Field note of personal impression of wetland plant


【第二十三話】幻の水生植物
◇掛け値なしの希少にして絶滅寸前種◇

幻の水生植物と言うとガシャモクやらムジナモ、準幻のフサタヌキモなどが想起されますが、これらの種は自生は「幻」ながら相当数が園芸流通しています。育成増殖されている方も多く入手も比較的容易なので「現物」はけっして幻ではありません。一方、あまり知られていない種が知られないまま滅びかけている現状があります。霞ヶ浦のイサリモなどはヒルムシロ科の一種ないし交雑種、という断片的な情報があるのみで正体さえ分かりません。(*次項で解説)後者であれば埋土種子を持たない交雑種ゆえこれは今となっては確認しようもありませんが、今回はそんな「掛け値なしの希少にして絶滅寸前種」についてメモしたいと思います。

尚、見たことも無い種も含まれていますので、本文内の多くの記述は想像や推測が含まれています。その点、四方山話ですのでご了承ください。

◇歴史に埋没するイサリモ◇

霞ヶ浦近辺、土浦市の水路で種類が不明のヒルムシロ科植物を見たことがあります。この水路にはヒルムシロ科としてはササバモ、エビモ、リュウノヒゲモなどがありましたが、そのどれとも異なる特徴を持つ「やや細い葉の小型のエビモ」ないし「太いセンニンモ」といった雰囲気の植物でした。
その際に後で調べようと写真も撮らず数本採集しましたがすぐに枯死してしまい、そうこうしているうちにこの水路自体が暗渠となってしまい再入手が出来なくなってしまいました。後々九州で新種のヒルムシロ科が発見されたニュースや霞ヶ浦で消えて久しいイサリモの存在を知るにつれ、何とも悔やまれてなりません。

ヒルムシロ科は本コンテンツ「ヒルムシロ科交雑種考」で書いたように比較的交雑が起こりやすく、ヒロハノエビモなども種内変異なのか他種との交雑なのか分からない中間的形質を持つものが見られたりします。イサリモがこの範疇の変異なのか、種として明確な特徴を持つ植物なのか、はっきり言えば「誰も知りません
現在絶滅してしまった植物でも何らかの形、例えば標本や植物画、あるいは化石からの想像図などで残っている場合がありますが、本種に付いては各所探し回って何の収穫もありませんでした。最後の手段google検索でも貧弱な検索結果。おそらく特定の植物名で検索した際の最小の結果でしょう。画像はもちろんありません。
この状態はすでに「本能寺の変の黒幕は誰か」「足利尊氏の顔はどの肖像画が正解か」という類の話と本質的には同じになってしまっています。下手をすれば名前のみ残り、何年か経ってこの記事がクロールされ、数少ないgoogle検索の結果として表示される程度かも知れません。

知り得る限り本種に付いて唯一文献として記述がある「霞ケ浦の水草(レイモン アザディ、筑波書林)」から引用しておきます。
【引用】(内、私の注釈)
イサリモ ヒルムシロ科
Potamogeton nakamurai mamiyama(原文ママ、斜体表記なし)
イサリモは別称カスミモ(「カスミモ」は本文献以外に情報が見えない。別種の地方名称の可能性もある)と呼ばれる沈水性の多年草である。カスミモの名が示すように、この水草は霞ヶ浦の特産種でもある。イサリモは、センニンモとヒルムシロ属の水草との交雑種ではないかと云われている水草でもある。筆者の調査では確認されなかった。
【引用終了】

さらに困ったことがあります。乏しい資料でも学名が2通り見えるのです。Potamogeton nakamurai mamiyamaPotamogeton x nakamurai Momiyamaです。学名と言えども名前なのでどちらでも良いのですが、「×」は雑種を示す記号なのです。(後者は国際植物命名基準から逸脱した学名のような気もしますが・・)
何が困るかお分かりでしょうか?「種」であった場合には非常に時間と労力と忍耐を要する作業ですが、霞ヶ浦の底泥から埋土種子を発芽させるという手段が残されています。後述するテガヌマフラスコモはその方法で森嶋先生達が復活させたものです。まだ小規模なため池などで用いられている手段に過ぎませんが、シードバンク調査も可能です。希望があるのです。しかし交雑種だった場合、何も希望はありません。埋土種子はありませんし仮にそれらしき株が見つかっても「何と何の雑種」が分かりませんので特定が出来ないのです。
もちろん「種」であっても特定は出来ませんが、今後10年以内ぐらいであれば昔漁師だった方に聞いて回る、なんてことも出来るでしょう。「そう、これがイサリモだっぺ」と仰って頂ければほぼ確定でしょう。ガシャモクやら何やらに覆われていた頃の霞ヶ浦を知る方も年月と共に減りつつあります。その意味で「歴史に埋没」するタイムリミットが迫っています。

センニンモが絡むヒルムシロ科交雑種、地方呼称である点が状況証拠として存在する点、これを考えればヒロハノセンニンモやサンネンモなどの「茨城県名称」であったことも妥当な推論であると思いますが、もちろん推論ですので「指摘」ではなく「示唆」範疇の話です。もやもや感は続きます。

◇前田益斎◇

エキサイゼリ(Apodicarpum ikenoi Makino セリ科エキサイゼリ属)という植物があります。かねがね見てみたいと思い、結構な時間をかけて探しましたが未だに発見しておりません。従って画像もありません。
この「背の高い葉の分裂パターンが違う妙な名前のセリ」は江戸時代後期の富山藩主、前田利保(1800-1859)が絵に残したことから和名となりました。彼の号が益斎であったことに拠ります。加賀藩支藩の藩主としても殖産興業を中心に優れた事跡を残した人だったようですが、もう一つの顔として本草学(博物学)の大家であり、このような雑草範疇の植物の絵を多く残しています。現存するこの植物の絵としては最古にして最高のものを描いた人物、ということになります。(今後もこんなマイナーな植物の絵を描く人が現れるとは思えませんので・・)まっ、最新にして最低の私の絵を載せる選択肢もありますが・・・止めときましょう。(汗;

本草学はその「草」という文字から昔の植物学、特に薬草学と思われる場合が少なくありませんが、植物学を含む自然史全般、動物学、鉱物学など広範な自然物を対象にします。従ってニュアンスは「博物学(Natural history)」に近いものがあります。

彼が描いたモデル(エキサイゼリ)の産地記録は残っていないようですが、現在では愛知県の一部、利根川水系の一部にしか残存しない植物となっています。環境省RDBでは絶滅危惧IB類(EN)ですが感覚的にはもっと上のランクなのではないか、と思います。
エキサイゼリは河畔林など特殊な環境に自生するとされていますが、愛知県はいざ知らず利根川水系では河畔林は減少の一途です。主な要因は護岸工事とゴルフ場、グラウンドの開発です。さらに近年残存する河畔林にもセイタカアワダチソウやヤブガラシなど排他性の強い植物が侵入し、最も有望視していた小貝川河畔林など立入も出来ない状況となっています。大雑把に括れば「自生環境の喪失」です。

この河畔林は鷲谷いずみ先生も調査に訪れたことがある程多様性に富んだ「湿地」ですが、家電製品や建設残土の不法投棄が後を絶たず、笹など思わぬ植生の繁茂もあって現在では非常に入りにくい場所となっています。こうした荒れた環境には狸やヘビ、山ヒルなどが帰って来ます。蝮やスズメバチなど危険生物の棲家ともなっており、探査には完全防備+覚悟が必要です。場所の見当が付き「我こそは」と考えている方のために警告をしておきます。それでも頑張って写真が撮れたら・・・使わせて下さい(^^ゞ

最近ピンポイントの自生情報を頂いたので機会があれば写真を撮り画像をこの記事に上げたいと思いますが、発芽から開花・結実まで非常に短期間で7月には姿を消すという生活史が幻に拍車をかけています。

◇絶滅のモデルケース◇

アブノメはけっして「どこでも見られる植物」であるとは思えませんが、それでも低農薬や無農薬の水田の一部で見ることができます。しかしオオアブノメとなるとごく限られた場所でしか見ることができません。
この関係がサンカクイとオオサンカクイにも言えます。というかそれ以上の関係で、オオサンカクイは今や小笠原諸島の母島にしか自生が無いのです。

「オオサンカクイの写真を撮るために1週間の時間と交通費・滞在費をかける」これは現在の私の立場では間違いなく却下、さらに持病を抱えた身では健康面からも難しいでしょう。
なにしろ東京竹芝から父島二見港まで25時間半、さらに父島から母島まで2時間10分、以前大洗〜苫小牧フェリーでエンジン音と縦横揺れのために極度に体調を悪化させた経験のある私が無事辿り付く、とは思えません。下手をすれば父島着→担架→硫黄島→自衛隊機→東京着というゴールデンツアーになってしまいます(^^;
そんなわけで画像を父島在住のなつき女史に依頼したところ快く引き受けて下さいました。今回公開できる画像があるのはすべてなつき女史のお陰です。ありがとうございました。

そもそもなぜオオサンカクイが本土から消え懸隔の地小笠原に残存するのか、これは多くの憶測と若干の史実から語らざるをえないでしょう。
オオサンカクイ(Schoenoplectus grossus Palla カヤツリグサ科ホタルイ属 環境省RDB絶滅危惧II類(VU))は亜熱帯植物ではなく小笠原諸島の固有種でもありません。分布の問題は別としてサンカクイやカンガレイ同様、湿地や水田付近に自生していた植物です。
これがなぜ本土から消えてしまったのか?近似のカヤツリグサ科植物、前出サンカクイやカンガレイはもちろん、ホタルイやクログワイなど同科植物が駆除難種雑草扱いをされる事もあるほどのしぶとさを発揮しているのに比べ不思議でなりません。一方、カヤツリグサ科の絶滅危惧種を見てみると自生地が地理的に隔絶、孤立し、少数の自生地の喪失即絶滅、というパターンが思い浮かびます。この事から植物としての生命力以前の問題、自生地の少なさ(特殊な自生環境)と環境の喪失という点を指摘するのに無理はないでしょう。
尤も「植物の生命力」も考慮に入れるべきで、同じ環境に自生しても除草剤に耐えて生き残る植物と駆除されてしまう植物があります。この辺りは身近に現物や自生地が無く何とも言えませんが、最近の低農薬・無農薬の水田でもシードバンクからの発芽の報告が無いことから前記した説が有力かな、と考えた次第。

オオサンカクイが母島になぜあるのか、この事は史実から明確になっています。戦前に繊維作物として移入されたのです。ただしここでも何故イグサではなくカヤツリグサ科のオオサンカクイが選ばれたのか、という謎は残ります。

この点に関し、柳田國男の「木綿以前の事」が参考になりました。戦前の島嶼部の暮らしを想像するに衣料や夜具はともかく日々必要となる雑多な繊維製品の原料をどう調達していたか、ということです。敷物以外に利用の術もないイグサよりは繊維の利用方法が多様なカヤツリグサ科の大型種を選択したことは妥当性があります。ただあくまで想像の範疇で、実証には現地調査を含めた民俗学的なアプローチが必要であることは言うまでもありません。
ちなみにカヤツリグサ科の植物の利用に付いて、同じ島嶼部奄美大島ではカンガレイを製紙、ござ、帽子、日用品を編むのに用いる、とあります。
出典:奄美群島生物資源Webデータベース

その他、カヤツリグサ科の植物の生活での利用方法を調べましたがまともな情報は皆無、でした。この状況もかつて柳田國男翁が危惧した通り「庶民の生活史の消滅」のようです。意外な救荒植物ミゾソバの食い方、なんてのも情報が少なくこの分野は落穂拾いの根性が無いとできませんね。


私はサンカクイの「自己主張せず(アホのように繁茂せず)涼しげな雰囲気」が大好きですが、水草好きの間でも少数派でしょう。まして地味な見かけが同じなのに場所だけは取るオオサンカクイがガシャモクやムジナモのように流通する可能性も皆無だと思います。
まだ残存するうちに種子によって本土の然るべき湿性植物園などで種の存続を図るべきだと考えます。

◇奇跡の復活◇

一時はRDBで最も重い「絶滅(EX)」とされたテガヌマフラスコモ(Nitella furcata Agardh var.fallosa(Morioka)Imahori)ですが、手賀沼の底泥から休眠胞子を探し出し復活させるという奇跡によって蘇りました。経緯は森嶋先生の「車軸藻のページ」にありますのでぜひご参照ください。
被子植物に於いても荒廃してしまった湖沼などでシードバンクの調査はやや一般的になってきましたが、私が知る限り「ホームラン級」は見つからないようです。手賀沼のガシャモクとテガヌマフラスコモは場外級ですね。

さて、このテガヌマフラスコモ、画像は千葉県我孫子市手賀沼湖畔の水の館で展示されていたものですが、現在では見ることができません。森嶋先生が仕事の合間に手をかけて維持されていたものですが、維持技術が確立されていない水生植物、しかも一年草の生活環を持つ植物を長期に渡り維持する困難は想像に難くありません。
この植物の実物を見ることが出来るのは凄い僥倖ですが、この感慨は我々「水草趣味」のなかでもさらにコアな一群(要するにオタク)だけのものらしく、当時見ていた限りでは巨大な淡水魚を泳がせた水槽やホタルの飼育などが人目を集めていました。
意義や価値、という観点で知的水準や民度を語っても仕方がないことは代替の効かない貴重な生物が生息する自然環境が開発によって潰される度に思われますが、ふじみ湖が潰されて大騒ぎする方も、こうした「小さな奇跡」には目を向けることが少ないようです。自然環境もプロパガンダ次第。どこでも見られる図式です。

余談ながらこの展示があった水の館から水田、県道船橋取手線を挟んだ千葉県立我孫子高校にはカヤツリグサ科図鑑の著者、谷城勝弘先生が勤務されています。
水質汚染で有名な手賀沼ですが、森嶋先生、谷城先生、優れた人材が次々と出てくるのはまさに「国乱れて忠臣顕れ、 家乱れて孝子顕る」ですね。環境悪化に良い側面があるとすれば、そこに問題意識を持って取り組む人間が現れることだと思います。

◇復活への試み◇

野生絶滅、この言葉の重みはどんな自然豊かな環境でも見ることができない、という状態に凝縮されると思いますが、埼玉県越谷市の名前を冠したコシガヤホシクサ(Eriocaulon heleocharoides Satake.)もそんな植物の一つです。
環境省RDBでは絶滅危惧IA類(CR)となっていますが、実態として人の手で保護されたものが知りうる限り2箇所の施設にあるだけですので野生絶滅、でしょう。もちろん未調査や見逃された自生地の存在を可能性として「CR」もありだと思いますが。

コシガヤホシクサは東京農業大学農学部の宮本太准教授が保管されていた種子の子孫が茨城県内で2箇所、ビアスパーク下妻と筑波実験植物園で育成されています。私はどうも縁が無いようで、2006年にビアスパーク下妻に見学に行った際には空振り、2008年に筑波実験植物園を訪問した際にはご覧の通り看板だけ、という有様でした。
両施設とも係員が開園時間中張り付いて見張るような環境ではなく、不心得者が居たのかも知れません。筑波では植栽されたエリアが立入できないようになっており、2mほど遠方から見るしかありませんでしたがホシクサらしき草姿は見当たりませんでした。
水草としてのホシクサブームは困ったもので、もしコシガヤホシクサの種子がオークションに出品されれば天文学的な値段が付くかも知れません。個人の興味や利益のために国民の共有財産を私することは許されるものではなく、管理された施設から持ち出す行為は犯罪です。好意で公開されている筑波実験植物園(本来の主旨は研究施設で、入場料はたったの300円です)からホシクサに限らず植物体や種子を持ち出す行為はそれ以前に倫理観の問題で、このような事は絶対に無いようにしたいものです。間接的に多くの純粋な見学者にとってもいい迷惑です。

この試みが成功して増殖が実現しても、水田や湿地への移植はおそらく行われないでしょう。より管理の緩いこうした環境に希少種を植栽するには教訓が多すぎますから。それはとりもなおさずより多くの人々に滅びかけた湿地植物の存在を訴える機会を奪っていることに他なりません。


【オオサンカクイ画像提供】
Special Thanks
なつきさん経由母島の東京都自然保護員(レンジャー)さん

【参考文献】
レッドデータプランツ 山と渓谷社
霞ヶ浦の水草 筑波書林

【参考展示】
千葉県我孫子市 水の館
茨城県つくば市 筑波実験植物園

Field note of personal impression of wetland plant
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