湿 地 の 基 礎 知 識

Wetland Profile】vol.10 Case Study 霞ヶ浦導水路

〜ドミノの図式〜
◇北関東ドミノ◇

本シリーズ「手賀沼と北千葉導水路」で扱った、汚染された水域を比較的汚染の少ない水系の水を導水することで改善を図る壮大な公共事業(*注1)が今度は那珂川と霞ヶ浦を舞台に計画、着工され、また波紋を広げています。
上記前記事で扱った北千葉導水路は掲載後に柏市側のビジターセンターを訪問する機会があり管理者側のスタンスとも言うべきものを感じることが出来ました。配布されている資料と展示物の結構な比率が利根川の治水に割かれていることで、穿った見方であることは百も承知ながら本来の目的を薄めているように見えてならなかったのです。
様々な資料から、さらに現地を何度も訪問して見る事から、私は北千葉導水路の主目的は手賀沼の浄化であると考えています。この目的自体は国土交通省の資料にもありますし結構な事で何ら批判するつもりもありません。しかし、治水や用水目的が後付の理由のような気がしてならない点(前項で述べました)、それでも足りずに利根川から取水することで間接的に利根川の治水にも貢献するかのような印象を与えているようにしか見えない点が非常に疑問です。本稿結論で考えたいと思いますが、主要因に対策せずに、対処的に税金を投入し問題の本質を先送りしているように思えてならないのです。

この見方は、北千葉導水路を主管する国土交通省と地元自治体の微妙な温度差からも感じられるところです。手賀沼汚染の主因の一つと考えられている流入河川の大堀川での浚渫工事、また手賀沼内で実施されている浚渫工事についても千葉県側と我孫子市、柏市のスタンスが微妙に異なっているのです。
大堀川は手賀沼にダイレクトに流れ込まないように、ビジターセンターに程近い河口付近に堰が設けられています。堰は湿地植物帯を中心にした自然度の高いもので、西岸部の葦帯に続く浄化機能も備えたものになっています。問題はこの堰が大堀川が運搬するヘドロの防波堤となっていることで、堰の手前部分がヘドロを溜めるように掘り下げてあり、定期的に浚渫しなければならない、この是非を巡って千葉県や地元自治体がせめぎあっているのです。浚渫は重機を入れた大掛かりな公共工事になり、予算の厳しい自治体にとっては大きな負担になる、という理由もあります。
この話は公開された議事録や現地に掲示された立看板などにより豊富な資料がありますが、なかには北千葉導水路の存在意義の本質に踏み込むクリティカルな意見も見られます。

利根川から導水する以上、手賀沼の水質は利根川以上にはならない

けだし名言です。書いてある意見そのものよりも「行間」含めて名言なのです。行間を読むためには実態を見て考え、利害関係者の意見をある程度調べなければなりませんが、そんなプロセスを経なくても良いように少し解説いたします。
要するに何が目標なのか」という点が不明確なので利害関係者がそれぞれの立場で考えざるをえないのです。環境問題で一見「目標」となりがちな「水質浄化」「環境改善」は具体的な指標、最終到達点がなければ単なる「お題目」。目標の無いお題目に潤沢とは言えない税金を投入してもここまでですよ?という冷徹な現状分析と皮肉、批判が凝縮された名言だと思うのです。

利根川と手賀沼の水質は現在のところ、利根川>手賀沼です。(詳しい数値は国土交通省水質データベースを参照。測定地点の選択は手賀沼から程近い我孫子市布川付近がよい)これは北千葉導水路の目的の一つ「手賀沼の浄化」の根拠ともなる数字です。そして狙い通りの結果がもたらされています。
「27連続ワースト1の水質(COD値から)」がトラウマとなっている我孫子市は導水路以外にもこれまで行ってきた様々な対策を何一つ欠けることなく継続したい、その重要な部分を浚渫が担っているのです。千葉県は北千葉導水路の稼動で水質改善が見られ、不名誉な記録が途切れたことで良しとし県の費用による手賀沼の浚渫を打ち切ろうとし、我孫子市側は浚渫中止によって再び手賀沼の水質が悪化することを懸念しています。そして当然ながら手賀沼の水質を利根川と同等にすることを目標とはしていません。手賀沼のビジターセンターである「水の館」を見れば分かります。

一方柏市側の大堀川については、大堀川の浚渫に費用を投じるよりも汚染原因対策に費用を投じる方が有効なのではないか、という理由で反対が起きているのです。どこが正しくどこが間違っているという論評ではなく、まずは「浚渫」というキーワードでこれだけの立場がある、ということに注目したいと思います。

50年の時間を遡ればガシャモク、ササバモ、セキショウモが織り成し、堆肥として利用していた程の手賀沼、そこを目指す立場から見ればどちらにしても許せない「限界到達点」でしょう。(*注2)生態的観点から見れば我孫子市が正しく、少しでも効果のある施策は継続すべきです。「日本一からの脱却」は通過点であるという立場に賛成です。ある方(団体)は「ガシャモクとマシジミ」をマイルストーンに置かれていますし、他にも様々な価値観がありますので絶対的に正しい到達点というものは無いと思いますが、相対的に正しい到達点はあるはずです。



ただ、純粋に「日本一汚い湖」から脱却できたことは喜ばしいことですし、これを実現した北千葉導水路にも一定の評価が与えられて然るべきだと思います。しかし、この北千葉導水路のツケを遠く離れた那珂川がドミノ式に負わなければならない事態が起きているのです。前書き代りに長々と述べてきた手賀沼の出来事がまるで再現されているかのように。

(注1)霞ヶ浦導水事業
事業の概要はこちらで→「国土交通省関東地方整備局 霞ヶ浦導水工事事務所
私にとってはこの事業は霞ヶ浦の浄化目的そのものに思われる。様々な治水、利水は後付の取り繕うための理由だと感じられる。上記北千葉導水路の実態と、霞ヶ浦の浄化が至上命題かつ有効な手段が見当たらない茨城県の立場を勘案すれば自ずと解は出る。

(注2)ガシャモクの復活
手賀沼復活のキーワードの一つであるガシャモク、実は手賀沼本湖で復活が成されている。食害、特にザリガニや水鳥からの防御策としてビジターセンター沖合いに網囲いがされた一角で生長している。これは埋土種子から発芽した手賀沼産の系統で、人為的植栽ながらすでに水質は生長に支障が無いレベルまで回復している事実が伺える。しかしザリガニや水鳥も手賀沼の生態系の一部である点に今後の展開の困難さが思われる。

◇那珂川の利根川化◇

茨城県と千葉県は県境の大部分が利根川となっており、古の大河、という趣で流れておりますが、実はこのように流れるようになったのは江戸時代初期の利根川東遷(*注3)と呼ばれる事業の完成以降のことです。この事業の主目的は諸説ありますが、江戸を水害から守るため、という説がしっくり来ます。要するに邪魔なものを遠ざけたわけです。一方、当初はこの利根川東遷に関連して明治期に作られた利根運河(柏市、利根川→流山市、江戸川)は近代になって首都圏の水需要確保という名目で再整備が行われています。つまり必要な水を呼び寄せたわけで、これは現在では北千葉導水路の役割とされています。

歴史的に見れば平将門の時代から、鬼怒川、小貝川が度々氾濫して織り成した広大な湿地が東遷以降綿々と続く治水によって肥沃な水田地帯が出現したわけですので意義が大きな工事だと思います。北千葉導水路による導水も、この北関東に於ける治水の現代版と考えれば納得できなくもありません。

ここまでは何となく理解できる話ですが、霞ヶ浦導水路の建設趣意を一読すると驚かされることになります。同じ理由で利根川から「水を取っている」北千葉導水路と地名を変えただけの理由が並んでいるのです。

【】内「霞ヶ浦導水事業」より引用
【霞ヶ浦,那珂川,利根川の間で水を相互に融通し各河川の流況を安定化させることにより,渇水被害の軽減や河川環境の保全を図ります。
利根川では主として夏期(一部冬期)の不安定な流況によりたびたび取水制限が実施されています。】



素人考えでは「利根川が水を取られて足りないので那珂川から持ってきましょう」「途中霞ヶ浦を通せば水質改善も期待できます」ということですね。この理屈が罷り通るのであれば那珂川の水が足りなくなれば・・久慈川ですか?そして延々と最上川、雄物川まで北上しますか?極論ではなく、今行われようとしていることの本質はツケを別な水系が支払う、という図式だと思われます。
2007年12月15日、読売新聞茨城地方版に小さな囲みでこの問題を扱う記事が掲載されました。驚くべきことに取水される側、那珂川の漁協の心配は「鮎の稚魚が吸い込まれること」のようで、工期の延長をさらに中止に向けたオピニオンにしようと動かれているのは受益者側とも考えられる土浦市の市議の方でした。特に懸念されているのは生態系の点で、考え様によってはこの工事の完成によりそれぞれ独立した水系であるはずの那珂川水系と霞ヶ浦・利根川水系が繋がってしまうのです。この事態はメダカ程度の小魚に地域性があり遺伝的特質を持つことを知っている我々なら容易に納得できる話です。
そしておそらく以上の状況を知り韻として、行間として文中に埋め込み、私が物申すとすれば次のような文となるはずです。

那珂川から導水する以上、霞ヶ浦の水質は那珂川以上にはならない

あの小さな手賀沼に毎秒6〜8tの水を通して(*注4)やっと数値的な改善効果が見られる程度。北浦、外浪逆浦を含めた膨大な霞ヶ浦水系の水をどうにかしようとは、那珂川すべての水量を通して何とか、というレベルではないでしょうか。
そしておそらく手賀沼と同じ議論が始まるはず。起きている現象に金を使うのではなく、現象を成立せしめている原因に金を使って欲しい。原因は誰でも現地を見れば分かります。流入河川と農業廃水です(後述)。原因が分かっていても対処の方に力点を置く、国土交通省とはこのような体質なのでしょうか。

(注3)利根川東遷以前
ご興味がおありの方→古代で遊ぼ中の利根川東遷概史を参照。
現在の利根川川筋はすべて掘り上げたわけではなく、小貝川と鬼怒川の合流河川である常陸川を利用したものらしい。

(注4)霞ヶ浦導水路の工法と通水量
工事区間は那珂川と霞ヶ浦を結ぶ42.9kmの那珂導水路(図中aの地下導水路)及び利根川と霞ヶ浦を結ぶ2.6kmの利根導水路(図中bの水路)ですべて地下20〜50mの地下水路である。予定流量は15m3/sである。ちなみに北千葉導水路のビジターセンター(手賀沼への放水)での流量は見学時6m3/sであったが、落ちれば確実に溺死する程の激流であった。

◇湖沼水質保全特別措置法◇

さて、この生態系にとっては影響不明、効果については未知数の霞ヶ浦導水路が国土交通省によって急がれる事情には明確な理由があります。湖沼水質保全特別措置法の存在
です。この法律の目的は第一条に平易に書いてあります。解説よりも分かりやすいと思いますので転載します。

第一条  この法律は、湖沼の水質の保全を図るため、湖沼水質保全基本方針を定めるとともに、水質の汚濁に係る環境基準の確保が緊要な湖沼について水質の保全に関し実施すべき施策に関する計画の策定及び汚水、廃液その他の水質の汚濁の原因となる物を排出する施設に係る必要な規制を行う等の特別の措置を講じ、もつて国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。

そしてこの法律は全国の湖沼一律に適用されるわけではなく、水質汚濁が甚だしく影響が大である湖沼を指定することで発効します。現時点での指定湖沼は以下の通りです。( )内は所在地都道府県。

・琵琶湖(滋賀県)・霞ヶ浦(茨城県)・中海(島根県・鳥取県)・宍道湖(島根県)・諏訪湖(長野県)・印旛沼(千葉県)・児島湖(岡山県)・手賀沼(千葉県)・野尻湖(長野県)・釜房ダム貯水池(宮城県)

本稿で取り扱っている手賀沼も霞ヶ浦も対象となっています。過去浄化のためのビオトープや人工植生帯を作り、ホテイアオイを浮かべ、溶存酸素を増やすために噴水まで設置した努力は実を結ばず、利根川から導水してはじめて水質改善が見られた手賀沼の北千葉導水路の法的な権源はここに帰着します。前述の浚渫も然りです。それが湖沼水質保全計画となっています。

第四条  都道府県知事は、前条の規定により指定湖沼及び指定地域が定められたときは、湖沼水質保全基本方針に基づき、当該指定地域において当該指定湖沼につき湖沼の水質の保全に関し実施すべき施策に関する計画(以下「湖沼水質保全計画」という。)を定めなければならない。

さて、手賀沼は多くの異論や課題を内包しつつも千葉県としての「努力義務」を果たしました。生態系からの問題、費用対効果の問題、達成基準の問題は別次元です。もちろんこの手の評価は立場によって全く異なり議論の余地はありませんが、自治体としての義務は法律に従い計画を策定することで終わっていますので仕方がありません。

第六条  国及び地方公共団体は、湖沼水質保全計画の達成に必要な措置を講ずるように努めるものとする。

霞ヶ浦を抱える茨城県は努力義務を果たしているか。この点に付いても様々な議論があります。個人的には最も優れた功績は飯島博氏率いるアサザ基金だと考えていますし、開かずの扉「常陸川水門」や浄化の主役である湖岸湿地帯を潰してきた護岸工事はすべて国・自治体の成したところです。(本件については別記事で何度も触れていますので割愛)
万策尽きた「必要な措置」の最後のカードが霞ヶ浦導水路であることは容易に推察できます。自分達が選出した県、政府ですから全否定することは天に唾する行為ですが、本当に「万策尽きた」のかどうかという点に付いては検証する必要があります。

霞ヶ浦の汚染源の主要なものは、(1)産業・生活排水(流入河川経由)、(2)農業排水(養豚、蓮田、水田及びノンポイント汚染(*注5))、(3)養殖漁業、ですが、このうち養殖漁業については最大の影響力を持っていた鯉養殖がKHVの問題で全面的に廃業になってしまいましたので除外されます。問題は残る二つの要因。対処療法ではなく根元治療のポイント(税金の使途重点)はここにあるのではないか、という点が本稿の主旨です。
国、自治体にも様々な言い分があると思います。農業集落排水事業、山王川・恋瀬川(石岡市)、桜川(土浦市)、小野川(稲敷市)沿岸の下水道普及率とそれらに費やした予算、様々な数値が出てくることでしょう。ただ、この沿岸を歩いてみて思うことは期待される効果には程遠いという感想です。なぜ原因の対策に一層の力点を置かないのでしょうか。

(注5)ノンポイント汚染
水田排水路や汚染された河川の流入など汚染源の位置(ポイント)が特定できるものに対し、一時的に積み上げた堆肥などに浸透した雨水が窒素やリン、農薬を含み河川や湖沼を汚染してしまうこと。位置が特定できず現れては消える類のものなので統計数値には現れないが相当の影響があると考えられる。
農地のみならず、市街地排水に於いても都市交通や工業による煤煙や煤塵などの微小粒子の堆積を雨水が含み流入する都市型、山林で使用された除草剤や殺虫剤の残留を含んだ水が流入する山林型ノンポイント汚染というものがある。

◇問題の「解決」と「送り」◇

大小を問わず、問題が発生した際の対応は2つに大別されます。一つは積極的、消極的を問わず解決すること、もう一つは「送る」ことです。問題の先送り、という言葉がありますが今風に言えばスルー、放置などのニュアンスも内包します。
では北千葉から霞ヶ浦導水路へと連鎖的に起きている大公共工事の目的、言い換えれば問題と解決はどうなのでしょうか。目的についてはリンク先の公式サイトに書いてある通り、つくばエクスプレス開業による沿線人口の増加と水不足への対応+桜川(*注6)と霞ヶ浦の水質浄化ですが、個人的に違和感がありつつもこれを「正」とした場合、対応が後手にまわっている印象を強く受けます。

そもそも手賀沼の汚染が進んだのは「手賀沼と北千葉導水路」で述べたように柏市の予測できない程の人口増と下水処理インフラの遅れが主だと思います。汚染がピークとなり打つ手が無くなった段階で北千葉導水路が切り札となりました。でもこれもよく考えてみれば、地下鉄千代田線の開通と沿線開発は想定できなくもなかったのでは無いでしょうか。
時間軸を辿れば、鉄道開通→沿線開発による人口増→インフラ整備、となっています。完全に後手です。そして同じ理由で利根川から導水し、利根川の渇水が問題になれば那珂川から導水する・・なにかおかしくないですか?これは問題と解決という観点から考えれば「金を使って問題を送っている」ようにしか見えません。送る先が「先」ではなく「北」だという違いで何ら解決にはなっていないと思います。冒頭書いたように、今度は那珂川で渇水が問題になれば国土交通省はどうするのでしょうか。幸い水戸市にも手頃に汚れた「千波湖」がありますが・・



霞ヶ浦導水路には那珂川の渇水時には霞ヶ浦の水を那珂川に戻す双方向の水路の計画も含まれています。利根川の渇水時には那珂川も渇水傾向なのではないか、という疑問もありますし水資源の運用の実態、特に人口分布から考えれば現実に運用されるかどうか分かりませんが、仮に運用された場合「汚染の拡散」のみ結果としてもたらされるのではないか、というのが率直な感想です。
比較的速い工法(*7)を採用する本事業は完成予定が2015年(2007年に2010年予定から見直し)となっています。すでに何人かの県議会議員は有用性の観点から建設中止を訴えていますが、理由は別としても基本的に賛成です。個人的には彼らに投票することしか出来ませんが、まず公共工事ありき、はすでに過去の遺物となっていることを信じたいと思います。

(注6)桜川
茨城県西部を流れ、土浦市で霞ヶ浦に流入する桜川ではなく、県央部、水戸市内を流れ那珂川に合流する同名河川。

(注7)導水路の工法
自動車、鉄道のトンネル工事用とは異なる、直径3mの専用シールドマシンを使用し、地下に構造物が無い地帯を直進する。8m/日のスピードで掘削。



【参考資料】
・北千葉第二機場概要 国土交通省関東地方整備局利根川下流工事事務所
・利根川下流 国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所
・北千葉導水路ってなあに? 国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所
・RIVER SCAPE 国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所
・読売新聞茨城地方版 2007年12月15日、同2007年12月22日

【参考Webサイト】
国土交通省水質データベース
霞ヶ浦導水事業
環境省


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