湿 地 の 基 礎 知 識

Wetland Profile】vol.9 Case Study 環境破壊の精神構造

〜環境破壊のドーナッツ化〜
◇家電リサイクル法の影◇

前項はまさに「講釈師、見てきたような〜」を地で行く、見たことがない「ふじみ湖」について義憤のあまり語ってしまいましたが、今回は推移を自分で確認した湿地喪失のケーススタディです。この湿地は名も無い田舎の片隅のものなのでもちろん問題にもなっていません。仮定の話で恐縮ですが、問題となっていれば似たような議論と似たような結末が繰り返されたはずだと思います。

少し前までメダカやフナ、マシジミやタイコウチなどが生息していた近所の沼ですが、久しぶりに訪れてみると悲惨なことになっていました。あちこちに電子レンジやTVなどの家電製品が捨てられ、車のタイヤやバッテリーまでが放棄され、まさに夢の島状態。生態系もへったくれもありません。生物が死滅した溜まり水はメタンが沸き正体の知れない緑黒い液体と化していました。
こうなってしまった理由は何となく分かります。大きな理由の一つとして家電リサイクル法の施行があると思います。都会ではおいそれと捨てるわけには場所的にも人目的にも行きませんが、田舎では昼間さえ滅多に人が通らない場所はざらで、処分に必要な数千円を払いたくないために一人が何か捨てたのでしょう。後は群集心理ですね。1台でも捨ててあれば「我も我も」というパターンです。
こんなことを「概して」言うとどこかからクレームが来そうですが(汗)、自然の豊かな土地に住んでいると有難みが湧かないというか、多少無茶をしても自然の復元力が何とかしてくれるというか、そんな風潮が感じられます。巨大な水湿地である霞ヶ浦、北浦を汚し続けてきただけでは懲りていないようで、地元ながらまったく情けなけなくなります。
さらに綺麗ごとをこの際排除して言えば所得格差の問題があります。ある層には3000円程度の廃棄費用は問題にもならない金額ですが、一週間の一家の食費が3000円程度の層も存在します。これはテーマではありませんが、格差が拡大することに手を打たず、こんなところだけ「平等」な歪みの発露だと思います。

法律については「法律」ですから特に意見もありませんが、これまで行政サービスとして機能してきた、国民側から見た「既得権」を有料化した時に何が起きるか、という点で想像力が足りなかったのは否めないと思います。もちろん闇で廃棄する方が悪いのですが、この問題に関して性悪説を前提としなければならないことは過去の廃棄物の問題から立法・行政側も学習しているはずです。
この画像は極端な例かも知れません。しかし家庭排水を何のフィルターもかけずに河川に流すような場所は県内に数知れずあります。「今まで何とかなって来た」は「今後も何とかなる」と同義ではありません。

家電リサイクル法(通称、正式には特定家庭用機器再商品化法、平成13年4月1日施行)は経済産業省の解説を借りれば「一般家庭や事務所から 排出された家電製品 (エアコン・テレビ・ 冷蔵庫・冷凍庫・洗濯機)から、有用な部分や材料をリサイクルし、廃棄物を減量するとともに、資源の有効利用を推進するための法律」(下線部同省Webサイトより引用)です。
実際の流れはご存知の方が多いと思いますが、消費者、生活者サイドから見た場合、上記製品を廃棄する際には事業者(多くの場合家電量販店)が有料で処分を代行するイメージです。問題は従来粗大ゴミや燃えないゴミの括りで行政サービスとして回収されていたものが有料化されたということで、よく考えてみると「家電製品をリサイクルする」という精神と「消費者から費用を徴収する」という論理が噛みあっていないような気もします。もちろん前述したように法律は法律ですが。
結果的に生活者から見れば「廃棄が有料になった」という部分のみクローズアップされ、「誰も見ていない場所で捨ててしまおう」という現実がこの画像なのです。風が吹けば桶屋が理論の具現化です。

家電製品廃棄が有料化されて自然環境が喪失した

くどいようですが遵法できない側が悪いのは間違いありません。ただ「どちらが悪い」というのは人間の都合であって自然環境やそこに生息する生き物には関係も責任もない話です。

◇下水道整備のみではない要因◇

かたや東京都内の河川の画像です。湧水起源の非常に清浄な水に数種類の水草がなびき、小魚や水生昆虫を探す近所の子供達の姿も見られます。人口密度から言えば逆の現象が起きているのが自然だと思いますが現実はこの通り。
冒頭画像の地元と何が違うのか?この点を明らかにしないと首都圏郊外で起きている環境破壊の図式は見えてこないと思います。

(1)下水道整備率・・・東京都のこの地域はほぼ100%、地元は60%前後です
(2)水田、耕作地・・・圧倒的に地元の方が多く比較になりません

(1)の要因については対策も進んでいますが、個人的調査では(2)の要因が決定的な差となっているのではないかと考えています。なんだかんだと異論もおありでしょうが、農業排水、特に水田からの落水は決定的に窒素、リンが多く含まれており、言葉をどう取り繕っても事実であることに違いはありません。他のWebサイトの記事のURL貼って証拠、という行為は嫌いなので「水田 落水 窒素」で検索してみて下さい。豊富なデータも見つかると思います。
それ以前に自分の調査(植生という観点ですが)にも自信を持っていますので、農業排水が環境に負荷を与えていることは事実だと思います。(ちなみに善悪には言及しておりません)さらにこれは完全に不均衡ですが、下水道インフラの整備に於いて農村地帯には遅れが目立ちます。農業集落排水事業
という言葉がありますが、事業として取り組まなければならないほどの現況である、ということなのです。
農業地帯には直接的な排水以外に堆肥や家畜の糞尿などに浸み込んだ水がやがて河川湖沼に流れ込むような水質汚染原因もあります。これらの汚染原因もノンポイント汚濁負荷として知られているものです。霞ヶ浦と連続性のある水域で大量の有機肥料を使用するハス田のような事例もあります。

さて、目に見える、データで見える環境破壊以外に私は「心の問題」が大きいのではないかと考えています。冒頭の家電リサイクル関連の話もそうですが、言ってみれば地方にありがちな「豊かな自然に甘える心理」でしょうか。「これだけ自然が豊かなんだから少しぐらい・・」ということです。これはもちろん個々人の心理であっても積み重なれば大変な事になるわけで厳に慎むべき考え方です。しかし、この考え方が根底にあったのが前項のふじみ湖の悲劇ではなかったかと思います。
これまでこのコンテンツで色々書いてきましたが霞ヶ浦、手賀沼、汚れてしまった湖沼を叡智と費用をかけて「再生」する事は努力として「見える」のですが、汚れる以前に「防止」しようとした事実は見つかりません。この画像の河川の他にも都内の河川が下水の流入や廃棄物の投棄などハード面から手厚い保護を受けているのとは対照的です。

霞ヶ浦で最もメジャーなアサザ基金。今目に見える成果よりも100年後の姿を見据えた飯島代表の理念、官民学協働の行動力、非常に素晴らしく尊敬するところではありますが、叡智と力を結集して再生したアサザ群落の浄化力は、山王川(石岡市)のもたらす汚染と比してどうでしょうか。対策と同等以上に予防が必要なことは人間の身体と同じではないか、と考えるのです。

◇どこにでもあるふじみ湖の悲劇◇

こうした湿地の喪失は根が「廃棄物」に繋がっていると強く感じます。ふじみ湖の「廃棄物
処分場」、家電リサイクル法を契機とした違法廃棄」、そして家庭排水や農業排水を処理せずに環境に垂流すのも「汚れた水の廃棄」です。

家庭のゴミを減らそう、という思想とも運動ともつかない話があります。具体的にはスーパーでの買い物の際のマイバックや生ゴミを園芸肥料にする家庭用コンポストの導入ですが、これはこれで有意義だと思いつつ問題の本質は別なところにあるのではないか、という思いを禁じえません。手賀沼や霞ヶ浦でも盛んに言われている「リンを使用していない洗剤の推奨」も少しでも値段の安い洗剤を使おうという家庭の経済を否定する材料には成り得ません。要するに作る側に問題の本質があるのです。
「燃えないゴミ」の指定日に我が家でも分別した燃えないゴミを出しますが、中身を見てみると個人ではどうしようもないゴミが目に付きます。通常の消費生活を行えば不可避なのです。どうしても出るゴミなのです。物を作る側に一方的に責任転嫁するつもりはありませんが、過剰包装だらけの選択肢しかない状況下で消費者に「ゴミを減らそう」と呼びかけることは意味が無いと思います。

こうした廃棄物の問題に正解が無いのは承知の上ですが、家電リサイクル法での負担者=国民、家庭のゴミを減らそう、方法は=各家庭。こんな図式は通用しないでしょう。通用しない証拠がこの記事にある写真です。
登山家の野口健氏が撮影したエベレスト山頂部の写真は世界に衝撃を与えました。登山家の聖地であり地上とは別世界であるはずの「世界最高地点」にゴミが散乱していたのです。氏はこの点について「富士山はもっとゴミが多い」とも語っていました。
そして感銘を受けたのが「山が綺麗な国は街も綺麗」という言葉で、事実スイスの山々は非常に綺麗、そして街も綺麗だそうです。CO2排出権の売買ではありませんが、表面的な「体面」や「面子」を大事にする美しい国とは基本的に考え方が違うようです。


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