湿 地 の 基 礎 知 識


Wetland Profile】vol.4 湿地の利用


〜ワイズユースの概念〜

◇ワイズユースという概念◇


− 何らかの目的で埋め立てられた沼地の跡にいち早く芽吹く松 −

湿地の役割を保全することは気候変動を中心とする地球環境を保全することに他ならず、国際的な価値観であることを述べてきました。
単なる「保全」であれば立入禁止にして必要な保全策を取る、という究極かつ単純な方策で解決できますが、人間の利用を前提に考えなければ単なる原理主義で、突き詰めれば「人間の存在が地球環境にとって害」ということになってしまいます。
人間が湿地に限らず自然環境を利用する上での考え方として、鷲谷先生はよく「持続可能な生態系」という表現をされます。反対の例示をすれば意味が良く見えてきますが、焼畑農業などは森林を焼き残った灰を栄養分として作物を栽培し、栄養分が無くなれば違う森林を焼く、という「持続不可能な」自然の利用方法です。焼かれた森林の跡地は農作物に栄養分を根こそぎ持って行かれ、再び森林になることは短期的にはあり得ません。鬱蒼とした生命力を感じる熱帯雨林も存続基盤は脆弱なのです。

他国の事を言えない事情は日本全国、湿地や小湖沼、不要となったため池を埋め立て、護岸し生態系を破壊し続けている我が国の実態にもあります。こうした「小さな破壊」が積み重なって生態系、地球環境の変動に繋がっていることは想像に難くありません。ラムサール条約では自然環境、特に湿地の利用に関し、破壊、収奪、修復不可能な利用方法ではなく、まさに「持続可能な」利用方法としてワイズユース(Wise use)という概念、すなわち「賢明な利用」を提唱しています。
変な例えですが、山岳の混生林を経済的な事情から杉や檜の単相林にしてしまった結果、花粉の飛散量増大によって社会現象ともなっている花粉症を引き起こしています。自然環境の「非賢明な利用」によってしっぺ返しを受けてしまった、と見ることも出来ます。
ラムサール条約で採択されたワイズユースの定義は以下の通りです。

湿地のワイズユースとは、生態系の自然財産を維持し得るような方法での、人類の利益のために湿地を持続的に利用することである

人間の利益にもミクロからマクロまで実に多様な考え方があると思います。産業としては非常にニッチですが、山間の湧き水を使った山葵の栽培と平野部の蓮田、環境負荷という観点で見れば前者が問題となることは皆無ですが、後者は霞ヶ浦に於いて水質汚染の原因の一つとされています。農業のみならず養殖漁業も方法論や環境負荷によって細分化した評価が必要であると思います。
大量の肥料や餌が窒素やリンとなって湖沼に流れ込むことが持続的な利用にあたるかどうか、どの程度の環境負荷であれば自然の回復力に頼れるのか、残念ながら確たるデータは存在しません。一歩間違えると第一次産業全般を否定し、第二次産業の排出物も非現実的な規制をしなければならない、所謂原理主義的な概念と見られてしまいます。「人類の利益のために」「接続的に利用」という抽象的表現は自ずとその危険性を内包しています。で、あるからこそ具体的なデータに裏付けられた一つ一つの取組が必要なのです。

このワイズユースに於いて一つの具体的概念として登場して来たのが「流域保全」という考え方です。

第6回ラムサール条約締約国会議(1996、brisbane、Australia)〜集水域や沿岸域の環境管理を条約批准各国に求める採択
第7回ラムサール条約締約国会議(1999、San Jose、Costa Rica)〜防災飲料用水確保など生態系以外の目的でも集水域の環境保全に言及

当初の「水鳥云々〜」から水系流域や用水確保までかなり守備範囲が拡大されていますが、水資源は良く言われるように森林保水の影響も大で、水面のみならず自然環境全般にまで議論が進展して来た事実が窺われます。

◇ワイズユースとフールユース◇

ワイズユースの概念はかくの如しですが、現状の利用実態はどうでしょうか。利用と言っても産業からレジャーまで幅広い形態がありますが、自分で見聞したいくつかの事例を個人的感想として綴ってみたいと思います。

湿地名 利用の実態 個人的感想
ふじみ湖(茨城県笠間市) 多くの反対を無視し、埋め立ててゴミ処分場として利用 ワイズユースから最も対極にある使用方法である
霞ヶ浦(茨城県土浦市他) 沿岸部の蓮田で蓮を生産 非常に高濃度の窒素が霞ヶ浦に流入している。水処理施設無しの栽培は禁止とすべきではないか
霞ヶ浦(茨城県行方市他) 下水道未整備地区での養豚 蓮田とともに有力な汚染源の一つとされる。水処理は行政側の責任
芦ノ湖(神奈川県箱根町) 有料フィッシング用のトラウト放流 ニジマス、ブラウントラウト、イワナを毎年10t以上放流。生態系や水質への影響は議論されていない
日本全国 オオクチバス他の違法放流 釣人に生態系を破壊する権利はない
琵琶湖(滋賀県)他 ジェットスキーからのオイルによる水質汚染 公共の利益(環境のみならず安全性、景観を含め)の観点から許可、禁止区域を厳密に運用すべき
中池見湿地(福井県敦賀市) 大阪ガスの液化天然ガス基地建設を計画 ラムサール条約批准国として何を考えているのか全く理解できない

他にも大小目に付く事例は多々あります。現在(2008年)揉めている霞ヶ浦導水路など、人間が引き起こした救いようのない水質汚染を自然環境を強引にコントロールすることで何とかしようという傲慢さを感じます。概して「ワイズ・ユース」よりも「フール・ユース」、はっきり言えばアホです。
合法か違法かという観点から言えばオオクチバス(外来生物法、特定外来生物)の事例以外は合法です。関係者にしてみればアホだの何だの言われる覚えは無いでしょう。しかし国際的なコンセンサスを持った条約の批准国としてどうか、という観点で「如何なものか」という思いを持たざるを得ません。特に行政が推進する事業も「お上のやることに間違いはない」伝説が崩れ、こと環境面に関しては事前調査から導き出された予測と現実に起きている乖離が甚だしい場合が少なくありません。

(1)諫早湾干拓
おそらく何も説明の必要が無い程に事例として有名。事前評価と結果の乖離以前に、干拓の目的である「防災と農地の確保」(後に農地の確保はあまりにも実情を無視しているために推進者側は口にしなくなった)が現実に合わなくなっており、一度始めた事業に於ける「権益」や「既得権」が方向性の転換を困難にしているような気がする。これは反対の起きている公共工事の大半に言えると思う。
(2)吉野川河口堰
様々な形で報道されている通り、環境論、法理論、感情論が同列にある藪の中の典型的事例。問題をすっきり絞った際に、目的である「洪水防止」と、洪水の直接の被害者になるであろう住民が「不要」としているギャップが異様である。途中で住民投票には法的拘束力はない、という意見も出ており、ではなぜ住民投票を実施したのか、という疑問も残る。
(3)霞ヶ浦導水路
既に記事として意見表明しているが、反対者側(主に漁協)が「アユの稚魚が吸い込まれる」という何とも切実ではあるが的を外しているのではないか、と思われる理由を上げているのが情けない。本質は手賀沼に始まる水質汚染のツケを誰が払うのか、という議論であるはず。

この「湿地の使い方」がワイズユースであるとする方は少数でしょう。何らかの意図が無ければそうした意見も出てこないはずです。ラムサール条約で規定するワイズユースは「環境と共存する利用」ですので、残念ながらそこには建設業者も選挙区も要素として入り込むことはありません。どこまでがワイズユースなのか残念ながら具体的な指針はありませんが、生態系を撹乱する結果となるこれらの事例は少なくても「そうではない」と言えるのではないでしょうか。

◇利用と保全◇

環境、特に生態系へ影響の出るような利用はすべきではない、と言うと「触らず近寄らず見守る」というどこかの自然保護団体並に原理主義となってしまいます。「主義」ですので良し悪しは論外で、では自然からの恵みは一切拒否するのか、という極端な議論になってしまいます。
家畜の肉や野菜以外口にしない(=野生のものは口にしない)と言っても家畜を飼育する、野菜を栽培することも少なからず環境に影響を与えているわけで、そこに「ワイズユース」の概念はありません。概念として「保全」と「保護」を再検討する必要があると思います。

保全、という言葉があります。英語ではconservation、人間の手を入れて「保全する」というニュアンスが含まれています。水田を含む水域を使った栽培、採集などはまさにここに留意すべきで、根こそぎ魚を取ってしまう漁法の是非、肥料や農薬の流失など汚染に繋がる産業形態の是非、さらには水域周辺の居住者のライフスタイルに至るまで、「利用」する上で意識しなければならない概念が「保全」です。
簡単に言えば「利用する上でのマナー」とも呼ぶべき留意点で、広義の湿地と水資源、食料、自然浄化等の点に於いて切り離す事が出来ない人間の生活を前提に「保全」しよう、ということです。そして手を入れながらよりよい環境を目指すのがワイズユースである、という考え方です。
現実問題として一度人間の手が入った環境(今や国土の大部分)は維持するために絶えず手を入れる必要があります。休耕田しかり、人工植林された山林しかり、放置すれば凄まじいスピードで環境遷移し、そこには本来の自然環境とは程遠い、荒れた環境が現出します。度々の例示で恐縮ですが、放置された里山環境からは多くのキノコや甲虫類が姿を消しています。林業の方々は間伐や下草刈が出来ず放置された状態を「山が荒れる」と表現します。

一方、上記のように一切合財人間の手を入れるべきではない、という考え方もあります。これは「保護(preservation)」という概念で、我が国でも国立公園の一部で実現されています。これが可能になるのは有史以来人間の手が入らず、まさに自然の姿で環境が維持されている環境です。
この保全と保護を理解しないと妙な議論となってしまいます。以前大人気なく反論してしまいましたが、自然から何も引かず何も足さない、という考え方は後者の「保護」に適用されるべきであって、里山環境を中心とする「二次的自然」には通用しない一面真理の考え方なのです。ラムサール条約で言うワイズユースは「ユース」を前提としている以上、保全を中心にした取組が求められるのです。


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