湿 地 の 基 礎 知 識


Biotop Profile】vol.2 ビオトープ各論 護岸と湖岸湿地


〜護岸の暗黒面、湖岸湿地の重要性〜


◇アサザの特性◇

霞ヶ浦で植栽が進められているアサザですが、もともと霞ヶ浦沿岸で普通に見られたこの植物が、なぜ植栽しなければならない程減少してしまったのか、原因は意外なところにあります。水質の問題はもちろんありますが、アサザは水質汚染にはやや強く、だからこそ浄化の役割を期待されています。
実は減ってしまった大きな要因はアサザの世代交代のスタイルにあります。少し長いのですが、アサザプロジェクトのWebサイト「アサザの生活史」より引用します。

【以下引用文】
・アサザの種子は「永続的土壌シードバンク(埋土種子集団)」を形成し、発芽せずに土壌中で数年間生存することができる(Smits et al.1990)
・種子は非常に水に浮きやすいため、水流によって遠くまで散布される。種子はしばしば魚や水鳥に食べられるが容易に消化されるため被食散布は有効ではない(Smits et al.1989)
・種子は乾燥にも強く、種子表面の毛によって水鳥の体に付着することで、より長距離の種子散布も起こりうる(Smits et al. 1989; Cook 1990)
・浮葉植物であるが、水中では発芽が抑制され、光の遮られる土壌中でも発芽できない(Smits et al. 1990)
・さらに冷湿処理や変温条件によって発芽が促進される(丸井 鷲谷 未発表)ことから、霞ケ浦では春先の自然な水位低下で露出する湖岸が発芽適地であると推測されている(鷲谷 1994)
・実生は波があたる場所や他の植物に被われる場所では定着できず、定着には発芽と同様に「冠水しにくい裸地的環境」が必要である(高川 未発表)
・春先の水位低下がおこらなくなった現在の霞ケ浦では、自然条件下では実生はすべて定着に失敗している(西廣ほか 2001)

少し整理をしますと、アサザの種子は水に浮きやすく岸辺近くに打ち寄せられる。水位変動によって水が引いた湖岸露地で発芽、水位増加とともに湖に帰って行く、というイメージでしょうか。水生植物のなかでも非常に独特な生活史を持った植物ですね。
霞ヶ浦では護岸のある場所が多く湖岸と呼べる地形が少なくなってしまったのと、引用文にあるように常陸川水門によって自然の水位変動が無くなってしまったため、なかなか定着出来ないようです。水門については元々水害防止のためという目的があり一概に悪とは言えませんが、もう一つの要因である「湖岸」については他にも重要な意味があります。
霞ヶ浦や北浦近辺を歩いてみると非常に堤防が多い事実に気が付きます。堤防際から湖はいきなり水深があり、浜と呼べる地形が少ないのも特徴的です。やや面積のある浜には所々水が溜まったり、様々な水生植物が群落を作ったり、所謂「湖岸湿地」を形成します。今回はこの「湖岸湿地」の持つ大きな役割と、ビオトープとして湖岸湿地を再現した霞ヶ浦総合公園の事例について考えてみたいと思います。


◇植生と水質◇

一般的に水草(広義の)の減少は水質悪化と深い関わりがあると言われています。普通の見方をすれば「水質が悪くなって水草が減少してしまった」と言えなくも無いですし、事実栄養塩の増加による藻類増殖、二酸化炭素の消費による塩基化と導電率の上昇によってパターンにはまってしまった場所も多々あります。
もう一つの見方は湖岸湿地の喪失による遠浅の湖底喪失、つまり藻場の喪失が大きな要因であるような気がします。霞ヶ浦を上回る汚染度の周辺水路、沼などに見られるササバモ、エビモなどは本来汚染に対しては強い植物です。これらが霞ヶ浦本体から姿を消してしまう要因は水質汚染以外に護岸の影響が大きいのではないかという見方です。
水草と言うと水中に生えているイメージがあります。これ自体は誤りではないのですが、同じ水中でも太陽光が入り光合成の補償点を上回る光量が確保できる地点、つまり浅場に限られます。上左図のような湖岸では生育条件が自ずと厳しくなります。もちろん護岸堤防でも水草が自生する場所はあります。しかし霞ヶ浦の場合は水質の悪化による導電率の向上によって、より条件が厳しくなってしまっています。
このように「水質の悪化による水草の減少」は多くの複雑な要因のうちの一つを表わしているに過ぎません。他にも次項で述べる微生物の働きも重要な要素となっています。

では護岸を崩せば良いではないか、という意見もあります。たしかに無機的で植生に良い影響を与えない護岸堤防はそのような面もあります。しかしそれでは短絡的過ぎます。
都市部に住んでいると「洪水」は遠い世界の出来事のように思われますが、それは護岸や遊水地、調整池、水門といった多くのインフラによって守られているからです。自然保護思想の暗黒面は自然再生と地域経済、災害防止に相対的優先順位を付けてしまうことですね。まったくの余談ですが。
家の近所を散歩すると、道端の電柱の私の胸ぐらいの高さにマークが付いていることがあります。これは過去小貝川の氾濫によって水が来た位置を示しています。如何なる理由も生命・財産には優先しませんので洪水の危険がある以上は護岸、遊水地の工事は続きます。これを踏まえて環境に配慮する落しどころが議論のテーマとなるべきですね。

◇湖岸湿地の機能と再生◇

霞ヶ浦で行われた実験で非常に興味深いものがあります。これまで述べたような理屈を実際に試して効果を測定するというものです。この実験の背景と模様は東京大学の西廣淳氏のホームページで見ることが出来ます。(参考Webサイトにリンク)
経緯は別としてこの実験により復活した沈水植物は実に12種類に及びます。何もなかった水域の驚異の再生です。シャジクモ、オトメフラスコモ、ササバモ、エビモ、オオササエビモ、ヤナギモ、コウガイモ、セキショウモ、ホザキノフサモ、クロモ、マツモ、キクモ・・・。このうちオオササエビモはハイブリットですので厳密にはシードバンクからではなく殖芽からか、未確認のヒロハノエビモとササバモからということになります。
このように護岸を崩し湖岸湿地を再生することは植生の再生には絶大な効果があることが分かります。東岸の別な地点ではリュウノヒゲモやヒロハノエビモも確認されています。あると言われていたガシャモクやネジレモなどが再生すれば非常に大きな発見となります。ぜひ期待したいところです。

この実験の仮説及び評価として湖岸湿地の抽水植物(湖岸植生帯と表現されています)による栄養吸収と水質の浄化が上げられていますが、私はもう1点、微生物の働きも大きいのではないかと考えています。
拙文「窒素肥料概説」でも述べましたが、有機窒素の固定を担う好気性バクテリアと捕食者である微生物の働きによって植物の利用できる肥料を生産する仕組です。湖岸湿地と遠浅の地形はまさに好気性微生物の活動に最適です。有機肥料が多い(=汚染)のに植物が生育できないのはここにも理由があるのではないか、と云うことです。
どちらにしても護岸堤防の除去と湖岸湿地の再生が植物再生に大きな効果があることは証明されたと思います。植物再生に伴い多くの魚類、昆虫類、貝類も生息できますので、まさに生物多様性を実現する方法論であることは間違いありません。ただし巨費を投じ安全のために構築したインフラを再び費用をかけて撤去するリスクによって一概に方向性が決らないのは先に述べた通りです。

◇ビオトープの形〜霞ヶ浦総合公園〜◇

実はここで言いたいのはそんな事ではないのです。本稿をあえてBiotop Profileとしたのは、水辺のビオトープと称されるモノが効果期待値とその理論的バックボーンを持たずに発進してしまっているからではないか、と思うからです。
水辺を作ればトンボがやってきます。蛙や蛇も来ますし水生植物もある程度は定着するでしょう。でも建設されたビオトープで見られる「護岸」と持ち込まれた植物や魚類は重要なキーワードが2つ抜けているのです。一つは言うまでも無くこれまで書いてきた湿地の役割です。もう一つはシードバンクを重要視し自然再生をまさに「自然に任せる」思想です。思想が無ければせっかく水辺を再生してもブラックバスの釣堀となってしまいます。
この部分をクリアし、湖岸湿地の持つ役割を形として見ることの出来る土浦市の霞ヶ浦総合公園のビオトープをご紹介いたします。先に言っておきますが私自身は無条件にこのビオトープのあり方に賛成しているわけではありません。目に付くところだけでも、

(1)ビオトープの一角で園芸種睡蓮・蓮の見本市のようなコーナーがある
(2)ゲストハウス内に「世界の淡水魚」のような妙な展示がある

何のために、という分かりやすい突っ込みどころとは別に次のような問題もあると思います。

(a)湿地帯にある多くの水生植物はもともと自生していたものか、移入したものか明らかではない
(b)沈水植物の環境が配慮されていない。目にしたのはササバモとイヌタヌキモ程度
(c)植物を紹介するためか、同一種毎にまとめすぎ

どうしても普通の方よりは厳しい目で見てしまいますが、それを抜きにしても訴求ポイントは多数あります。湖岸湿地を再現したこのビオトープは多くの湿地植物と生物に満ちていますが、水自体は霞ヶ浦からの汲み上げです。同じ水ながらここまで生物相に違いがあるのは、やはり湖岸湿地の再現という明確なビジョンがあったからこそでしょう。
汲み上げた水を植生を使って浄化し湖に戻す、地形は湖岸湿地で圧倒的な水生植物が養分を吸収する、結果として多くの動植物の生存が可能となり生物多様性が維持される、霞ヶ浦が本来持っていたであろう姿を想像させる出来の良いビオトープです。理念なく利権のみあって税金を投入する公共工事はぜひ見習って下さい。

触れ合うビオトープという自然教育的なアプローチで失敗して来た幾多の事例を踏まえて、水辺ビオトープの在り方を考えてみました。尚、本稿起稿にあたって講演会、著作を通じ多くの情報を頂いた東京大学の鷲谷いずみ教授にこの場をお借りして御礼申し上げます。


参考

【文献】
生態系を蘇らせる 日本放送出版協会2001 鷲谷いずみ
自然再生―持続可能な生態系のために 中公新書2004 鷲谷いずみ
環境再生と日本経済 岩波新書2004 三橋規宏
市民型公共事業−霞ヶ浦アサザプロジェクト− (財)淡海文化振興財団 飯島博
【Webサイト】
アサザプロジェクト
西廣淳のホームページ

脚注

(*1)誤解に基づくビオトープ建設と失敗
このような事例は枚挙に暇が無いのですが、和歌山県で行われた愚挙とも言える事例を客観的に解説しているWebサイト「珪素鳥の部屋」が非常に参考になります



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