湿 地 の 基 礎 知 識


Wetland Profile】vol.6 Case Study 霞ヶ浦水系


〜常陸川水門の運用を考える〜

◇すべての元凶か?常陸川水門◇

Wetland Profileのケーススタディ第一弾は地元霞ヶ浦水系です。琵琶湖と比べると、霞ヶ浦、北浦、逆浪外浦、それぞれを接続する河川など広範囲に水系があり、海跡地形であるため水深が浅い、などの特徴があります。
周辺地域も太古は利根川の大規模な洲であったと考えられており、地形的に低地となっています。このため台風等による増水と、ほど近い太平洋の満潮が重なれば容易に逆流し、霞ヶ浦、北浦は大増水し洪水を引き起こしてきました。
霞ヶ浦が汽水傾向を示してきたのも、海跡湖であるという理由よりも海水の逆流が主因であったようです。これはすなわち周辺の農業に「塩害」という被害をもたらし、一帯の主産業である農業に打撃を与え続けてきました。

このような状況を改善するために1959年に現在の茨城県神栖市の常陸利根川に常陸川水門の建設が着工され3年後に完成しています。(利根川河口堰と接近した構造物となっています)。このように当初の目的は、

●増水時の太平洋・利根川からの逆流を防ぎ、霞ヶ浦の氾濫を防止する
●海水の遡上逆流を阻止し、塩害を防止する

という至極妥当なものでした。
これが、現在様々な立場から霞ヶ浦の水質汚染の元凶のように言われるようになったのには、いつの間にか当初の目的と異なる運用が開始されてしまった事によります。

●霞ヶ浦の水位を確保し農業・工業・上水道用としての水源を確保する

当初からこのような目的も意識されていたという説もありますが、それはどちらでも良くて、問題なのは前者の目的と後者を含めた目的では水門の運用がまるで異なってしまう事なのです。簡単に言えば洪水・塩害対策としては増水した際に水門を閉めれば良いのですが、用水確保のために水位を維持することになれば圧倒的に水門を閉めている時間が長くなってしまうのです。

常陸川水門の開閉は現実問題としてどのように行われているのか。これは国土交通省関東地方整備局霞ヶ浦河川事務所のWebサイトで知ることが出来ます。この項をご覧頂いている時期は分かりませんが、梅雨の多雨の時期でも僅かな時間、開けられているに過ぎません。この状況を評して「霞ヶ浦の汚染が滞留され、水質悪化、アオコの発生に繋がっている」という批判があるのです。

◇すべての元凶は汚染流出◇

上記の批判は(因果関係は証明されていませんが)一見尤もらしく聞えます。プロセスを省略し「霞ヶ浦浄化のために常陸川水門を開放しろ」と言えばこれはこれで筋が通った日本語になってしまいます。
しかし、少し考えて頂ければ分かる事なのですが、仮に常陸川水門の締切が霞ヶ浦の水質悪化の原因だったとしても、水の入れ替えによる自然浄化を求めるのは非常に甘ったれた考え方です。汚染された水はどこに行くのでしょうか?利根川を通り太平洋に注ぐわけですね。霞ヶ浦が綺麗になれば海洋汚染は知ったことではないと?
霞ヶ浦を汚さない、窒素やリンを植生を使って固定したり流入する汚水の根本問題を考えるのが筋なのではないでしょうか。上記意見は問題のすりかえであると思います。もちろん水門の締切による影響は他にもあります。湖岸湿地の状況や水位差を利用する植物など様々な面での影響が見られます。しかし、水質汚染に水門を直結するのは「スケープゴート」作りに他なりません。

まったく関係ありませんが、先だって北海道の夕張市が財政破綻しました。仮に霞ヶ浦で上記の問題をすべて解決する方法を自治体に求めれば破綻する所が次々と出てくるでしょう。それ以前に「洪水・塩害を起こすな、利水を確保しつつ霞ヶ浦を浄化しろ」という要求が現状を考えればいかに矛盾に満ちた要求であることか。それでも家庭排水は流し続けるし、税率を上げてはダメなんですよね?
このような理不尽な要求が通るわけがない、このように考えるのも客観的に見れば妥当ですが、現地では罷り通っているのも事実なのです。当初は水門を閉めても塩害が減らないこと、汽水性のヤマトシジミの漁獲が激減したことで漁業関係者の反対もありましたが、1974年には完全閉鎖が決定し、霞ヶ浦の淡水化が決定的となりました。ここで顧みられなかった事が現在まで続く様々な批判の原因となっているのです。顧みられなかった事は次の3点に集約されると思われます。

(1)生活・農業排水の見積と富栄養化の試算
(2)水位変動が無くなることによる生物相の変化
(3)上記予想範囲内の自然破壊への対策スキームの欠如

(1)については1960〜70年当時の時代背景やアセスメント技術を考えてみれば無理はないと思います。高度成長が絶対正であり生産性が優先でしたから。ただ、水辺に限らずこの時代の負の遺産をいまだ引き摺っているのも事実です。歴史の批判は簡単なのであえて言及しません。(2)についても同様でしょう。生物多様性の概念、自然再生の概念は今世紀に入って本格化したものですから。
もっとも欠けていたのは(3)ではないでしょうか。完全に水門を締め切れば(元々の目的の一つが塩害防止、という事実を想起してください)少なくても湖の淡水化が避けられず、この結果滅びてしまう汽水性の生物は想定の範囲内であったはずです。事実漁業サイドからヤマトシジミの漁獲について懸念の声も上がっていたはずです。生物相がまったく変わってしまう、という激変からその後の環境変化を予想することは当時の技術でも容易だったはずです。この点について配慮があった、対策したという事実は残念ながら見つかりませんでした。この点は基本的に現在も変わっておりません。

一方、完全に締め切った「水溜り」と化した霞ヶ浦に流れ込む水はどうでしょうか。私が現実に見た石岡市高浜入りの恋瀬川、山王川、土浦市の桜川、稲敷市の小野川、特に語ることはありません。一目見れば分かります。これは沿岸に大規模な工業地帯が無いことから、下水道整備の遅れた住宅地の生活排水と農業排水に原因を求めることが出来ます。短時間に大量の餌を与えて育成する鯉の養殖漁業も水質に影響を与えていましたが、こちらは2003年のKHVの流行によって2004年には県の指導によって養殖業者全戸が廃業しています。(この対応も凄い話ですが)


本件に関して少し個人的な話をさせて頂きます。中学・高校と一緒であった気の合う友人(大学進学時にお父上が他界され、進学をあきらめて家業の鯉養殖業を継いでいます)の行方が分からなくなりました。ニュースで見た限り、廃業は県の強制的指導によるものであり、補償金は一戸あたり60万円前後であったようです。
相応しい表現かどうか分かりませんが、自営業で長年生計を立てていた、それ以外に生きる術を持たない人間に僅かな金を渡して強制的に廃業させることを行政が行ったわけです。サラリーマンの配置転換とは違います。結果的に私はKHVのおかげで、一番重要な財産である友人の一人を失ったわけです。


下水道整備の遅れによる生活排水の流入以外に忘れてはならないのが農業排水です。これは大きく水田湛水時に窒素肥料が溶け込んだ水が中干しによって流入するもの、沿岸の大規模な蓮田で使用される有機肥料の流入、地場産業である養豚の排水流入が原因としてあげられます。農業排水も農業集落排水というスキームによって道筋が付けられていますので対策は単なる遅れ、でしょう。予算的な面、市町村単位の自治体との折衝、地権者の意向など多くの障壁はあると思いますが。どちらにしても生活者や事業者には責任が無く、インフラ整備の観点から自治体の対応スピードが批判されてしかるべきなのでは無いでしょうか。
出て行くことが無いのであれば入る量を考える、非常にシンプルな思考法です。これが無ければいかに巨大な霞ヶ浦でも自然回復力は臨界に達し、赤潮(内水面で、です!)、アオコ、その他ありとあらゆる問題が噴出する事は誰でも分かります。これが現在の我が国第二位の面積を持つ湖の姿です。

◇自然再生の取組み◇

「この状態はいくらなんでも」という発想は上記した大部分の責任を負うべき行政からは出てきません。不思議なことに市民活動のなかから出て来ています。有名なアサザ基金が最たるものでしょう。アサザ基金でも逆水門(常陸川水門)の柔軟な運用をトップページで提案しています。
余談ながらアサザ基金は誇るべきものが少ない我が県に於いてもっとも誇り高い存在です。これは代表の飯島博氏の理念に負うところが大きいと思います。今や11万人の市民が参加する、NPO法人としては最大級の存在ですが、大きくなるにつれ研究機関や自治体の参画、関与がなされてきました。市民発の理念が形となり、これだけ多くの立場の異なる人々が参集するのは他に見られない素晴らしい事例ではないでしょうか。
東京大学の鷲谷先生他、真摯な態度で積極的に参画され成果を上げておられる研究者もいますし、公明正大に公開された収支を見れば参加市民の会費以外に、企業の寄付金、委託事業や助成金による自治体の役割も少なくないことがご理解いただけると思います。

余談はともかく、アサザ基金の活動の過程でアサザの発芽が水位の変動に深い関係があること、湖の浄化には湖岸湿地が大きな役割を果たしていることなど多くの事実が明らかになって来ました。これらについては拙著「ビオトープ各論 護岸と湖岸湿地」で触れさせて頂きましたのでそちらをご覧いただくとして、たった一つの水門にその性格を支配されてしまった巨大なウェットランドが霞ヶ浦水系の本質だと言う事をご理解頂きたいのです。
そして、その水門は当初大きな大義があり、運用の過程で目的が変わってきた・・・ここまでは良いと思います。ここまで事態が悪化してしまったのは影響度の予測が無かったからでしょう。これは批判ではなく、地域住民の一人としての悲しみの発露です。

カタストロフィック・シフト、再生不可能な状態に陥ることという定義もあります。先頃、独立行政法人産業技術総合研究所の山室先生に頂いた資料では、渡邊信先生が自然再生の条件を人間が絶滅するか、本気で再生に取り組むしかないと仰っておられましたが、まさに同感です。人類の将来に大きな資源となるかも知れない遺伝子は、今も毎日どこかで絶滅しています。

【参考文献】

●湖の環境学 1995年平井幸弘 古今書院
●ひとと湖とのかかわり−霞ヶ浦− 1994年霞ヶ浦研究会編 STEP
●よみがえれアサザ咲く水辺−霞ヶ浦からの挑戦 1999年鷲谷いづみ・飯島博 文一総合出版



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送