に入手可能な時期も短い、という悪条件があります。冬眠用の食料(完全に眠たままではなく、時々起きて餌を食べます)が集められるかどうか、という生死に直結する条件があるのです。
野生下ではシマリス1匹を養うために必要な山林は広大なもので、時として彼らの活動エリアは半径1kmにも及ぶそうです。この広大な「縄張り」で冬に死なないように餌を集めなければならない、自分の縄張りに踏み込む競合者は「」なのです。こう考えれば納得できなくもありません。
人間に馴れたシマリスほど「噛みリス」になりやすい、とも言います。これも考えてみれば当然で、いかに噛みリス、自分の縄張りを侵す相手でも熊やイタチには向かって行かないでしょう。反対に食べられてしまいますからね。この行動は仲間、競合相手に向けられる行為だと思えば許せないこともない・・・が痛いですヨ(汗)。
ほんの子リスの頃から育てていますので彼の目に映る生き物は人間だけ、しかも餌をくれる、害を受けない仲間なのです。自分を人間だと思っているのかも知れません。それでも本能が発動してしまうとどうしようもないのでしょう。

私の最大の関心事は噛みリスになってしまったことより、これが元に戻るのかということでした。いかに私が「変な人」でも見るたびに噛みに来る危険物をコストをかけて飼育し続けるのはイヤです。手の中で可愛がりたいし、出来ることなら家族で飼育を分担することで子供達の優しい気持ちも育てたいのです。
この心配は翌年1月15日にころりと態度が変わったことで杞憂に終わりました。晩年はやや乱れましたが5年ほど判で押したように10月15日凶暴化、1月15日沈静化、特異日としてのパターンが続きました。



◆冬眠


画像:利助@冬眠中

冬眠前の食料集めと同時に重要なのは巣材集めです。利助にはセキセイインコの巣を与えていましたが、なかにゲージに敷いた新聞紙や牧草を運び込み、貯蔵用の餌と一緒にギッチリと固めます。自分が丸くなって寝るスペースを中央に作り、入って来た「通路」には新聞紙を何重にもかけて篭城します。
初年度に10日以上も姿を見かけないことがあって心配になり「発掘」してみた時に分かりました。巣箱を開けて掘り出してみると丸くなった利助が出てきましたが、その体の冷たかったこと!ネットの情報ですが、この状態を死んだと思い埋めてしまった人もいたようです。とても哺乳類の手触りではありませんでした。
掌に乗せて人間の体温を徐々に移してあげるようにすると30分ほどでモゾモゾ動き出し、1時間程で意識が戻ります。冬眠を邪魔することになりますが、私は起きて何か食べた方が良いと思っています。一度起こせば2〜3日起きていて餌を食べたり水を飲んだりしています。この期間は毛艶も出てきますので。問題はこの状態でも「噛みリス」モードが継続していることで、意識が完全に戻れば当然のように噛まれます。一度軍手をして暖めましたが、鋭い牙は軍手を突き破ります。意識が戻る寸前にケージに戻すようにすれば大丈夫ですが、朦朧とした状態で暫くふらついているので多少気の毒でした。

実際問題、日本の気候、特に関東地方程度の「冬」ではあまり気を使う必要もないと思います。本能的に防寒体制を構築、食料備蓄を行いますが、飼育下では餌が無く寒さでやられてしまうことは無いはずです。彼らの行動は朝鮮半島や中国東北部の寒さを基準にしているのです。そのような場所では地表に出て餌を食うことは無いはずですが、飼育下では姿は見えないながら餌箱が空になっていることがしばしばありましたので適当に起きても(起こしても)何ら健康上の問題はないと思います。



◆モモンガ登場


画像:小次郎@タリクモモンガ

利助が家に来て1年、げっ歯類、特にハムスターなどとは一味違う「野生」の魅力に嵌った私はデグーかチンチラを狙っていました。昔からこの連中は好きで何回か飼育しましたが、結婚、育児の間は封印していましたので尚更思いが募っていました。
アクアリウムの方は我慢しきれずに継続していましたが、長女が歩くようになって水槽に手を突っ込み水草を食べたのにびっくり。手が届かない場所の設置に留め、この時に大幅に縮小してしまいました。自分の趣味の世界を大幅に縮小するのはつらいものがありますが、独りで生きているわけではないので仕方ないですね。こう書いていると格好良いですが、もちろんそれなりの葛藤もありました。

そんなわけで自分のなかでは「大幅に縮小した見返り」を錦の御旗に、そして小動物を買ってしまえば最初は何だかんだ言いつつもすぐに「可愛い〜」とベタベタになる家内の習性を視野に入れて機会を狙っていました。
利助が来た事情とまったく同じ、2001年3月下旬に件のホームセンターに出かけた際にそいつはいました。タイリクモモンガ。この際理屈は必要ありません。有名な小動物専門誌「アニファ」で写真は見たことがありましたが、実物の何と言う愛らしさ!これまで「こんな可愛らしい動物はいない」と思っていたシマリスが多少野暮ったく見える程のインパクトでした。ふかふかの体毛、大きな目、やや不釣合いに大きな頭、小動物が持つ愛らしさをすべて備えた完璧なげっ歯類。もちろんデグーやチンチラは瞬時に「圏外」となり衝動買いしていました。

我が家にやってきた時にはすでに成長した利助より小さく、次男という意味も込めて「小次郎」と名付けました。彼も家族に可愛がられつつ惜しくも5年後に亡くなりましたが、驚いたのは利助の態度です。隣にケージを設置しましたが見事な程に無関心でした。
夜行性のタリリクモモンガと昼行性のシマリス、時間はすれ違いですがお互いアバウトなので夜7時ごろケージ越しに出くわすことも多々ありましたが、利助はマイペース。むしろ小次郎の方が低い唸り声をあげて威嚇していました。威嚇されてもまったく無視、無関心。人間の姿を見かけると「何かくれ」とばかりに金網に前足をかけておねだりしてみたり。わりと神経質で気難しいタイリクモモンガとは好対照でした。



◆旬を探す「家族の絆」


こうして小動物の家族が2匹となり、5年が過ぎました。いつのまにか季節毎に自然の恵みを山野で探して与えるのが我が家の習慣となりました。これは健康的で楽しいイベントでしたね。野山を家族で歩く、そしていくばくかのお土産を持って帰る。お土産は多くの場合山栗やクヌギやシラカシのドングリ、時にはヤマモモやブナ科の枯れ枝などが混じりました。ブナ科の枝の樹皮は偏食傾向の強い小次郎のための重要な「自然食」になるからです。
動物達へのお土産が主たる目的ですが、野山を家族で一緒に歩くというのは何とも気持ちの良い物です。おそらく私達の祖先はこうして食料や薪を集めるために大人も子供もなく歩いていたのでしょう。大物が採れなくても不思議な家族の連帯感が湧いて来ます。先祖代々の記憶というやつかも知れません。
「お父さん、このドングリは食べられる?」「この種類の方が好きみたいだよ」
という会話だけで共同作業を通じた家族の絆を再確認できるような気分になります。考えてみれば野外で家族が一緒に何か目的のある作業を行う、ということはそうはありません。キャンプやバーベキューは本能的にそうした「作業」が家族そのものであることを人間が知っており、疑似体験を行うためのものかも知れません。
そして野山でのお弁当。内容はお握りだけでもこうした環境での食事が極上のものであることは言うまでもありません。

もちろん動物達はお土産に大喜びでドングリを割ったりヤマモモの果汁で鼻先を染めたりしていましたが、驚いたのは2匹ともドングリに潜む虫が大好きだったこと。穴の開いたドングリには小さな蛆虫状の虫が居りますが、齧っているうちに外に出てきます。これを初めての経験であるはずなのに迷うことなく口にするのですから「餌認識センサー」のような不思議な能力を持っているに違いありません。野生動物の能力に気付かされた瞬間でした。
昔の犬猫は残飯に味噌汁をかけただけの餌でしたが、最近は専用の高カロリーのペットフードをたらふく食べているのでしょう。飼い犬は妙にがつがつしなくなり、猫にいたってはネズミも獲らないと言います。こうして家畜、ペットの歴史が長い動物達は容易にライフスタイルを変えて行きますが、小さなげっ歯類達は頑なに野生を忘れないようでした。これは小次郎の死の際に強く感じました。



◆小次郎の死と急速な老い


2006年早春3月の朝、小次郎の餌箱が手付かずなのを見て彼の死を直感しました。こんなことはかつて無かったことです。もちろん冬眠する動物ではありません。巣箱を開けてみると冷たくなった小次郎がうつ伏せになり入り口に頭を向けて亡くなっていました。
今だから言えますが、タイリクモモンガは飼育が難しく、病気(主に寄生虫)に弱く偏食のために長生きするのは稀、と言われています。当初は2〜3年ぐらい一緒に遊べれば、と考えていましたが5年も生きてくれて感謝の気持ちで一杯でした。
彼が野生動物らしかったのは前日まで元気だったこと。病気で弱り動きが鈍くなればすぐに天敵の胃袋に収まる運命の彼らは、どんなに弱っても死の直前まで毅然としているそうです。少し(でもありませんが)弱れば泣き言寝言オンパレード、すぐに病院に行ってしまう私は深く感じるものがありました。
すっぱり逝ってくれたのはむしろ有難く、あれこれ思い悩む暇も与ええてくれなかったことが救いでした。これは利助が死を迎えるにあたって、半ば私のせいで苦しみボロボロになって行く姿を見て痛感しました。

タイリクモモンガが病気に弱い、これは誤解の無いように補足しておきますが入荷する野生個体にどのような寄生虫が居るのか分からない上に予防する手立てもないことに起因します。この事情をすべて省略して「突然死が多い」という情報が独り歩き、飼育難種というイメージが定着しています。ただあながち間違った話でもありません。
もう一点は偏食傾向が強いことです。小次郎も来た当初はフルーツとヒマワリの種しか食べませんでした。非常な苦労の末直しましたが、この時に苦労したおかげで5年間の時間を共有できたのだと考えています。
そしてこれは私の個人的感想ですが、彼らは非常に腎臓に負担のかかる生き方をしています。昼間、寝ている時間帯は排尿しないのです。しょせん獣なので巣箱の中で寝ながらやれば良いと思いますが、匂いが外敵を誘導してしまうためにしません。暗くなって出てきて真っ先に排尿するのはそんな理由だと思います。そして特に夏は彼らの生きる寒冷な地方とは異なり湿度・温度が非常に高い関東地方。渇きをいやすために水を大量に飲みます。これでは体、特に腎臓に負担がかかり過ぎですね。
このように考えて「こいつが死んだらタイリクモモンガはもうやめよう、可哀想過ぎる・・」と考えていました。考えるまでもなく今は外来生物法特定外来生物に指定されてしまいましたので二度と飼育することは無いでしょう。

話がモモンガに行ってしまいましたが、利助同様小次郎も大事な家族の一員でしたのでそれなりに衝撃と悲しみがありました。そしてこの年から利助に老いが目立ち始めました。稀に10年生きたシマリスの話も聞きますが、大過なく飼って平均5〜6年の寿命、野生では確実な研究成果は見当たりませんが天敵の存在、厳冬下での冬眠失敗などにより半分以下の寿命らしく、平均を超えた利助に老いが目立っても何ら不思議はなかったのですが・・
初夏には餌食いが悪くなり、大好物のヒマワリの種も残すようになりました。あれほど活発に動き回っていた動物が寝ていることも多くなりました。おそらく夏を越すことは無いだろうね、と家族で話もしました。子供には残酷な印象を与えたかも知れませんが、愛するものとの死別を何度も経験させることは必要だと思います。父(子供達の祖父)は末期の癌ですし、かく言う私もいつ爆発するか分からない持病があります。
身近な者を喪失する衝撃からいかに立ち直るか、という事ではなく(それは時間が解決するでしょう)生きている者は死ぬ、という事を体感させたいのです。もちろん子供達自身も例外ではなく、生きて元気な時間を有意義に過ごして欲しい、そして何より他人も同じなんだ、という事を分かって欲しいからです。幸い学校では陰湿なイジメは無いようですが、そんなものがあっても加担しないで欲しいし、いじめられても毅然としていて欲しいからです。

また話が逸れました。
飼育下での平均寿命から考えれば7年を生きた利助は天寿を全うしたと言っても良いですし、これは生き物を飼う最初に考えなければいけないことなのです。人間も寿命が来れば死ぬわけで仕方がないことだと思っていました。ところが秋に向かい気温が下がり始める頃から元気を取り戻し、いつもよりちょっと早めの9月末に「噛みリス」にもなりました。いつものように熱心に巣箱に餌や巣材を運び込み、冬眠しました。



◆最晩年


画像:父島のなつきさんに頂いた”スーパー美味しい”プチトマトのお相伴に与る利助
(コンデジをケージに突っ込んで撮ったのでパースの無い「お絵かき画質」です・・orz)

8年目の春、いつものように猛獣から小動物に戻った利助は多少体毛が白っぽくなりながらも初夏まで元気に飛び跳ね、餌を食べていました。2007年の夏は記録的な猛暑でケージの置き場所も一日に何回も変えて少しでも快適に過ごせるようにしていましたが、私が体調を崩しそれどころでは無くなってしまったのです。
やや復調し面倒を見られるようになった頃、子供達が「利助がケガをしている!」と騒いでいます。見てみると顔の右側、ヒゲが生えている鼻先近くに血が滲んでいました。この時は「どこかにぶつけたかな?」とあまり気にも留めませんでしたが、やや餌食いが悪いのが気になりました。8月末になると血が滲んだ場所を掻き過ぎて皮膚が剥がれ悲惨な状態になってしまいました。さすがにこれは酷いと思い小動物を診られる獣医を探しましたが近場には見当たらず、ケージの熱湯&日光消毒と巣箱を新品に取替え体もノミやダニが居ないか見てみましたが寄生虫ではないようでしたので清潔を保ち暫く様子を見る事にしました。
1週間程で鼻先の部位は乾き新しい皮膚になっているようでしたので安心していましたが、次の日には同じ部位に加え右目の周囲も掻き始めました。次の休日には無理してでも獣医を探して連れて行こうと考えていた矢先、右目が潰れていることに気が付きました。おそらく掻き毟った爪が何度も強く入ってしまったのでしょう。完全に白濁した眼球は血に塗れ、素人目にも光りを失ってしまったことが分かりました。この頃から急速に動かなくなり、餌もほとんど食べないようになりました。せめて血を拭いて清潔にしてあげようと身体を調べたところ、前歯が1本折れていることに気が付きました。・・・この瞬間すべてを悟りました。


もうすでに彼は老いていたのです。


シマリスの実年齢は人間の12倍、単純計算で7年半生きて来た彼は90歳なのです。祖父母も90歳まで生きていませんでしたし、身近にこのような高齢者が居ませんので詳しくは分かりませんが、骨折しやすい、硬いものは食べられない、皮膚病に弱い、ごく当然のことなのです。
私は迂闊にも「リスも歳をとる」というごく当たり前の事実を「知ってはいたが理解していなかった」のです。この事に気が付いた私は自分に驚きました・・・

ほとんど動くことを止めてしまった彼を家内が小さな籐の籠にタオルを敷いて寝かせ、目の届くところで飼育するようになりました。水は給水ボトルを口まで持って行き、何も食べなくなった彼が時折舐めるヨーグルトやチーズを与え、まさに老人介護そのものの飼育です。それでも彼は排泄時には残った力を振り絞り籠から出て行きました。小次郎もそうでしたが匂いを検知する天敵など存在しない家でも野生の本能は忘れていなかったのです。

この頃からある思いが湧いてきました。2006年に一時的に弱った彼にスタミノンビタミンゼリーを与え長生きさせてしまったことは間違っていなかったのか。何も考えず長生きさせたことが彼の苦しみを招いてしまったのではないか、ということです。
自然下であれば弱って動きが鈍くなれば即座に天敵に捕食されます。ただ弱るまでに何回か繁殖し、彼は役割を果たしていたはずです。こうして野生動物を繁殖もさせず人間が飼育して良かったのか、ということです。一秒でも長く生きていて欲しいと思う気持ちとは裏腹に、命に対する罪の意識に苛まれました。正直、生きていて欲しいのか楽になって欲しいのか自分でも良く分からなかった3週間でした。



◆終章 星にもならないし風にもならない


画像:小さな籐籠にタオルを敷いた「終いの住処」で半眼でまどろむ利助

寝たきりになった利助は一切の餌を受け付けず、時折口元に持って来られる水を少量飲んで数日間生きていました。
苦しいのか「ぐぅう」と低い声を断続的に出し、撫でるとビクッと動くこともありました。これは見ている方も非常に辛い状況で、脳裏には安楽死という言葉が何度も浮かびました。夜には家内が付いて、
「利助・・」「苦しいの・・」「よく頑張った」
と声をかけて擦ってあげていました。目には涙が浮かんでいました。私は迂闊にも、飼う際に強弁に反対し、しばらくの間怒っていた家内が実は利助を深く愛していたことにこの時初めて気が付いたのです。利助を飼い始めて2715日、冬眠や旅行の際の留守番を除いても2000回近く餌をあげ、水を交換し、週に一度はケージを掃除してきた私よりもです。

2007年9月14日夕刻、利助は呼吸を止め、家族の思い出の一部になりました。家内はせめて最後を、と極めて人間的な感覚で家事の合間には必ず付き添っていたそうですが、目を離した時に亡くなっていた、と後悔混じりに言っていました。しかし、彼は独りで最期を迎えたかったのだと思います。野生動物としての最期の矜持として。
その日の朝、出勤前に様子を見たところわりと元気そうだったのでケージに移してあげたところ、入り口から奥まで60cmほど走りました。見違えるほど細くなってしまった彼はすぐに頭を垂れてうずくまってしまいましたが、最後に生涯の大部分を過ごしたケージの牧草の上を走りたかったに違いありません。いつも好物の餌をストックから取り出す音が聞こえると走ってきたケージの床を。




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