湿 地 の 基 礎 知 識 |
【Wetland Profile】vol.3 湿地の役割 〜生態系の揺り籠〜 |
◇多岐に渡る存在価値◇ |
湿地を保全しなければならない理由、これは経済的側面からは決して解が出ない話でもあります。特に経済活動の原点でもある土地利用という観点から見れば埋め立て、土地改良など多くの費用と手間を強いられます。また内水面漁業や、ジュンサイやワサビなど一部の農業も経済全体から見れば微々たる比率の話です。 ラムサール条約で宣言されている「保護及び賢明な利用」は実はまったく別な観点から見た重要な理由があります。もちろん条約の名称で謳う水鳥のためだけでもありません。 【湿地の役割】 湿地には実は様々な役割があります。この場合の「役割」は全地球的な環境問題とも密接にリンクしていますのでグローバルな価値観でもあります。役割として大別すると以下のようなものがあげられます。
水の浄化をなぜ行わなければならないか、話は簡単で人間の生存に直結するからです。霞ヶ浦にも発生するアオコはマイクロシスチンという毒を生成します。完全に除去しない水を上水利用すれば最悪の場合死者が出ます。1996年ブラジルでマイクロシスチンが混入した水を透析に使用し、50人の死者が出る事故が起きています。 「水道水が危ない」という話はよく聞きますが、様々な化学物質、環境ホルモンが云々と言うまでも無く、霞ヶ浦や利根川の取水場近辺で水面を見つめれば「我々はこの水を飲んでいるのか・・」という感慨がわいてきます。 化学の鉄人小林映章氏の「水の話」には興味深い話が多数掲載されていますが、湿地植生の水質浄化の効果とそれを具現化するビオトープについて語られています。ぜひご一読ください。湿地で水が浄化される理屈は2つあり、それぞれ様々な試みが成されています。理屈だけではなく、霞ヶ浦のビオトープの実例をもとに少しだけ解説いたします。 (1)植生による浄化 「湿地浄化法」や「植生浄化法」と呼ばれる確立された技術です。ただしかなり広範囲な植生に水を通さなければ期待する効果は得られず、絵に描いた餅となってしまいます。 霞ヶ浦では湖岸にビオトープを作る方式と本湖に直接植物を植えてしまう方法がとられています。前者の代表が霞ヶ浦ビオトープ、後者の代表がアサザプロジェクトです。植物は窒素やリンを吸収して成長しますが、植物体内に形を変えて蓄積されるだけですので、枯死したら除去するスキームが必要となります。昔の葦刈や湿原の野焼きはこういった効果を持っていたと思われます。除去しなくてもある程度は昆虫類や鳥類が餌とするようで湖外に養分を持ち出してくれる効果もあるそうです。名著「よみがえれアサザ咲く水辺」には、個人の育成環境では天敵となるマダラミズメイガの役割が記されており、一概に害虫とは言えず浄化に深い関わりがあることが理解出来ます。 都市部に於いては都市型湿地浄化法(コンパクトウェットランド)(*1)として水質浄化の方法論も確立されています。我が国で最大面積を誇り、さらに植生も十分な湿地である水田を使った浄化法(*2)も喧伝されていますが農業インフラを浄化に使用する場合、脚注の通り別な側面もあります。 (2)微生物による浄化 熱帯魚水槽でおなじみの「濾過または浄化バクテリア」と同じ理屈です。もちろんそんな名前のバクテリアは存在しませんが、同じ機能を持つバクテリアが自然界に存在するようです。この種のバクテリアはいわゆる「好気バクテリア」と言われていますが、霞ヶ浦ビオトープでこの話を体感できるような実験が行われています。 これはマイクロバブルと呼ばれる微細な気泡を水中に発生させ水を好機的に維持することでバクテリアの活性を図るものです。ニュースコンテンツであったためソースは見つかりませんでしたが記憶に拠ればCOD値の改善が見られたそうです。マイクロバブル以上に微細な気泡を発生させる装置、ナノバブル発生装置の開発も進められているとありました。 マイクロバブルはバクテリアを活性化させる以外に水中の有機物を気泡の表面に電気的に吸着して水面上に浮上させる働きがあり、比較的容易に出来る水面の汚れの除去によって水質浄化や水生生物の育成、流体抵抗軽減、藻類除去などに効果を発揮すると言われています。 【2】保水の役割、洪水を防止する役割 記憶に新しいハリケーンによる米国ニューオリンズの大きな被害。これは一説にはミシシッピ川沿いに広がっていた大規模な湿地が土砂堆積や開発のために減少してしまい、保水力が失われたためとも言われています。(*3)保水力を持ち、洪水被害から生命財産を守るのも湿地の重要な機能です。 我が国最大の人工湿地である渡良瀬遊水地は、台風、大雨等による増水時に渡良瀬川、思川、巴波川の水を一時的に貯留し、周辺地域の洪水防止と合流河川である利根川の流量増加防止(これによって下流域の洪水防止も図っています)の機能を持っています。 余談ですが私の居住する茨城県南部も利根川に合流する鬼怒川、小貝川の増水により過去度重なる洪水の被害を受けています。合流して暴れ出す鬼怒川、小貝川の流れを分流する工事(*4)を手始めに、福岡堰、岡堰、豊田堰(*5)など遊水機能を持つ堰が作られ、人工湿地として保水力を高め洪水を防止することで役立っています。 自然河川が保水力を持っている事をネガティブに証明しているのが東京の神田川で、三面護岸されている部分が多いため多少の雨量ですぐに氾濫してしまいます。都市型治水として地下に巨大な遊水池を建設し、増水時に導水する方法もありますがこの方法論と同じ役割を自然河川はある程度持っているわけです。 地形により水無し川という河床が露出し流れが無い河川がありますが、こうした水無し川にも地下には伏流があり実は大きな水量があります。
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◇生物多様性との関わり◇ |
【3】動植物に生息地を与える役割 湿地には湿地特有の動植物が生息する事が知られていますが、植物については本サイトの主題でもありますので、「水辺の植物図鑑」をご参照ください。 湿地の昆虫として印象に残るのはヒヌマイトトンボで、1971年に茨城県の大洗町松川と茨城町中石崎宮前の涸沼周辺の湿地で新種として発見されたイトトンボです。(*6)実際に発見者のお一人、廣瀬誠先生にお会いして感じたのが「本当に昆虫がお好きなんだな」という事です。発見された湿地は何か目的がなければ人間が立ち入らないような場所で、その湿地の奥でごく小数が世代交代しているような昆虫が長年新種として見つからなかったのは当然のように思われます。また、お会いしたのは別な湿地ですが、湿地環境を守るスタイルが無言で滲み出る雰囲気にも感銘を受けました。 環境に特化して生きる生物を纏めてみましたが、まさに湿地の喪失とともに滅びて行く、「生物多様性条約」(*7)「特定外来生物被害防止法」(*8)が想定する固有種の多くが生息する場所でもあるのです。
植物や底棲生物を含めると実に多くの生命が湿地に支えられており、生物多様性を語る上では湿地の存在は忘れることができません。また、開発や汚染、外来種の侵入等により危機が差し迫っているのも湿地です。湿地保護の精神は国際条約や法規制の形となって具現化していますが、身近な湿地を保全するのは市民活動であり個人の意識に拠るところが大きいことは言うまでもありません。 さて、個人の意識がどれほど環境に影響を与えてしまうかというトピックスですが、現在カエルツボカビ症の脅威が様々なメディアで話題となっています。 この病気は人間には関係ありませんが、両生類に寄生するカビで圧倒的な致死率です。このカビが蔓延するとどうなるか、すでに仮想現実ではなく差し迫った脅威の話です。個人の意識として海外の蛙のペットとしての飼養は止めるという意識が必要です。微妙にアクアリウムの世界とかぶりますが自助努力が無ければ法規制されます。そして必ず巻き添え(個人的に外来生物法に於けるタイリクモモンガは「巻き添え」だと思っています)が出ます。昨今の情勢から環境関連の法律は告知から施行まで非常に短期間です。(*9) 致死率90%ですのでカエルは種を問わず激減、種によっては絶滅することになります。(他国でこのような事態に陥った事例もあります)問題はカエルが居なくなるとどうなるか、という事で食物連鎖の中位に位置するカエルが居なくなれば生態系は確実に激変します。生態系では風が吹けば確実に桶屋が儲かります。カエルが減る→小昆虫が増える→農作物に大被害、もあるでしょうし、餌としてのカエルが減る→蛇や百舌鳥などが激減→さらなる連鎖的影響、という長期的な変動もあるかも知れません。非常に重大な変動は必ず起こると思います。 外来生物法、生物多様性条約、法律や条約にまで明言された「生物多様性」。なぜ守らなければならないのか、簡単で分かりやすい解はありません。それどころか専門的なドキュメントでさえも本質として解を表現したものは見当たりませんでした。現存する「種」を絶滅させてはならない、守らなければならない、絶対正義と言ってもよいかも知れませんが「なぜ?」という子供目線の疑問に答えてくれるものが無いのです。 既出ですが、別記事で参考にさせて頂いた雑誌「遺伝」に掲載された渡邊信先生の論文(2006年6月号)で、何のために絶滅を防ぐのかという疑問に対する回答を苦慮されているようにお見受けいたしましたが、同種のお話だと思います。個人的には「現存する生物すべからく持っている固有の遺伝子がいつなんどき人類の未来に多大な影響を与える遺伝子として再発見されるか分からない。またこの可能性は限りなく大きい」ということだと考えています。まさに「情けは他人の為ならず」です。
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◇文化的な役割◇ |
【4】文化的な役割 湿地の役割の最後として文化的な役割を解説します。文化的な、と言っても話は簡単で子供の人間形成に重要であること、生活文化として人間が深く関わってきたこと、多くの文芸作品、映画、音楽のモチーフになっているという話です。 子供の人間形成と言っても環境基本計画書や意見書に出てくるような「自然環境により豊かな感性や自然を大切に思う心を育て、人間形成に資する〜」とか「インタープリテーション」(*1)というものではありません。もちろんそういった側面も非常に重要だと思います。ここで書きたいのは生活文化や芸術的側面を踏まえ「子を持つ親」として自然環境、特に湿地に何を期待するかということです。 自然との対話 自分の子供時代の思い出と言えば、雑木林での昆虫採集と池や川での小魚や水生昆虫採集です。田舎で育ったから、と言えばそれまでですが、大した人格では無いながら今日まで精神のバランスを崩さずに生きてこられたのは自然のなかで人間形成がされたからではないか、と思うところがあります。 「癒やし」という言葉がありますが、音楽でも文学でも環境でも物でも、癒やされるのは原体験がどこかにあって懐かしむ気持ちがあるからだと思うのです。まったく経験の無い事象であれば新たな好奇心はわいても癒やされることは無いのかな、と。湿地の縁に立った時妙に懐かしく心が安定するのは遠い日に父親の自転車で連れて行ってもらったため池や、初めて自分の力だけで魚を捕まえた思い出があるからだと思うわけです。 私の場合はこういう思いがあるので子供と遊ぶ際には雑木林や湿地が中心になります。けっしてダシにしているわけではありません・・・たぶん。子供がクワガタや魚を捕まえた際の喜びは質が違うように感じられます。最初から難しい事を考えなくても、大きな喜びを感じてもらえて感情が素直に顔に出れば「豊かな感性や自然を大切に思う心」は後からついてくると考えています。昔は子供同士でこういう遊びが出来ましたが・・・何とも悲しい時代になりましたね。 生活文化のバックボーン 土地の利用形態として客観的に見れば最も役に立たない湿地ですが、湿地に根ざした生活文化が醸成されてきたことも見過せません。ラムサール条約にも「湿地の文化的側面」と明記されています。湿地に育つアシを加工して簾などの生活用品を作ってきた文化、小鮒や鯰などを正月料理や農作業が一段落する「中干し」の際に食べる食文化・・・。 私の記憶に刻まれているのは、今は亡き祖父母(農家)が中干しの際に用水路に取り残された鯰を、収穫が視野に入る8月に農作業が一段落した宴の肴として供していたことでした。水田は最大の湿地であると言いますが、タニシやクワイなども含め、米以外にも太古から食文化の一翼を担ってきた湿地である点も記憶に留めたいと思います。個人的ノスタルジーと言えばそれまでですが、個人と言えども人間の精神に何らかの影響を持つ地形でもあるわけです。
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◇湿地をモチーフとした芸術◇ |
湿地がモチーフになっている、背景として重要なファクターとなっている芸術作品は多く、私が見たり聴いたり読んだりしたなかにも色々あります。たしか40年近く前に読んだ本ですが、野口英世の伝記中に貧しい家計を支え野口英世の学費を稼ぐためにご母堂が猪苗代湖で蝦獲りをするくだりがあり、いまだに印象深く覚えています。前項で書いたように時には暴れ、時には自然の恵みをもたらしてくれる湿地は文化的な役割も果たしているのですね。 雑談ながら野口英世の母堂が蝦を取るために掻き分けた水草は何だったのか、取れた蝦の種類は何だったのか、余計なところが非常に気になる枝葉末節型本末転倒人間がここにおります(^^;
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◇文化の香り(事例)◇ |
あえて言えば脚注にある「インタープリテーション」のインタープリターとなるのでしょうか、自然に対するパラダイムを圧倒的な人格的迫力で転換してくれる方のご紹介を最後に事例として。 あるNPOの文化事業として「昆虫の冬越し」や「甲虫の世界」など年に何回か昆虫をテーマに現場学習が行われています。ここにインタープリターとして来られた廣瀬誠先生のお話を。(前項でもヒヌマイトトンボの発見者としてご紹介いたしました) 廣瀬誠先生は長らく教員として奉職される傍ら、趣味で昆虫の研究を続けられ、遂に1971年に新種ヒヌマイトトンボを発見されました。輝かしい事蹟とは裏腹にとても気さくな、にこやかに話をされる方で親しくお話をさせて頂く機会もありました。お話以前にオリエンテーションを通じ「姿勢」が出来ている方だな、と感じました。 ●ご自分のコレクションに加えるクビキリギリスを採集される際に、子供達にはにかみながら「普段はとらないんだけど珍しい色だから・・・」と説明されるお姿は何歳になっても「子供の心」を忘れない方だな、と感じられました。自分自身もこういう趣味なので大いに共感しますし、子供と同じ目線で話が出来るので注意散漫な我が家の子供達も真剣に話を聞けるんだな、と思いました。 ●塾や宿題で痛めつけられている子供達に「世界一」になれる道を教えて下さいます。「1月のこの時期に蚊柱が立っています。この現象の南限や北限を研究すれば誰も研究する人がいないのですぐ世界一になれます」大人なら品性の無さを露呈して笑ってしまうところですが、子供達には分かりやすい「オンリーワン」の話と感じられたようです。 ●自然のなかを移動する際に見事に引率されます。決められた歩道以外に逸脱する子供がいません。何か興味があって踏み込もうとする子供にも理由を先に話してから「入ってはいけない」と諭して下さいます。 先生と時間を共有させて頂いたのは僅か3時間程でした。帰りの車で子供達に「どう思った?」と聞くほど野暮ではありませんが、その後子供達の行動パターンが変わってきました。 見知らぬ昆虫を見ると私の昆虫図鑑を持ち出して熱心に調べるようになりました。読めない漢字もいつのまにか電子辞書を使って読みこなすように。疑問点や感想はメモも取るようになりました。なぜそんな事をするのか尋ねたところ「小さなものでも調べると色々なことが分かって面白い」という回答でした。 親が「自分で勉強して分からない事は調べろ」と何度言っても出来ない事が、3時間ご一緒させて頂いただけで身に付いてしまう、小さな子供達のなかで大きなパラダイムシフトが起こったはずです。これは私も女房も等しく感じていたことなのでたぶん全員等しくオーラを受けることが出来たのでしょう。 私も人並みに知っているのは湿地植物ぐらいですが、勉強を進めて将来は湿地のインタープリターとして社会貢献したいと考えています。廣瀬先生の足元にも及ばぬながら知識以外の「何か」が必要なことはおぼろげながら分かってきました。次代を担う子供達に正しい影響を与えられる、最高の社会貢献だと思います。 |
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